第3話 英雄の名前は、もう残っていない

転送の光が消えた瞬間、俺は確信した。


――ああ、同じだ。


足裏に伝わる地面の硬さ。

空気の温度。

遠くで響く破壊音。


どれも、異世界と寸分違わない。


「……現実、なんだよな。ここ」


誰に向けたわけでもなく呟く。


俺の身体は、黒と銀を基調とした戦闘服に包まれていた。

軽量装甲。筋肉補助繊維。

だが動いた感覚は、異世界で着ていた鎧と変わらない。


違うのは一つだけ。


腰に提げられた武器。


銃でも、重火器でもない。

ただの――剣。


刀身は金属光沢を帯び、刃には微細な発光ラインが走っている。

近未来製の高周波ブレードらしいが、握った感触は馴染みすぎていた。


「……剣だけ、かよ」


『現時点では、それが最適です』


通信越しの声は冷静だった。


『あなたの戦闘データは、近接戦闘に完全特化しています』


「皮肉だな」


異世界でも、そうだった。


魔法も銃もあった。

それでも最後に頼ったのは、剣だった。


――遠くで、影が動く。


瓦礫の向こう。

ゆっくりと、こちらを“認識”する動き。


未知生命体タイプ・ゼロ


形状は、異世界で何度も斬ってきた魔物と大差ない。

違うのは、「これは現実だ」と頭が理解していることだけ。


「……結局、ここでもか」


心臓が、嫌になるほど静かだった。


怖くないわけじゃない。

だが、慣れてしまっている。


それが、何より恐ろしかった。


《タイプ・ゼロ》が踏み込む。


速い。

だが、知っている速さ。


身体が自然に前へ出る。


――距離を詰める。

――軌道を読む。

――斬る。


剣が閃き、装甲を裂く感触が手に返る。


「……っ」


同時に、肩に衝撃。


吹き飛ばされ、アスファルトを転がる。


痛み。

確かな痛み。


でも、それも知っている。


「……同じだ」


VRと現実。

どこにも境界なんてなかった。


「だったら、なんで……!」


立ち上がりながら叫ぶ。


「なんで、あの世界を終わらせたんだよ!」


異世界で終わったと思った。

魔王を倒せば、解放されると。


だが違った。


世界が変わっただけ。

戦場は、続いている。


《タイプ・ゼロ》が再び迫る。


考えるな。

考えたら、心が折れる。


「……くそっ!」


剣を構え、前に出る。


俺は英雄じゃない。

救世主でもない。


「ただ、流されて……」


斬る。

避ける。

踏み込む。


「生き残っただけだろ!」


叫びとともに、剣を振り抜く。


関節部に刃が食い込み、軋む音が響く。


今だ。


――終わらせろ。


頭の奥で、異世界の記憶が囁く。


仲間の死。

守れなかった背中。

積み重なった後悔。


「……もう、奪いたくないのに」


それでも、身体は止まらない。


最後の一撃。


剣が、核を貫いた。


《タイプ・ゼロ》は痙攣し、崩れ落ちる。



静寂。


瓦礫の間に立ち尽くし、俺は剣を下ろした。


「……終わった、のか」


異世界と同じ言葉。

同じ感覚。


違うのは、帰る場所がないことだけ。


『排除を確認。帰還してください』


通信が入る。


「……了解」


光に包まれ、施設へ戻る。



戦闘後の処置室。


戦闘服を脱がされ、検査を受けながら、男が告げる。


「正式な手続きを行います」


「……まだ、何かあるのか」


「あなたの“個人情報”です」


端末に表示された文字。


《戸籍:消去完了》

《氏名:消去完了》


「……俺は、死んだことになってるんだな」


「はい」


淡々とした肯定。


「今後、あなたは個人ではありません」


「……じゃあ、俺は何だ」


男は言った。


「戦力です」


少しだけ、笑ってしまった。


「名前もない戦力か」


「識別名が必要です。自分で決めてください」


自分の名前を思い出そうとする。

だが、異世界の名も、現実の名も、どちらも輪郭を失っていた。


「……残ったものなんて、もうない」


「では?」


「――《レムナント》でいい」


「残存物、ですか」


「ああ。壊れなかっただけの、残り物だ」


入力が確定される。


《識別名:レムナント》


「これより、あなたは《レムナント》です」


その瞬間、完全に理解した。


俺はもう、帰らない。

異世界にも、現実にも。


ただ、この戦場に残る。


「……了解」


剣を握った感覚だけが、まだ確かだった。

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