第9話 『恋人達』の末路
ズズズ、と地鳴りが近づいてくる。
シルヴィアの爆炎魔術で仲間を焼かれたロックワームの群れが、崩落の隙間から這い出してきたのだ。
怒り狂っているのか、あるいは単に焼けた同胞の匂いに興奮しているのか。
回転鋸のような牙を鳴らし、節足動物特有の不快な駆動音を立てて迫ってくる。
「……ひっ」
シルヴィアが後退る。
魔力は枯渇寸前、精神的にも限界。
戦える状態ではない。
ならば、大人の出番だ。
俺は天測儀を左手で支え、右手でリングを弾く。
チチチ、と回る真鍮の輪が、青白い燐光を撒き散らす。
「いいか、後輩。占星術ってのは、単に未来を覗き見るだけの受動的な技術じゃない」
俺は迫りくる化け物の群れを前に、講義でもするかのように口を開いた。
「戦闘術式としてのタロットは、一発あたりのコストパフォーマンスがいい。タロットそのものが強力な神秘の体現だからだ。その分、融通が利かないのも事実だ」
俺は肩をすくめて続ける。
「タロットは七十八枚もある。その中から戦況に適した一枚を引く確率はあまりに低い。不安定すぎて実戦向きじゃない、それが世間の定説だ」
「な、何を言って……!?」
この期に及んで何を悠長な、と言いたげなシルヴィアを無視し、俺は天測儀に手をかざす。
リングの回転が最高速に達する。
「だが――状況に適したタロットが引けるなら関係ない」
「
天測儀が輝き、一枚のカードを吐き出す。
俺はそれを空中で掴み取った。
描かれていたのは、天からの祝福を受ける男女。
だが、俺の手の中で、それは逆さまに握られている。
『恋人たち《The Lovers》』――逆位置。
「カードの意味は『不和』『対立』『間違った選択』。……そして、『結合の破綻』だ」
俺はカードを指に挟み、手首のスナップを効かせて構えた。
狙いは、群れの先頭を走る、一際巨大な個体。
距離は十メートル。
「本来、ロックワームはフェロモンによって強固な社会性を築いている。個にして全、全にして個。そこには美しいほどの調和がある。まさに『恋人たち』だ」
俺は腕を振る。
「
ただの紙切れであるはずのカードに、運命を強制する魔力が宿る。
「だが、星の巡りが変われば、愛も憎しみに変わるのが世の常だろ?」
ヒュッ!
放たれたカードは、回転しながら一直線に飛翔した。
紙とは思えない鋭利な風切り音を残し、先頭のロックワームの眉間――感覚器官が集中している部位へ深々と突き刺さる。
ギャアアアアアッ!?
ワームが悲鳴を上げ、のたうち回った。
カードが突き刺さった瞬間、その個体を取り巻く『運命』が反転したのだ。
『仲間』という認識が、『敵』あるいは『餌』へと書き換わる。
「さあ、痴話喧嘩の時間だ」
俺はコートのポケットに手を突っ込み、高みの見物を決め込む。
異変は即座に起きた。
カードを刺された個体が、狂ったように周囲の仲間に噛みつき始めたのだ。
そして周囲のワームたちもまた、昨日までの友を「異物」と認識し、一斉に襲いかかった。
ギチギチ、バキバキと、硬い甲殻が砕ける音が響く。
酸液が飛び散り、肉が食いちぎられる。
凄惨な同士討ち。
いや、一方的なリンチか。
「……な、何よこれ……」
シルヴィアが口元を押さえて青ざめている。
無理もない。
目の前で繰り広げられているのは、生物としての本能がバグった共食いの地獄絵図だ。
「言っただろ。『不和』だと」
俺は淡々と解説を続ける。
「あいつの星回りをちょっと弄って、フェロモンの意味を逆転させた。今、あいつは群れの中で『世界で一番美味しそうな肉』であり、『親の仇』に見えているはずだ」
「そ、そんなデタラメな……!」
シルヴィアは信じられないものを見る目で俺を凝視した。
「術式の構成も、魔力の充填もそんな僅かで……!? ただ『行使する《プレイ》』の一言だけで、これほどの規模の精神干渉を行ったというの!? 詠唱の短縮どころの話じゃないわ、法則を無視しすぎよ!」
「詠唱が長いほど偉いってのは、お上品な学院の教えだろ」
俺は鼻で笑う。
「タロットの指し示す運命に従っているのさ、星々の導きのままにってね」
群れはパニックに陥り、団子状態になって転がり回っている。
通路は塞がれているが、奴らの意識は完全に内側に向いている。
俺たちが脇を通り抜けても、気づきもしないだろう。
「行くぞ。奴らが食事を終える前に」
「……食事って……うぷ」
俺は天測儀を懐にしまい、スタスタと歩き出す。
シルヴィアは顔色を悪くしながらも、慌てて俺の背中を追ってきた。
背後からは、まだ咀嚼音が聞こえている。
『恋人たち』の末路はいつだって悲惨なものだ。
それが虫けらなら尚更な。
「……性格、悪すぎない?」
「ご冗談を。俺は指一本触れてないぜ」
こうして俺たちは、泥沼の破局を迎えたワームたちを尻目に、労せずして難所を突破したのだった。
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