あとがき



この物語を書き終えたあと、しばらく画面を閉じたまま、何もできずにいました。

物語が終わったというより、

私自身が、どこかに置いてきた記憶をそっと撫で終えたような気がしたからです。


この話は、最初から「どんでん返し」を書こうと思って始めたものではありません。

むしろ、きっかけはとても現実的で、静かなものでした。


少し前、仕事の関係で、ある介護施設を訪れる機会がありました。

そこは特別な場所ではなく、

白い廊下と、少し消毒薬の匂いがして、

テレビの音がどこかでずっと流れている、ごく普通の施設でした。


そこで出会った人たちは、

誰かを「忘れている人」でもあり、

同時に、誰かを「覚え続けている人」でもありました。


同じ質問を、何度も繰り返す人。

昨日と今日の区別が曖昧な人。

「はじめまして」と言うたびに、少し照れたように笑う人。


でも不思議なことに、

彼らはすべてを失っているようには見えませんでした。


名前は忘れても、

安心する声の調子は覚えている。

初めて会ったはずの相手に、なぜか手を差し出せる。

説明できないけれど、「この人は大丈夫だ」と分かっている。


私はその光景を見ながら、

「覚えていること」よりも、

「選び続けていること」のほうが、

ずっと人を人たらしめているのではないかと思いました。


記憶は、いつか薄れます。

体も、判断力も、確実に変わっていきます。

でも、誰かのそばにいようとする行為だけは、

不完全なままでも、繰り返せる。


この物語の彼女が、毎日「はじめまして」を言うのは、

献身や自己犠牲の象徴としてではありません。

それは、特別な決意というより、

今日も一緒にいることを「選んでいる」だけです。


そして、主人公がそれを受け入れるのも、

強さではなく、怖さを抱えたままの選択です。


愛は、常に分かりやすい形をしていません。

ときには、優しさのふりをして隠れ、

ときには、日常の反復に溶け込み、

「何も起きていない顔」で、確かに存在しています。


この物語が、

読んだ方にとって「切ない話」や「仕掛けのある話」として終わるのではなく、

日常の中でふと誰かの声や仕草を思い出す、

そんな小さな引っかかりとして残ってくれたなら、

それ以上に嬉しいことはありません。



私自身、書きながらずっと考えていたのは、

記憶と愛情は、本当に同じ方向を向いているのかということです。


覚えていることは、愛している証拠でしょうか。

忘れてしまうことは、愛が薄れた証でしょうか。

この物語では、そのどちらにも明確な答えを出しませんでした。


彼女が問い続けた曜日は、

時間の確認ではなく、

「今、この人はここにいるか」という確認でした。


そして主人公が答え続けたのは、

曜日そのものではなく、

「私はあなたと今日を生きている」という意思だったのだと思います。


最後に。

もし、同じ質問を何度もされる日が来たら。

もし、同じ答えを何度も返す日が来たら。


そのとき、

それが「失われたもの」ではなく、

「今日も選ばれていること」なのかもしれないと、

ほんの一瞬だけ、思い出してもらえたら。


この物語は、

誰かを忘れる話ではなく、

忘れてもなお、続いていく関係の話です。


読んでくださり、ありがとうございました。

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