Chapter1―出逢い―
「空野さん、これやり直し」
仕事中、上司の机に呼び出されてすぐに、その言葉と共に書類が投げ返される。
私が残業してまで作った書類だった。
「…どこを直しますか?」
「そこに書いたから、その通りにやってくれ。今日中に必要だからすぐにやって」
彼はそれだけ言うとパソコンのモニターに向き直る。
私にとっては完璧に仕上げたはずの書類。それでも上司にはダメだったらしい。
自分の席に戻ると、落ち込んで小さくため息をついた。
隣の席に座る年下の同僚であるトモキが小声で声をかけてくる。
「先輩、今日誕生日じゃないですか?」
突然何を言い出すのかと思えば…。
「…誕生日は先週だった」
「あちゃ、そうでしたか。いくつになりました?」
女性に向かってよくそんな事を聞けるなと思ったが一応答える。
「29だよ」
「え、そうなんですか?もっと若いと思ってました」
社交辞令的な彼の言葉ではあったが、それでも少し嬉しくなった。
その後、定時までになんとか書類を仕上げて上司に受け取ってもらうことができた。
しかし、今日やるはずだった仕事は少しも進んでいない。それを今日中にやる気力も残っていなかった。
…明日の私が頑張るだろう。
「お先に上がります」
そう言って職場を後にした。
毎日変わらない帰り道。
しかし、歩いて帰っていると奇妙なものを見かけた。
いつも通る公園の角に咲く一輪の白い花。どこにでもあるようなその小さな花だったが、その周りだけ不自然に整っていた。
気になって近づいてみる。
よくみると花の周りだけ土が整えられ、まるで弱々しい花が守られているかのようだった。
どうしてこんなことを…?
「こんにちは」
突然後ろから声をかけられた。
振り向くとそこには60代中程に見える初老の女性が立っていた。
落ち着いた雰囲気を纏い、少し寂しげな影が見える。
「ど…どうも、こんにちは」
私が返事をすると、女性は微笑みを返した。
「その花、綺麗でしょ?」
「ええ、綺麗ですね」
女性は私の答えに満足したように、花の前にしゃがんで手入れを始めた。
土を整え、水をやり、花を愛でる。
その手つきは丁寧で、まるで人間に接しているかのようだった。
「どうして手入れしてるんですか?…珍しい花なんですか?」
その質問を聞いて、女性は手を止めた。
「いいや…珍しい花ではないよ。その辺にも生えてるからね」
彼女が指差した先には群生する同じ花があった。
「なら…どうして?」
その質問に女性は少し沈黙した。
優しい風が吹き、周りの草がサワサワと音を立てる。
「…雑草に埋もれるこの花もね、ちゃんと生きてるんですよ」
そう言って女性は立ち上がる。
「じゃあ、私はこれで」
彼女はその言葉を最後にその場を立ち去った。
一人その場に残された私はその花を見やる。
あの女性の言葉を聞いても、手入れしている理由を私は理解できなかった。
アパートの部屋に入ると、玄関に鞄を置いてよろめきながらベッドに寝転んだ。
「今日も疲れた…」
独り言を呟いて声が空気に消える。
いつものようにスマホを取り出すとSNSを開く。そこに映るのは幸せそうな友達や同僚の姿。
大きなため息をつく。
どうして私だけこんな惨めな生活をしているのだろう。友達はもう結婚して幸せそうなのに…私なんて…。
そう思い漫画が読めるアプリを開く。そこにはいつも読んでいる恋愛系のタイトルが並ぶ。
これを読むのが私の楽しみだ。
しばらく漫画を読んでいると気づけば夜9時を回っていた。
そろそろ動かないと…
そう思い、食事と風呂を済ませて寝る準備をしたが、その頃には日付が変わっていた。
毎日がこんな生活。特に何もない、ただの日常。
布団に入り、目を閉じて静まり返った部屋に身を任せていると、帰り道で出会った女性が思い出される。
なぜ、手入れをしているのか?
その答えはいくら考えても出ることはなかった。
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青空へ贈る詩 ぬれねずみ @oils
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