【ミステリー】推しのために、友は死んだ。 ~有馬温泉ムード歌謡殺人事件~

マスターボヌール

第1話 最後のメッセージ


美弥子からLINEが来たのは、金曜日の夜だった。


```

『ねえ、来週の有馬、やっぱり一緒に行こう』

```


私はスマホを持ったまま、しばらく動けなかった。


有馬温泉。レオンのディナーショー。

チケットは半年前から取ってあった。二人分。


でも、私と美弥子は3ヶ月前から連絡を取っていなかった。


---


美弥子と私が出会ったのは、4年前のレオンのライブ会場だった。


でも、私がレオンを知ったのは、それより一年前だった。


当時、私は会社で追い詰められていた。

上司のパワハラ。終わらない残業。誰にも言えない孤独。


夜、部屋で一人、YouTubeを流していたとき、偶然レオンの曲が流れた。


『夜の底で』という曲だった。


```

誰も見ていない夜の底で

あなたは一人で泣いている

でも、私はここにいる

あなたを見ている

```


私は泣いた。

誰にも見られていないと思っていた自分が、見られていると感じた。


それから、私はレオンのライブに通うようになった。


---


最初のライブで、レオンは私の目を見た。


MCの途中、客席を見渡しながら、レオンが言った。

「今日、初めて来てくれた人、いる?」


私は手を挙げた。


レオンが、私を見た。

そして、笑った。


「ありがとう。また来てね」


たったそれだけ。

でも、私は「特別」だと思った。


レオンは、私を見た。私に話しかけた。


次のライブでも、私は最前列に並んだ。

差し入れを持っていった。手紙も書いた。


スタッフに渡すとき、私は震えていた。

これで、レオンは私のことを覚えてくれるかもしれない。


---


でも、次のライブで、レオンは私を見なかった。


MCで、また同じことを言った。

「今日、初めて来てくれた人、いる?」


別の女性が手を挙げた。


レオンが、その女性を見た。

そして、笑った。


「ありがとう。また来てね」


全く同じ言葉だった。

全く同じ笑顔だった。

全く同じトーンだった。


私は、その瞬間に冷めた。


レオンは、私を「特別」だと思っていない。

レオンは、誰にでも「また来てね」と言う。

それが、彼の仕事だから。


私はそれを理解した。

そして、距離を取ることを覚えた。


---


それからの私は、ライブを「楽しむ」ことを覚えた。


最前列に並ぶのをやめた。

差し入れも、手紙も、ほどほどにした。

レオンが私を見なくても、気にならなくなった。


それが、「健全な推し活」だと思った。


レオンの歌は好きだ。声も好きだ。

でも、レオンという人間に「特別扱い」されることは、もう求めない。


私は、その境界線を引いた。


でも、美弥子は違った。


美弥子は、最前列に並び続けた。

美弥子は、差し入れを欠かさなかった。

美弥子は、レオンに「見られる」ことを、諦めなかった。


---


美弥子と私が出会ったのは、私が「冷めた」後だった。


開演前の物販列で、彼女は私の後ろに並んでいた。

「あ、その缶バッジ、2019年のツアーのやつですよね」

振り向くと、私と同い年くらいの女性が目を輝かせていた。


「分かります?」

「分かりますよ! 私も持ってます、家に」


それだけで、私たちは友達になった。


美弥子は明るかった。

美弥子は熱かった。

美弥子は、レオンの話を何時間でもできた。


私は「冷めた」後だったから、美弥子の熱量が眩しかった。


同じものを好きな人間がいる。

私より、もっと本気で好きな人間がいる。

それだけで、私は救われた気持ちになった。


---


美弥子は、私より少しだけ熱量が高かった。


最初は気にならなかった。

ライブの遠征費を惜しまないのも、グッズを全種類買うのも、「推し活ってそういうものだよね」で済んでいた。


でも、2年目くらいから、空気が変わった。


「ねえ、来月のファンミ、チェキ会あるんだって」

「えー、また?」

「行くでしょ?」

「……うん」


私は「うん」と言ってしまう。

言わないと、美弥子の目が曇るから。


---


美弥子が借金をしていると知ったのは、去年の春だった。


レオンのバースデーイベント。

チケット代、交通費、宿泊費、プレゼント代。

全部合わせて、一回で15


「大丈夫なの?」

「大丈夫大丈夫、リボだから」


リボ払い。

私の背筋が、少しだけ冷えた。


「美弥子、リボはやばいよ」

「分かってるって。でも、今しかないじゃん」

「今しかって……」

「レオンが活動してる"今"しか、私たちには意味ないでしょ」


美弥子の目は、本気だった。

本気で、そう信じていた。


私は何も言えなくなった。


私はかつて、同じ目をしていた。

最初のライブで「また来てね」と言われたとき、私も同じ目をしていた。


でも、私は冷めた。

美弥子は、冷めなかった。


その差が、少しずつ私たちの間を広げていった。


---


ある日、美弥子が言った。


「ねえ、レオンの出待ち、一緒に行かない?」

「出待ち?」

「うん、前に一回だけ成功したことあるの。レオンが車に乗る直前に、私のこと見てくれて、手を振ってくれた」


美弥子の目が、輝いていた。


「それで、私、確信したの。レオンは、私のこと覚えてくれてるって」


私は、何も言えなかった。


レオンは、美弥子のことを覚えていない。

レオンは、誰にでも手を振る。


でも、それを言えば、美弥子は壊れる。


だから、私は黙っていた。


---


3ヶ月前の「決裂」は、些細なことがきっかけだった。


レオンのライブ帰り。

終電の新幹線で、私はぽろっと言った。


「最近、ライブ疲れるよね」


美弥子の表情が、凍った。


「……疲れる?」

「うん、なんか、体力的に」

「体力的に?」

「うん。月2回とかペースきついなって」


美弥子は、じっと私を見ていた。


「あんた、冷めたんだ」

「え?」

「レオンに、冷めたんだ」

「冷めてないよ、ただ疲れるって言っただけで」

「それが冷めてるってことでしょ」


美弥子の声が、震えていた。


「私は、レオンのライブに行くために生きてる。でも、あんたは違う。あんたは、『疲れる』って言える。あんたは、『月2回はきつい』って言える。あんたは、私と違う」


私は何も言えなかった。


美弥子の目が、赤かった。

涙じゃなかった。

怒りで、赤かった。


「あんたは、レオンを本気で好きじゃない。あんたは、推し活を『趣味』だと思ってる。でも、私は違う。私にとって、レオンは全てなの。それを理解できないなら、もう一緒にいられない」


美弥子は、そう言って席を立った。


それが、私たちの最後の会話だった。


---


それから3ヶ月、私たちは連絡を取らなかった。


有馬温泉のチケットは、二人分のまま残っていた。

どちらも、キャンセルしなかった。


そして、美弥子からLINEが来た。


```

『ねえ、来週の有馬、やっぱり一緒に行こう』

```


私は30分くらい、返信を考えた。


「行く」と言えば、また始まる。

また、美弥子のペースに巻き込まれる。

また、私は「うん」と言い続ける側になる。


でも。


美弥子は、私が「推し」という言葉を理解してくれる数少ない人間だった。

職場の人にも、親にも、私が何にお金を使っているかは言えない。

「いい歳して」と言われるのが怖いから。


美弥子だけが、私の世界を「分かる」と言ってくれた。


だから、私は返信した。


```

『うん、行こう』

```


---


有馬に着いたのは、土曜日の午後だった。


新神戸からバスで30分。

観光客でごった返す温泉街を抜けて、私たちは旅館「月見荘」にチェックインした。


美弥子は、上機嫌だった。


「やっぱ有馬最高! レオンもここの温泉好きって言ってたよね!」

「そうだっけ」

「言ってた言ってた、3年前のラジオで」


私はその発言を覚えていなかった。

でも、美弥子は覚えている。

美弥子は、全部覚えている。


---


夕方、私たちは一度、温泉街を散策した。


炭酸せんべいを買って、コロッケを食べて、金の湯の前で写真を撮った。

美弥子は終始はしゃいでいた。

3ヶ月前の喧嘩など、なかったみたいに。


でも、私は気づいていた。


美弥子の笑顔の奥に、何か違うものが混じっていた。

焦りなのか、決意なのか、私には判別できなかった。


夕食の後、美弥子が言った。


「ねえ、私、ちょっとロビー行ってくる」

「ロビー?」

「うん、知り合いがいるかもって」


美弥子は浴衣のまま、部屋を出ていった。


私は一人で、窓の外を見ていた。

有馬の夜は、思ったより暗かった。


---


その夜、美弥子は部屋に戻らなかった。


最初は「誰かと話し込んでるのかな」と思った。

でも、22時を過ぎても、戻らない。


LINEを送った。


```

『どこ?』

```


既読がつかない。


23時。


私は旅館のフロントに行った。

スタッフに事情を説明すると、旅館内を探してくれた。

大浴場、ラウンジ、中庭。


美弥子は、どこにもいなかった。


---


日付が変わる頃、私のスマホが鳴った。


美弥子から。

メッセージだった。


```

『ごめん、明日の朝、大浴場で待ってて』

```


私は返信を打った。


```

『今どこにいるの?大丈夫?』

```


送信。


しばらくして、既読がついた。


そして、もう一通。


```

『私のこと、見てて。

レオンが私を見てくれなくても、

あんただけは、見てて』

```


私は、息が止まった。


「見てて」。


美弥子が、私に求めているのは、承認だった。


レオンが美弥子を「特別」だと思わなくても、私だけは、美弥子を「特別」だと思ってほしい。


そういう意味だった。


でも、私は返信できなかった。


---


返信を打とうとした。


『大丈夫だよ』と。

『私はちゃんと見てるよ』と。


でも、それは嘘になる。


私は美弥子を見ていない。

私は美弥子を「特別」だと思っていない。

私は、美弥子が「レオンに執着しすぎている」と思っている。


その嘘を送ることが、怖かった。


だから、私は何も送らなかった。


既読をつけたまま、私はスマホを置いた。


---


翌朝、私は後悔した。


何か送るべきだった。

嘘でもいいから、「見てるよ」と送るべきだった。


でも、もう遅かった。


私は大浴場に向かった。


---


まだ6時前で、客はほとんどいなかった。

内湯を抜け、露天風呂の方へ歩いた。


湯気が濃かった。

硫黄の匂いが鼻についた。


露天風呂は、誰もいなかった。


私は湯船の縁に座り、美弥子を待った。


でも、来ない。


10分、20分。


湯気の向こうに、何か見えた。


紺色。


最初、それが「何」なのか分からなかった。


タオルか?

浴衣か?


私は立ち上がり、湯船の中を歩いた。


湯気が晴れた。


白い椿柄。


私と同じ柄の浴衣。


それを着た人間が、うつ伏せで浮いていた。


顔は、湯の中に沈んでいた。

髪が、水面に広がっていた。


私は、その髪を見た。


美弥子の髪だった。


---


私は叫んだのか、叫ばなかったのか、覚えていない。


気づいたら、私は美弥子の体を抱きかかえていた。

湯の中で、重かった。


「美弥子、美弥子!」


返事はなかった。


目を閉じたまま、美弥子は動かなかった。


私は、美弥子の顔を見た。


穏やかだった。

苦しんだ形跡があるのかないのか、私には分からなかった。


でも、一つだけ分かったことがある。


美弥子は、私を「見て」ほしかった。


でも、私は美弥子を見なかった。


そして、今、美弥子は死んでいる。


---


気づいたら、私はスタッフに囲まれていた。

警察が来た。

救急車が来た。


でも、もう手遅れだった。


美弥子は、死んでいた。


---


警察が、私に聞いた。


「最後に連絡を取ったのはいつですか?」


私は、スマホを見せた。


```

『私のこと、見てて。

レオンが私を見てくれなくても、

あんただけは、見てて』

```


警察官が、私の顔を見た。


「これに、返信はしなかったんですか?」


私は、首を横に振った。


「……できませんでした」


警察官が何かをメモした。


「昨夜、何時頃まで起きていましたか?」

「24時過ぎまでは起きていました」

「その後は?」

「寝ました」

「誰か、それを証明できる人は?」

「いません」


警察官が、また何かをメモした。


その瞬間、私は気づいた。


私は、容疑者かもしれない。


---


警察官が続けた。


「被害者の方とは、どのような関係でしたか?」


「推し活仲間です」


「推し活?」


「はい。同じ歌手のファンで」


「その歌手というのは?」


「黒川レオン、です」


警察官の表情が、微妙に変わった。


「黒川レオンさん。昨夜、この旅館でディナーショーがありましたね」


「はい」


「そのイベントに、お二人とも参加されたんですか?」


「いえ、美弥子だけです。私は参加しませんでした」


「なぜですか?」


私は、答えに詰まった。


なぜ、私はディナーショーに行かなかったのか。


本当は、チケットは二人分あった。

でも、私は美弥子と一緒に行くのが嫌だった。

美弥子の「熱量」に、疲れていた。


だから、私は嘘をついた。


「体調が悪くて」


警察官が、また何かをメモした。


「分かりました。後日、改めて詳しくお話を伺いに行きます」


警察官が立ち上がった。


私は、一人取り残された。


美弥子は、死んだ。

私は、容疑者になった。


そして、レオンは。


レオンは、今頃どこにいるのだろう。




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