【鬼の守り部短編】黒白

白原 糸

夜の静寂に浮かぶ日は

 お前らはまるで黒白こくびゃくだなあ。

 高久たかひさただすを見た村人は目を細めて言った。

 黒と白。それは高久と糺を表す言葉でもあった。

 まとう雰囲気がはっきりと分かれている二人は全く同じ顔でありながら見知らぬ他人でも見分けがつく程であった。

 高久と糺の二人が並んで歩いても、どちらが一人で歩いても不思議な程に見分けがつく。それ程までに分かりやすかった。

 それでも高久と糺は互いの一番の理解者だった。

「兄さん。私、軍人になりたい」

 最初にそう言ったのは糺だった。

 村の樹齢二千年を超える大樹の上でのことだった。

 父、聯九郎れんくろうは〈白幹ノ国しろもとのくに〉の軍人である。たまに村に帰る父から話を聞いて、糺は自然と父のようになりたいと思ったのだ。

「そうか」

 高久は大樹の上から見える村の景色を座って眺めながら、ただ、それだけを言った。この時互いに十一歳。村を出るまであと二年。高久は立ったまま景色を見る糺を見た。

「……私は教師になりたい」

 糺は当然だと言わんばかりの笑みを浮かべて頷いた。

「やっぱり! だって兄さん。教師に向いているもん」

 だが、高久は何とも言えぬ顔をした。しばらく何かを考えるような素振りを見せて、諦めたように目を逸らした。

「ちょっと! 兄さん!」

 糺は不満だと言わんばかりに声をあげた。そんな糺に高久は答えた。

「……向いているか向いていないかは実際にやらないと分からないだろう」

 すると糺は目を丸くした。

「だって國人くにと千冬ちふゆに勉強、教えるの、上手いじゃない。おかげで我が弟妹の成績は村一番!」

 國人と千冬は高久と糺の弟妹だ。國人と千冬を含めた五人の弟妹の顔を思い浮かべながら高久は微笑んだ。

「それは國人達が頑張ったからだ。私の手柄じゃない」

 そんな高久に糺は鼻を鳴らしながら高久の隣に腰を下ろした。

「そうだよねえ。兄さんはそういう人だった」

「お前だって教えただろう」

「うーん。私は教えるの、苦手。國人と千冬ったら姉ちゃん下手! って言うんだよ」

 無邪気に笑いながら言う二人の様子を思い出してしまった高久は口元を緩ませながら言った。

「せっかく教えたのにな」

「ねえ。でもまあ、仕方ない」

 糺は足を投げ出してぶらぶらとさせた。

「ねえ。兄さん。どこの教師になる予定?」

「軍学校」

「早っ」

 即答した高久に驚きながらも糺は嬉しそうだった。

「学費免除されるし、生活に困らなさそうだ」

 高久がそう言った途端、糺は何とも言えぬ表情を浮かべた。

「……どうした?」

「いやあ、やっぱり兄さんだな、と思いました」

「それはどうも」

 そして二人は互いに顔を見合わせ、声をあげて笑い出した。

 笑いの尾が引く中で糺はあ、と指を指した。糺の指差す先を見ると、夕日が沈もうとする所だった。

「……村居さんと文さんの所、もうすぐだね」

 糺は寂しそうに言葉を落とした。今日は村居綾と文、姉と弟の旅立ちの日だった。

 因習と言われるこの村の、独自の風習の日だった。

 この村では双子は忌むべきものとして伝えられている。

 村の産土神様が双子である為に憂き目にあったと言い伝えられている為であった。村では双子が生まれるとある年頃を境に間引くこととなっていた。間引く。それは殺すことだ。双子がもたらす災いによって家が断絶しないようにとの願いを込めて、どちらかはあの世に送り出される。

 その為、どちらが残っても良いように双子として生まれた子には漢字が違いながらも、同じ呼び名を与えられるのである。

 だが、この二百年もの間、村人は双子の一人も差し出していない。

 ある年頃、十四になる前にこっそりと逃がしていたのだ。

 今日はその二人の旅立ちの日であるのだ。

「ああ」

 糺の言葉に高久は頷いた。

 後少しで夕日は沈み、村は闇に包まれる。そして完全なる闇に包まれた頃、祈りの灯りが点るのだ。

 そして、別れの歌を歌う。

「私達も、後、二年か」

 糺は寂しそうに言った。

「そうだな。その時までこの村の景色を覚えていたい」

 高久の言葉に糺は無言で頷いた。

「私たちの、愛おしい村だ」

 そう言って糺は寂しそうに笑った。

「今ははるかな全天ぜんてんの……」

 糺は呟くように歌った。

 別れと祈りを込めたこの歌を、この村に住む人たちは物心ついた時から歌えるのだ。何度も何度も繰り返し歌う。二度と帰らぬようにと祈りを込めた歌だ。

 どぷん、と夕日が沈み、周囲が闇に包まれる。

「降りるぞ」

 闇の中で高久が立ち上がると、糺は頷いた。

「声が枯れるまで歌おうね」

「ああ」

 大樹から降りた二人は下に居た村人から灯りを受け取った。

「もう直ぐだ。あの二人が山頂に差し掛かるぞ」

「うん」

 二人同時に返事をすると、耳を劈く様な法螺貝の音が聞こえた。

「そおら! 声を張り上げろ!」

 一人の若者が鐘を鳴らしながら声をあげた。

 同時に「応!」と声が聞こえ、太鼓の音に合わせて灯りが点り始めた。闇を裂くように朱色の灯りが点り始め、目の前の景色が朱色に覆われる頃、また鐘が鳴り響いた。

「行くぞ!」

 戦に赴かんとする軍人のような声に高久と糺は思わず姿勢を正した。

 どん、どん、どん、と太鼓が始まりを告げる。遠くで弦楽器の音が聞こえて来た。

「来る」

 高久が言うと、糺は頷いた。

「うん。来る」

 どぉん! とひと際大きい太鼓の音が鳴り響いた時、歌が始まった。


 ――今は遙かな全天の

   夜の静寂しじまに浮かぶ日は

   遠退とおのくあの日をかえりみる

   君が為におこす火ぞ


 不思議な程に互いの姿が見えずとも声は綺麗に重なり、山の頂に向けて届くようにと声が大きくなる。


   別れの時よ 今こそは

   君に言葉を告げるまい

   さらば 昔日せきじつの夢を知り

   今宵交わすは水杯


 これは最後の別れを告げることが許されぬ村人の、精一杯の言葉代わりの別れの歌である。そして、祈りの歌だった。

 双子として生まれればどちらかは間引かれる。双子が産まれることを忌みながらもそれでも産まれる命を生かすために十四を前にこっそりと逃がす。

 この村に住むものならば誰でも願っている。この村に生まれた子の命を。その先に続く命の営みをただ、純粋に願っている。

 涙交じりの声は途切れぬようにと更に声を張り上げて歌う。


   生きよ生きよ

   君よ生きよ

   今ぞ願いの火を灯せ

   朱に染まる我が村を

   どうか忘れてくれるなよ

   帰ることなく生きてくれ


 帰らないことがどちらも生きている証であるからこその、祈りを込めて、ただ、あらん限りの声を張り上げる。

 どうか、どうか帰ることなく、と祈りながら、高久と糺は涙を流していた。高久と糺に灯りを渡した人もまた、流れる涙をそのままに声を張り上げて歌っていた。

 負けぬようにと更に声を張り上げる。山の頂に届くようにと願いながら。

 村を出る二人に末永い命を、幸いをどうか、と願いながら、歌を歌う。


   言葉交わせぬ別れを汲みて

   今は遙かな全天の

   夜の静寂に浮かぶ歌


 やがて歌が終わる頃、堪えきれない嗚咽があちこちから聞こえて来た。

「生きろよ……」

 ぽつりと聞こえた声は切なる祈りの声だった。

 高久と糺は無言で互いの手を繋いだ。

「帰ることなく、生きよう」

 糺の言葉に答えるように高久は繋いだ手を更に強く、握りしめた。

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