公募の結果、駄目でした。
何が駄目だったんだろう……とすごく落ち込みますし、よく見かける「今回は駄目でも次の挑戦を……」という言葉があまり好きではないのですよね。
次がなかった人を知ってるからこそ、次を目指してくださいという言葉の無責任さが苦手だったりするのです。八つ当たりに聞こえるかもしれませんが、日常は変わりなく続くわけでもなく、突然変わることもあり、その度に「次」がないかもしれないことを恐ろしく思う自分がいます。
日々、書けるというのは本当にありがたいことなんですよね……。出来るならずっと書いていたい。
だから次の挑戦を、の言葉は嬉しく思う一方で、それは日々平穏であることが前提の言葉なのだと痛感するのです。
私は物語を書くことを許されたいのだと思います。
職業として、書くことを許されたい。書いていたい。ずっと。
例え公募に落ちたとしても、ずっと書き続けるし、書くのをやめる選択肢はなく、許されたい以前に私の書くは私が決めるのでそこに許すも許さないも関係ないと思っています。
矛盾していますが、売り物として並ぶことが出来て、多分、私の物語も世の中にあっていいのだと思えるのだと思います。
そういう意味での許されたいなんだろうなぁ、と書いていて思いました。
今回、公募に出したのは「鎖骨」でした。
とはいえ、カクヨム掲載の「鎖骨」から形を変えた物語です。
今回出すところはWEB掲載でも九割改変であれば大丈夫ということでしたが、九割改変に満たない為に駄目だったのか、物語そのものが駄目だったのかは確認する術もありません。
或いは間違えた箇所が足を引っ張ったのか、規定ミスがあったのか、公募する度に思うのは、答えのないまま次に行く不安だけです。
傲慢な考えと分かっていても、一言だけ欲しい……と思いました。
例えば、規定ミスしたら「規定ミス!」内容が駄目なら「内容!」みたいな。
それはそれでショックは大きそうですが次の対策としてはすごく良いですよね。駄目ですか。駄目なのは知ってる。それでも知りたいと思うことだけでもここに表明させてください。出来ないという正論はいらないです。こうあって欲しい……という想像を許してください……と吐血しておきますね。
結局は書き続けるしかないのでしょうが、公募に向けて書く度に思うのはお前の感覚はおかしい、と指を差されるような恐怖があります。
そこを無自覚に違えれば終わるというような。
それでも多分、公募は続けるのだろうなぁ、と思います。書くのやめる選択肢もなく、書くのが好きなので、私の物語を書いていきたいです。
こういう時、カクヨムの感想に救われるので本当にありがとうございます。嬉しいです。
本当に自分の駄目なところを分からないなら次も一次は通らないのだろうな……としんみりしております。
短歌も駄目、一次も駄目、べちょべちょに凹みながらも書いていこうと思います。
悔しいけど!
悔しいに決まってるじゃないですか……!
べちょべちょに凹みつつ、来年は新作、続刊、と色々本が出たり、アニメもあるのでまだ生きていけるなぁ、と思います。十二国記も出るし、生きようね。
ちなみにカクコンも長編は一次通ったことがありません……。更に自分を凹ませてどうするのか。今回は出すかは未定です。
クリスマスなのにね……。
今はひたすらに落ち込みつつ、次にむけて書いていこうと思います。
長々とした文章を読んでくださりありがとうございます!
べちょべちょに落ち込んでも立ち上がるのは早い方なので今日はべちょべちょな顔をしていようと思います。改めてありがとうございました!