第5話:開かずの扉と「理の鍵」

 王城の地下深く、冷涼な空気が支配する「希少素材倉庫」へと続く廊下を、俺はリゼロッテと共に歩いていた。


 この場所には王国が数百年の歳月をかけて収集した、龍の逆鱗や太古の精霊石といった、国家予算に匹敵する価値を持つ素材が眠っている。


 俺が研究を進める上で、どうしても現物を確認しておきたい素材がいくつかあった。これは便利屋だったら、天と地がひっくり返ってもお目にかかることができない代物たちだ。


「師匠、少し歩調が速くありませんか? ……ああ、もしかして私との密室での逢瀬を待ちきれないのでしょうか。嬉しい……嬉しいですわ。倉庫の中は暗くて静かですし、二人きりになれば誰にも邪魔されませんものね」


 リゼロッテが俺の腕に自身の身体をこれでもかと押し付け、顔を赤らめて囁く。

 彼女の脳内では、素材の視察がいつの間にか甘美な逢引に書き換えられているらしい。

 俺は彼女の熱烈なアプローチを右から左へと受け流しつつ、目的の重厚な鉄扉の前で足を止めた。


 そこには、一人の太った役人が椅子に踏ん反り返って待っていた。

 王宮の物品管理を司る高官の一人らしいが、その顔には隠そうともしない不快感が張り付いている。


「……ふん、リゼロッテ様。まさか本当に、この『空っぽ』の男を連れてくるとは。……おい、お前。便利屋風情が王国の至宝に触れるなど、本来なら万死に値することだと理解しているのか?」


 役人はフンと鼻を鳴らし、俺の左胸にある「無色」の紋章を汚物でも見るかのような目で眺めた。

 ゼグスの件はまだ耳に入っていないのか、あるいは王宮内の派閥争いのせいで俺への評価を意図的に下げているのか。

 いずれにせよ、この国での「無色の蔑視」は根深い。


 高官の言葉にリゼロッテがさっきを爆発させるのは予想がつくので、あらかじめ黙っておくように、釘は刺しておいた。


「許可は頂いているはずだ。俺はただ、中にある素材の状態を確認したいだけだ。……開けてくれるか?」


「生意気な口を叩くな。……だが、王命とリゼロッテ様の顔を立てて、中に入れてやる。精々、その安物の瞳を輝かせて眺めるがいい」


 役人は嫌味たらしく笑いながら、巨大な鍵を扉に差し込んだ。

 複雑な魔法の封印が解除され、轟音と共に扉が開く。

 俺とリゼロッテが足を踏み入れた瞬間、背後で嫌な音が響いた。


 ガチャン、という金属の衝突音。

 続いて、呪文を唱える微かな声。


「……何をしている?」


 俺が振り返るより早く、扉は完全に閉ざされていた。

 鉄格子の隙間から見える役人の顔は、醜く歪んでいる。


「ハッハッハ! これでおしまいだ! リゼロッテ共々そこで餓死するがいい! この扉には今、我が家系に伝わる秘伝の精霊器『永劫の拒絶』を施した。内側からは物理的にも魔法的にも干渉不可能。お前らが死んだ頃に開けてやる」


 役人の足音が遠ざかっていく。

 どうやら、俺だけでなくリゼロッテをも疎ましく思う勢力の差し金か。


「…………師匠」


 背後から、凍てつくような殺気が膨れ上がるのを感じた。

 リゼロッテの銀髪が逆立ち、彼女の周囲に展開された魔力が、倉庫内の空気そのものを結晶化させていく。


「あんな……あんな下卑た豚が、私の師匠を閉じ込めた……? そればかりか、私との大切な時間を『嫌がらせ』に利用した? 許しません……万死ですわ。この倉庫ごと、王宮の半分を氷の塵にして差し上げます……!」


「待て待て、落ち着けリゼロッテ。城を壊したら、せっかくの素材が台無しだ」


 彼女の魔力出力は、冗談抜きで城を一つ二つ更地にできる域に達している。

 俺は彼女の肩を掴み、暴走寸前の魔力を自身の「虚無」で強引に宥めた。

 彼女は俺に触れられた瞬間、殺気を霧散させ、代わりに潤んだ瞳で俺を見つめてくる。


「……ですが師匠、あの扉の封印は本物ですわ。空間そのものを施錠し、『開く』という概念を切り離している。……今の私では、力尽くで空間ごと破壊するしかありません」


「概念の切り離し、か。……なるほど、面白い理屈だ」


 俺は鉄扉に手を当て、その構成を深く読み取っていく。

 扉という存在に対し、開くという動作自体を定義不能な状態に追い込んでいる。

 通常の魔導師なら、ここで手詰まりだろう。


 だが、俺にはもう一つの切り札がある。

 第一の「虚無」、第二の「形」。

 そのさらに奥底に眠る、世界の根源的な規則に干渉する力。


「……見せてやるよ、リゼロッテ。……すべてには、例外があるということを」


 俺は深呼吸をし、胸の奥にある「三つ目」の紋章を意識した。

 普段は奥深くに隠蔽している、神代の理を記した紋章。


「第三位階、開放――『神代紋・理の鍵――エンシェント・クレスト――』」


 その瞬間、世界の見え方が変わった。

 目の前の鉄扉が、ただの物質ではなく、無数の「法則の記述」で構成された情報の塊として視界に浮かび上がる。

 

 『永劫の拒絶』による封印。

 そこには、


【何者モ、イカナル手段ニヨッテモ、コノ境界ヲ越エルコトヲ禁ズル】


 という、強固な命令文が刻まれていた。

 あまりに一方的で、整合性を欠いた傲慢な理屈だ。


「……あらゆる扉には、開かれるために存在するという根源的な定義がある。……その定義を否定する歪みこそが、この封印の本質だ」


 俺は右手を空中に掲げる。

 そこには何も握っていないはずなのに、リゼロッテの目には、眩い光を放つ「不可視の鍵」が見えたことだろう。


「この世界のあらゆる『閉じたもの』に命じる。……その矛盾した施錠を解き、本来の姿を現せ。……開錠」


 俺が虚空で手を回すと、カチリ、と世界の底から響くような重厚な音がした。


 扉を覆っていた『永劫の拒絶』の魔力が霧散していく。

 物理的な摩擦も、魔法的な反動もない。

 ただ、世界が「この扉は開くべきものである」という正しい状態に書き換えられたのだ。


 キィ、と小さな音を立てて、あれほど頑強だった鉄扉が軽やかに開いた。


「な……!? 今のは、一体……? 封印の構成式を無視しただけでなく、法則そのものを上書きしたのですか? ……ああ、師匠! 貴方はやはり、私が想像していたよりも遥か高みにおられる……!」


 リゼロッテが恍惚とした表情で、俺の背中に抱きついてくる。

 彼女の信仰心がさらに加速するのを感じるが、今はそれどころではなかった。


「……リゼロッテ、扉のことは後だ。……これを見ろ」


 俺は倉庫の奥へと足を踏み入れ、目的の棚を指差した。

 そこには、俺が以前から注目していた「天災級魔獣・ドラゴンの鱗」が並んでいるはずだった。


 ところが、そこに置かれていたのは、一見すれば立派な銀色の鱗だが、俺の「虚無」の眼で見れば一瞬でわかる代物だった。


「……これは、偽物だ。……表面にだけ薄く魔力を塗り、精巧に作られたただの鉄板だ」


「なんですって……!? 王国の宝物庫に、贋作が紛れ込んでいるというのですか?」


 リゼロッテの表情が、一瞬で峻烈なものに変わる。

 俺は他の棚も素早く調べていく。

 古代精霊石、賢者の杖の破片、高純度の魔力銀。

 その大半が、外見だけを似せた「空っぽ」の贋作にすり替えられていた。


「……根が深そうだな。あの役人が俺たちを閉じ込めたのは、ただの嫌がらせじゃない。……この『空っぽの宝物庫』を俺に見られるのを恐れたのか、あるいは……」


「……この私をも欺き、国の財産を食いつぶす害虫が王宮内に潜んでいるということ。……許せません。お師匠様の研究を邪魔するばかりか、このような不浄な真似を……」


 リゼロッテの周囲に、再び冷気が渦巻く。

 今度の殺意は、先ほどのような個人的な怒りではない。


「師匠。……あの役人を追いましょう」


「ああ。……それに、本物の素材の行方も追わないとな。……俺の『理の鍵』が暴いたのは、扉の先にある真実だったってわけだ」



 王城での生活は、静かな研究どころか、王国を揺るがす巨大な不正の渦中へと俺を叩き落としたらしい。

 だが、俺の行く手を阻む「扉」がまだあるというのなら――。


「……すべて、開けてやるさ。……俺の鍵でな」


 その時、リゼロッテがハッとした顔で言った。


「師匠……。私、気づいてしまいました」

「なんだ?」

「師匠が扉を開けなければ、私とずっと二人きりだったのに」


「アホかーーッッ! この色ボケェェェーーッッ」

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