第2話
一ヶ月が過ぎた。
凛の生活は単調なルーティンに支配されていた。朝六時に起床し、簡単な朝食を済ませて緑苔の洞窟へ向かう。午前中から夕方まで、ひたすら魔獣を狩り続ける。夕方に協会で魔石を換金し、アパートに戻って傷だらけの体を休める。
毎日同じ。変化などない。
収入は一日平均八千円。月に二十四万円程度だ。家賃と生活費を差し引けば、ほとんど残らない。新しい装備を買う余裕もなく、協会から借りた初心者用装備を使い続けている。
協会の掲示板には、相変わらず新しいパーティー募集が貼られている。
「Cランクダンジョン攻略メンバー募集。ヒーラー必須」
「経験者優遇、即戦力募集」
凛はもう応募しなくなっていた。何度断られても、結果は同じだと理解したからだ。
受付カウンターでは、同期のハンターたちが楽しそうに会話している。
「昨日Dランクダンジョン、クリアしたんだ!」
「マジで? すごいじゃん! 報酬いくらだった?」
「一人三十万! 次はCランクに挑戦する予定」
凛は彼らの会話を聞きながら、魔石を換金して協会を後にした。
悔しさはある。同期たちはどんどん成長し、高ランクダンジョンに挑戦している。一方、凛はまだFランクダンジョンで小銭を稼いでいる。
しかし、諦める気はなかった。
ある日、凛は奇妙なことに気づいた。
ゴブリンの爪で右腕を引き裂かれ、回復魔法で治療した。いつもなら三十秒はかかる傷だ。
しかし今日は、二十五秒で完全に治った。
「……気のせいか?」
凛は首を傾げたが、すぐに次の戦闘に移った。スライムを倒し、また別のゴブリンと戦う。左足に傷を負い、回復する。
今度は二十秒。
「……速くなってる?」
凛は確信した。回復速度が上がっている。
その日から、凛は意識的に回復速度を測定するようになった。毎回、傷を負うたびに時間を計る。
一週間後、軽傷なら十五秒で治るようになった。
二週間後、十秒。
一ヶ月後、軽傷ならほぼ瞬時に治るようになっていた。
「これは……成長してるのか?」
凛は自分の能力が変化していることを実感した。最初は欠陥だと思っていた自己回復。しかし、使い続けることで強化されているのかもしれない。
さらに驚くべき変化が起こったのは、それから数日後のことだった。
凛は洞窟の奥深くで、三体のゴブリンに囲まれていた。普段なら慎重に一体ずつ倒すところだが、この日は少し無理をした。
短剣を振るい、一体を倒す。しかし残りの二体が同時に襲いかかり、凛の右腕と左脚を爪で引き裂いた。
「くっ!」
激痛に耐えながら、凛は残りのゴブリンを倒した。そして回復魔法を発動。温かな光が傷を包み、瞬く間に治癒する。
治った右腕を見て、凛は違和感を覚えた。
「……なんだ、この感じ」
右腕に力が満ちている。まるで、傷を負う前よりも強くなったような感覚。
試しに、洞窟の壁にある大きな岩を持ち上げてみた。
以前なら持ち上げるのがやっとだった岩が、今は軽々と持ち上がる。
「まさか……」
凛の心臓が高鳴った。
自己回復は、ただ傷を治すだけではない。傷を負った部位を、より強く再生しているのではないか。
凛は仮説を検証するため、翌日も緑苔の洞窟に潜った。今度は意図的に右腕で攻撃を受け、回復を繰り返す。
一回、二回、三回。
そのたびに、右腕の筋力が増していく。短剣を振るう速度が速くなり、ゴブリンの爪を弾く硬度が上がる。
「本当だ……傷を治すたびに、強くなってる」
凛は興奮を抑えきれなかった。
これは、チャンスだ。
他人を治せないという欠陥は、今も変わらない。しかし自己回復の能力が、予想外の方向に進化している。
ならば、この能力を最大限に活用すればいい。
凛は戦略を変えた。
これまでは、できるだけ傷を負わないように慎重に戦っていた。しかしこれからは違う。あえて攻撃を受け、傷を負い、回復する。その繰り返しで、体を強化していく。
危険な戦法だ。しかし、凛には回復魔法がある。多少の傷なら瞬時に治せる。
リスクよりも、得られるものの方が大きい。
その日から、凛の戦闘スタイルは一変した。
防御を捨て、攻撃を受けながら戦う。ゴブリンの爪が腕を裂き、スライムの酸が肌を焼く。しかしそのたびに回復し、より強く、より速く、より硬くなっていく。
周囲のハンターたちは、凛の戦い方を見て首を傾げた。
「あいつ、防御しないのか?」
「ヒーラーなのに前衛みたいな戦い方だな」
「変わった奴だ」
凛は周囲の視線を気にしなかった。
ただひたすらに、強くなることだけを考えた。
二ヶ月が過ぎる頃には、凛の身体能力は明らかに向上していた。
以前なら苦戦していたゴブリンの群れも、今では余裕で撃退できる。短剣の一振りで二体を同時に倒せるようになり、スライムの酸も皮膚が弾くようになった。
そして何より、回復速度がさらに上がっていた。どんな傷でも、数秒で完全に治る。
「もう、Fランクダンジョンじゃ物足りない」
凛は協会のダンジョンリストを開いた。
次のターゲットは、Eランクダンジョン。
より強い敵と戦い、より多くの傷を負い、より強くなる。
凛の挑戦は、まだ始まったばかりだった。
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