第1話 現実は、剣より重い
病室の天井を見つめながら、俺は三日間を無為に過ごした。
眠っていたのか、起きていたのか、その区別すら曖昧だった。
点滴が交換され、医師が来て、検査が行われる。
だが誰一人として、俺に感情のある言葉を向けなかった。
――被験体。
その扱いが、すべてを物語っていた。
「……なあ」
かすれた声で呼びかけると、ベッド脇にいた白衣の女が一瞬だけ視線を向けた。
「俺は、どれくらい寝てた?」
「仮想世界での活動時間換算で、約200年です」
「……は?」
言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。
「現実時間では、約六か月です。
脳への負荷を考慮すると、最短記録ですね」
最短。
それが褒め言葉として使われていることに、吐き気がした。
「……他の、生き残りは?」
「現在確認されているのは、七名。
あなたを含めて、です」
七人。
異世界で見送った死者の数を思えば、あまりにも少ない。
「会えるのか?」
「今は無理です。精神状態が不安定な者も多いので」
――俺は、違うとでも言いたいのか。
喉まで出かかった言葉を飲み込み、天井に視線を戻す。
あの世界は、嘘だった。
英雄も、使命も、魔王も。
それでも――
剣を振る感覚だけが、身体から抜けなかった。
◆
四日目、俺は車椅子に乗せられ、病室を出た。
長い廊下。
白と灰色で統一された、地下施設。
「……刑務所みたいだな」
「似たようなものです」
淡々と答えたのは、政府関係者だという男だった。
「ただし、君は囚人ではない」
「じゃあ、何だよ」
男は、少しだけ間を置いた。
「資産です」
なるほど。
だから逃がす気も、返す気もない。
エレベーターを降りると、巨大な空間が広がっていた。
コンクリートの床。
高い天井。
壁一面に設置されたモニター。
――訓練場。
「……戦闘訓練、か」
「正確には“適応確認”です」
車椅子が止まり、拘束具が外される。
「立てますか?」
「……たぶん」
勢いで立ち上がった瞬間、視界が揺れた。
だが倒れる前に、足が自然と踏ん張る。
――無意識。
「……おい」
自分の身体なのに、知らない動きをする。
「異世界で身についた神経系の再構築が、そのまま残っています」
「冗談だろ……」
「冗談で済めば、我々も苦労しません」
男が合図を送ると、床の一部が開いた。
現れたのは、人型の機械。
「模擬敵です。
武器はありません。素手でどうぞ」
「ちょ、待――」
言い終わる前に、機械が踏み込んできた。
速い。
反射的に、身体が動いた。
――避ける。
――懐に入る。
――急所を叩く。
拳が空を裂く。
機械の関節が、嫌な音を立てて歪んだ。
「……え」
自分でも、何をしたのか分からなかった。
だが次の瞬間、理解する。
異世界で、何度も繰り返した動き。
考える前に、生き残るための選択。
「……やめろ!」
叫んだが、機械は止まらない。
もう一体、さらにもう一体。
「くそっ……!」
勢いで、前に出る。
考えない。
止まったら、やられる。
そう身体が覚えている。
結果、数分後。
訓練場には、動かなくなった模擬敵だけが転がっていた。
俺は、荒い息をつきながら立ち尽くす。
「……これが、現実かよ」
「ええ」
男は、冷静に言った。
「君はもう、“一般人”ではありません」
モニターに、数値が表示される。
反応速度。
判断速度。
攻撃成功率。
どれも、常識外れの数字。
「魔王より、弱かったな」
ぽつりと呟くと、周囲が一瞬静まり返った。
「……今、何と?」
「いや、独り言だ」
俺は、拳を見つめる。
震えている。
怖い。
それでも――
「次は、いつだ?」
その言葉が、自然に口から出ていた。
男は、わずかに笑った。
「では、正式に配属を決めましょう」
「……は?」
「君には、前線に立ってもらう」
やっぱり、そうなるか。
逃げ場は、ない。
「……最悪だな」
それでも俺は、立っていた。
剣はない。
魔法もない。
だが、戦い方だけは、身体が覚えている。
――俺はもう、戻れない。
そう悟った瞬間、
訓練場の警報が鳴り響いた。
「……何だ?」
「予想より早いですね」
男が、静かに告げる。
「実戦です」
こうして俺の現実は、
異世界よりも容赦なく、動き始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます