第2話 観察対象


「食事を摂っていないようですね」


 翌朝、簡易ベッドが置かれただけの部屋に、白衣の男が現れた。

 その声に、晴海はそっと顔を上げる。

 いつもガラス越しでしか見ない目が、晴海を見ていた。他にも白衣を着た学者らしき人はいるが、晴海の名前を呼ぶのは、この男だけだ。

 皆、一様に「反射の勇者」と晴海を呼ぶ。

 他の勇者も「炎の勇者」だとか、「癒しの勇者」などと呼ばれていた。特化した属性で勇者を呼ぶ様、決められているのかもしれない。

 いずれにせよ、晴海の前でゴブリンを殺した男とは思えない。

 見れば見るほど、普通の男だ。


「無理やりにでも詰め込めと言われましたが、そんなの魔物と同じくらい、“品のない行為”ですからね。それに、貴方に精神干渉系の魔法は効かないと言っているのに、上は何もわかってない」

 

 晴海の返事を待つことなく、白衣の男は愚痴を続ける。

 晴海の魔法適性は『反射』と呼ばれている。この世界に来た時、他に十数名の『召喚勇者』と呼ばれる人がいた。とりわけ、晴海の属性は類を見ないものだったらしく、隔離されているため、あれ以来会ってはいない。

 反射とは何か。

 これまでの実験で、それとなくわかってきた。

 晴海は、自分に向けられた魔法を全て反射する。物理的なものに限らず、精神干渉や治癒といったものも含まれているらしい。

 一度、実験の過程で骨折した際、治癒魔法を受け付けなかったのだ。だから、折れた左腕が治るまで時間を要した。発熱と痛みが続き、解熱と鎮痛効果のある薬を投与され続けたのだ。

 幸い薬は効いてくれるようで助かったが、学者たちは頭を悩ませている。

 リスクが上がるとしても、魔力量と属性の有用性は眠らせておくには勿体ない。

 発覚した当時は、晴海もその見解に同意だった。

──あの痛みを知るまでは。


 常に体外を覆うように張った魔力の揺らぎが、自動的に魔法を反射する。

 これだけ聞けば、この力は万能かに思えた。だが、循環する魔力を止められないように、反射の力も止められない。

 そこに晴海の意思は関係ないのだ。

 初めは、ぴり、とした痛みから始まった。

 だがそれは、痛みというより、何かを削られるような感覚に近かった。


「まずは、初級レベルの水魔法から」


 数人の学者に取り囲まれた晴海が目にしたのは、目の前の男の手のひらから放たれた水泡だ。

 針のように変形し、晴海に目掛けて一直線に飛んでくる。

 たかが水だと思ったのだが、これは刺さると痛そうだった。


「……っ」


 晴海はぎゅっと目を瞑り、身をよじる。

 当たると思った瞬間に、身体に鋭い痛みが晴海を襲った。次いで、フッと力が抜ける。

 同時に、男が呻き声を上げて倒れた。


「素晴らしい。想定以上だ。おい、ソイツに治癒魔法をかけてやれ。実験方法の見直しもせねば…」


 鉄の匂いがする。

 晴海が目を開けると、魔法を放った学者が血を流して倒れていた。脂汗を吹き出しながら、右肩を抑えてガタガタと震えている。


「…ぐぁぁぁぁぁ!」


 そんな男に目もくれず、他の学者たちは議論に花を咲かせている。


「明らかに放った魔法よりも威力が増している。反射の瞬間に自身の魔力も上乗せしているのだろうな…」

「測定時の保有魔力は『炎の勇者』と同等かそれ以上だ。大概の魔法を返せる」

「しかも、威力は放ったもの以上のものになる」

「問題はコントロールか?」

「それに、同時に複数の魔法を受けたとして、どちらも反射可能なのだろうか?」

「あぁ、俄然やる気が沸いてきた」


 誰も、のたうち回る男を気にしていない。後ろから飛び出してきた人だけが、屈んで男の肩を抑えている。

 左腕に緑色の腕章をつけている。肩に添えられた手のひらから、淡い光を放っていた。彼が治癒士なのだろう。

 じわり、じわりと塞がっていく傷から、目が離せなかった。

 ズキリと胸が痛む。

 怪我をさせてしまった痛みなのか、反射の能力を使った痛みだったのか。一抹の不安は、その後の実験で、嫌というほど思い知らされることになったのだ。


「次は後方から雷、前方から氷を放て。防壁は厚めに展開しろ。魔石を惜しむな」


 安全装置だと言い聞かされた椅子に晴海は座っていた。

 ハーネスを着けて背面に固定される。

 両腕は、やわい布で肘からぐるぐるに固定されていた。

 洋画やアニメで見かける、超能力を持った罪人が受けている拘束みたいだな。と他人事のように思う。

 

「魔法を放つタイミングを悟られるな」


 老齢の学者が言った。

 それから、黒い布で晴海の両眼を塞ぐようにして頭部をぐるりと巻いた。

 世界が真っ暗になる。

 

「死角からの攻撃や不意打ちを防ぐ事が出来れば、リスクが大幅に減るからな」


 興奮を押し殺した様な上擦った声だった。

 まるで、新しい生命の誕生に打ち震えている様でもある。

 晴海は必死に音を拾った。せめて、どこから氷柱が飛んでくるのか、知っておきたかった。音しか聞こえない時点で、雷はもう詰んでいる。だから、氷の錬成される音を逃してはならないのだ。

 魔法の発動条件を調べる実験。

 怪我をした晴海は、自己免疫や回復能力に頼るしかないのである。

 この実験が成功したならば、晴海はおおよその魔法が効かない人間になる。失敗したとしても、この力をコントロールする術がある証明になる。

 どちらに転んでも、学者たちは喜ぶだろう。


「耳も塞いだ方が確実か?」

 

 誰かが言った。


「良いですね───」


 その声を聞き終わる前に、晴海の世界から音すらも消えた。

 感情の読めない、平坦な声。

 今思えば、あれは白衣の男だったのかもしれない。


 己の息遣いと、心音。

 いつ、どこから魔法が飛んでくるのかもわからない。

 これで、恐怖を感じない人間なんていない。少なくとも、晴海の中に渦巻くのは途方もない恐怖だった。

 耳鳴りが止まない。不意に痛みが身体を突き抜け、魔力が抜ける。襲い来る痛みは次第に強くなり、晴海はもはや声も出なくなっていた。

 不規則に訪れる痛みが、さらに恐怖の淵へと晴海を引きずり込むのだ。

 時間にして五、六時間といった所だろうが、晴海には数日の出来事のように思えた。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2025年12月30日 07:00

召喚勇者は異世界を好きになりたい hon @hoshi-yomi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ