第2話

「儂は先に行くが……本当に、いいんじゃな?」


 ドワーフのおじ様は、まだ少しだけこちらを気にしているらしい。立ち去る体勢のまま、振り返ってそう言った。


「うん。大丈夫。」


 自分は短く答える。


「…そうか。気をつけるんじゃぞ。」


「良い一日を。」


 言葉を返すと、彼は満足そうに鼻を鳴らした。


「…仕事帰りと言ったろ。」

「もう酒を飲んで、寝るだけじゃ。」


 その声には、迷いがなかった。


 今日やることは終わっている。

 これから先の予定も、特に問題はない。

 帰る場所があり、やることも分かっている。


 そういう声だった。


「……良い一日じゃな。」


 最後にそう言って、ドワーフのおじ様は歩き出した。金属音が、今度は遠ざかっていく。規則正しく、迷いのない足音。


 少しして、思い出したように立ち止まり、振り返る。


「念のため、お主のことは伝えるが、構わんな?」


 監視というより、報告だろう。

 それもまた、仕事の一部なのだと思う。


「うん。構わない。」


「そうか。儂は先に行くからな。」


 それだけ言って、今度こそ姿が見えなくなった。


 しばらく、音だけが残る。

 やがてそれも、地下のざらついた静けさに溶けていった。


 ……幸せそうだった。


 ドワーフのおじ様は、きっと今日も悪くない一日を過ごしたのだろう。仕事をして、酒を飲んで、眠る。それが当たり前に続いている。


 それに比べると。


 自分は今、地下の深い場所で、キャンドルを灯して、動かずにいる。

 帰る場所も、今日やることも、まだ決まっていない。


  不安が、遅れてやってきた。


 こういう時は、曖昧にしない。

 自分は、占う。


 使うのは、トートタロットだ。


 敷布の中央を整える。キャンドルの火は安定している。香りも主張しない。今は判断に使える。


 カードをシャッフルしながら、問いを絞る。

 ここはどこだ、ではなく——


 今いる層はどこか。

 自分はどの位置か。

 いま避けるべき動きは何か。


 深度確認式スプレッドを使用し、始める。


 四枚。置く。

 めくる。


 一枚目。

 月。


 言葉にするなら、「錯視」。

 見えているものが信用できない場所。説明より先に、感覚が揺らぐ。


 二枚目。

 カップの倦怠。


 進めば進むほど鈍る。浅くはない。

 ここは、足を取られる深さだ。


 三枚目。

 ソードの休戦。


 止まるのが正しい。

 自分は今、動かないことで釣り合っている。


 四枚目。

 ワンドの闘争。


 今いちばん避けるべきは、押し通すこと。

 言い切ること。

 説明して勝とうとすること。


 自分は一度、息を吐いた。

 深く動かない。争わない。まだ決めない。


 それで終わり……にはしない。


 ここで動けないのは分かった。

 でも、動けないままでは終われない。


 続けて、表層確認式。


 今度は、深い答えを聞かない。

 自分の「出たい」という気持ちを、表面で扱う。


 四枚。配置を少し広げて置く。

 めくる。


 一枚目。

 愚者。


 日本語で言うなら、「一歩」。

 逃げたいのではなく、試したい。進めるかを確かめたい。


 二枚目。

 ワンドの支配。


 主導権は自分にある。ただし範囲は狭い。

 全力じゃない。一歩分だけ。


 三枚目。

 ディスクのプリンセス。


 表に出るのは、華やかな事件じゃない。

 生活の気配。仕事の帰り道、詰所、決まりごと。そういう側。


 四枚目。

 ソードの科学。


 感情じゃなく、把握で終える。

 納得できたところで切り上げろ、という合図。


 自分はカードを戻しながら、目を閉じた。

 深くは動かない。けれど、表面だけ触れていい。


 表面。生活。

 仕事帰り。


 あのドワーフだ。


 自分は敷布をたたみ、カードをしまい、キャンドルの火を消した。

 急がない。追いかける、というより、追いつくだけでいい。


 足音を思い出す。規則正しい金属の音。


 ──あのリズムなら、まだ遠くない。


 自分は静かに立ち上がった。


 争わない。

 深く動かない。

 でも、一歩だけ。


  ドワーフのおじ様の方へ、向かうことにした。

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