召喚勇者は異世界を好きになりたい

@hoshi-yomi

第1話 証明

 その日、晴海はるみの前に一匹のゴブリンが差し出された。

 緑色の小柄な小鬼だ。大きな鼻と尖った耳を持ち、棍棒を武器とする魔物。

 空想上の生物が、いつかの晴海がファンタジーゲームで見たものが、そこに居た。

 だが、目の前のゴブリンはやせ細り、棒切れのような手脚を晒していた。

 どん、と地面を叩く音がする。


「ハルミ殿。魔物の嘘に騙されてはいけません」


 その声に晴海が視線を上げると、ガラスの奥にいる白衣の男が再び晴海の名を呼んだ。


「ハルミ殿。これは貴方が我々の仲間であると証明するためのものなのです」


 また、地面を叩く鈍い音がする。

 平坦な声は、晴海を責めるように「勇者」に与えられた使命をつらつらと並べ立てる。

 その合間も等間隔でどん、と床を叩く音がした。


「どうか、命だけは…」


 音が鳴るたび、身体の震えが増した。目の前の恐ろしい光景に、息が詰まる。


「さあ、見せてください。貴方の『反射』の力を」


 コレは討伐などではない。一方的な殺戮だ。

 また、どん、と音がなる。


「貴女方に危害を加えるつもりは毛頭ございませんッ! だからどうか、どうか命だけはご容赦ください」


 ゴブリンの口から流暢に飛び出す言葉は、人間の言葉だった。晴海が15年聞き馴染んだ日本語で、彼は命乞いをしているのだ。

 それも、他でもない、晴海に対して。


「魔物は嘘つきなのです。我々を滅ぼすための手段は選ばない。ソレは狡猾で下劣な醜い鬼なのです」


 侮蔑に満ち溢れた言葉の羅列。それにも関わらず、声に感情がない歪さが、余計に恐怖心を煽った。

 ゴブリンの悲痛な叫び声が、より一層大きくなる。

 浮きかけていた緑の額を、彼はまた思い切り床に叩きつけた。


「…ヒッ」


 もう何度目か分からない、鈍い音が鳴った。

 肌は緑色だが、その額から流れ出る血は、晴海と同じ赤黒い色をしていた。


「ハルミ殿。何度もお伝えしていると思いますが、ソレは嘘をついています」

「…っう、うそなどついておりませんッ!」


 晴海に言い聞かせる静かな声と、床に伏したゴブリンのくぐもった声。

 やっと上げたゴブリンの表情に嘘はない。

 流れる血と、滝のような汗は、同じ生き物であるように見える。


「ハルミ殿」


 急かすように何度も晴海を呼ぶ。


「無理です…。俺には殺せない」


 晴海は冷えた指先をぎゅっと握りしめた。身体はまだ震えている。

 だって、まだ、このゴブリンは何もしていない。晴海を害すこともせず、ひたすらに頭を床に擦り付けているだけだ。


「嫌だ…いやだ、イヤだ」


 役立たずだと思われたっていい。晴海は必死に嫌だと叫んだ。

 何度か同じ問答を繰り返し、ゴブリンの額は血まみれになった。

 その光景は恐怖でしかない。


「わかりました」


 途方もない長い時間かもしれないし、一瞬だったのかもしれない。

 ため息と共に白衣の男が言った。


「今日はやめておきましょう」


 その言葉に晴海もゴブリンもホッと息を着いた。これで、彼を殺す事もなく、彼も殺されずにすむ。

 ゴブリンの顔色が瞬く間に良くなっていく。晴海も安心から白衣の男へ顔を向けた。

 白衣の男は、目の色を変えることなく、ガラスの奥からゴブリンを凝視している。

 それから何が呟くと、ゴブリンの足元に魔法陣が展開し始めた。

 安堵していたゴブリンの目に恐怖が宿った。

 顔を上げたゴブリンと目が合う。


「助け…」


 言葉は最後まで続かなかった。

 足元から突き出した針山が、ゴブリンを貫いていた。吹き出る血は、やはり赤い色をしている。

 じわじわと床を侵食する真っ赤な血から、目が離せなかった。

 鉄の匂いが部屋に充満している。

 

 これは一体なんだ。

 

 動かなくなった緑色の生き物が、虚ろな目で晴海を見ている。

 

 ―—恐ろしい。

 

 ぱりん、と何かが壊れる音がした。

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