第2話 面倒だから、避けてる

土曜日の朝のキャンパスは、やたら静かだ。


講義棟へ向かう坂を上りながら、正直、今日は来るべきじゃなかったなと思う。


「……眠」


昨夜――というか、今朝に近い時間まで起きていたせいで、頭が重い。

スマホを見ると、時刻は九時過ぎ。

講義開始まで、まだ少しある。


ベンチに腰を下ろして、深く息を吐いた。


――最低だな、とは思う。

でも、後悔してるかと聞かれると、即答できない。


「大和」


聞き慣れた声に顔を上げると、同じ学部の拓海が手を振っていた。


「おはよ」

「その顔、完全にやったな」

「何を」

「飲みすぎた顔」


笑って誤魔化す。


「昨日バイト?」

「……まあ」

「ふーん」


拓海は隣に座って、缶コーヒーを差し出してきた。


「顔がいつもより、満足そう」

「気のせい」

「違うね。これは“いい夜だった顔”」


図星で、缶を受け取る。


「大人の女性?」

「……なんで分かる」

「分かるよ。そういう匂いする」


冗談みたいな言い方なのに、妙に的確で腹が立つ。


「で?」

「で、なに」

「どうすんの」


どうする、か。


真帆さんの顔が浮かぶ。

朝、目が合った瞬間の、あの微妙な間。


「どうもしない」

「最悪」

「褒め言葉だろ」


そう言いながら、少しだけ胸がざわつく。


俺は、線を越えるときは越える。

でも、越えた後に責任を取りたいタイプかと言われると、違う。


「バー、今日も入ってんの?」

「夜から」

「来るんじゃない、その人」

「……さあ」


来たらどうする。

来なかったら、それはそれで。


どっちに転んでも、俺はたぶん“いつも通り”でいる。


それが一番、楽だから。


「クズだな」

「今さら?」


笑いながら立ち上がる。


講義棟の扉を押した瞬間、ふと、ポケットのスマホが震えた。


――通知、なし。


それなのに、少しだけ気になってしまう自分がいる。


「……面倒」


そう呟いて、教室に入った。





大学が終わったのは、昼過ぎだった。


帰り道、コンビニで適当に買ったパスタとコーヒーを抱えて、そのまま自分のアパートに戻る。


玄関を開けると、すでに電気がついていた。


「おかえり」


ソファに座っていたのは、同級生の三浦 玲奈。


Tシャツを脱いだまま、下はショートパンツすら履いていない。


「早くないか?」

「講義サボった」

「堂々と言うなよ」


靴を脱ぎながら言うと、玲奈は気にも留めずに足を組み替えた。


「どうせ夜まで暇でしょ」

「まあ」

「じゃ、いる」


それが理由で、彼女はここにいる。


シャワーを浴びて、

Tシャツだけ着てリビングに戻ると、

いつの間にか玲奈も下着姿になっていた。


「着替えた?」

「暑い」

「俺んちだぞ」

「今さら?」


ソファに座ると、自然に距離が近い。


「昨日さ」

「うん」

「バーだったんでしょ」

「なんで分かる」

「金曜だし」


当たり前みたいに言われて、苦笑する。


「常連さん、来た?」

「……来た」

「へえ」


玲奈は、にやっと笑う。


「で、どうなったの」

「どうって?」

「一線越えた?」


答えないでいると、「あー」と察したように声を出す。


「やっぱり」

「分かりやすすぎ?」

「うん。今日の顔」


ソファに寝転がって、天井を見る。


「大人の女の人でしょ」

「まあ」

「いいなー」


軽い調子なのに、少しだけ本音が混じる。


「その人とは、どうするの」

「どうもしない」

「即答」

「だって、そういう関係じゃない」


玲奈は横目で俺を見る。


「昨日はそういう関係だったんじゃないの」

「……」

「ずるいね」


少し黙ってから、彼女は続ける。


「大和って、ちゃんと優しいからタチ悪い」

「褒めてないだろ」

「褒めてない」


クッションを投げてくる。


「私たちみたいな関係は楽だけどさ」

「うん」

「たまに、虚しくならないの?」


珍しく真面目な声だった。


「……ならない」

「即答すぎ」


笑いながら、玲奈は立ち上がる。


「ま、私は今が楽だからいいけど」

「それなら何より」


キッチンでコーヒーを入れ直す音。


「ねえ」

「なに」

「その人、また来ると思う?」

「さあ」


来るか、来ないか。

正直、それは分からない。


「来たら、どうすんの」

「普通に接客」

「クズ」


そう言われた瞬間だった。


「……分かってる」


そう返すより先に、玲奈が身を乗り出してきて、唇が触れた。


「んっ――」


声を出す間もなく、そのままソファの上に来る。


「否定しないんだ」

「今それ言う?」


覆い被さる影。

近すぎる距離。

慣れすぎた温度。


「さっきの答え、気に入らなかった」

「知るか」

「でもさ」


玲奈は笑う。


「そういうとこが、好きって言われるんだよ」


軽いキスを、もう一度。

深くはしない。


「ねえ」

「なに」

「昨日の人、忘れられない顔してる」


図星で、視線を逸らす。


「してない」

「してる」


玲奈は体重を預けた。俺の胸元に額を寄せて、小さく笑った。


「じゃあさ」

「……なに」

「私で、上書きしよ」


その言葉と一緒に、距離がなくなる。

考えるより先に、いつもの流れに身体が従った。


――軽い関係。

――慣れた選択。







時計を見ると、もう夕方が近い。


「そろそろバイト行く準備する」

「はーい」


玲奈はベットからソファに移動して、スマホをいじり始めた。


「ね、大和」

「ん」

「ちゃんと面倒な恋、しなよ」


返事をせずに、部屋を出る。


――面倒だから、避けてるのに。







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送り狼に噛まれました。 ふるーる @fleur27

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