第4話 『力』は物理で語る

 初めて潜ったダンジョンは、地下水路に巣食うスライムや巨大鼠を駆除するだけの、初心者向けの浅い階層だった。

 だが、そこは俺にとって地獄の釜の底だった。


「……くそッ、またかよ!」


 俺は泥水にまみれながら、必死に天測儀スフィアを回していた。

 目の前には、野犬ほどの大きさがある巨大鼠ジャイアント・ラットが、薄汚い牙を剥き出しにして俺の喉笛を狙っている。


「星々の巡りよ、示されし札を理へと繋ぎ、運命の導くままに力を顕現せよ」


 俺は震える手でタロットを引く。

 出たカードは――小アルカナ『カップの3』。正位置。

 属性は水。意味は『祝杯』『解決』『癒やし』。


「ふざけんな! 今出てどうすんだよ!」


 俺の叫びも虚しく、タロットは淡い光を放ち、俺の足元に清浄な水を湧き出させた。

 喉の渇きを癒やすには最高の一杯だが、今はただ足場を悪くするだけの嫌がらせにしかならない。それも俺の足場をだ。

 巨大鼠が嘲笑うように飛びかかってくる。

 俺は泥に足を取られながら、無様に転がり回って回避した。


 これが、現実だ。

 学院で学んだ理論も、優雅な星読みも、実戦では何の役にも立たなかった。


 火が欲しい時に水が出る。

 盾が欲しい時に剣が出る。

 逃げたい時に、勇気を鼓舞するファンファーレが鳴り響く。


 俺は杖を振り回し、巨大鼠の鼻先を殴りつけた。

 魔術師にあるまじき物理攻撃。だが、今の俺にはこれしかない。

 手の皮が剥け、膝は擦りむけ、ローブは泥だらけだ。


「はぁ、はぁ……」


 安全地帯の岩陰に隠れ、俺は荒い息を吐いた。

 このままでは死ぬ。

 理由は明白だ。占星術という魔術領域がどう考えても戦闘向きではないからだ。

 正規の占星術の手順は、あまりにも迂遠だ。星の位置を確認し、アルカナの意味を問い、世界との照合を行い、そして詠唱する。

 そうしてやっと、全然意味の無いショボい現象が引き起こされる。

 この愚鈍な術師おれは一体何をしているんだ?

 そんなことをしている間に、モンスターどもは俺の首を三回は食いちぎれる。


 タロットの解釈も問題だ。元素術が強力なのはそれが多くの術者によって多様に解釈され、積み重ねられてきた歴史――伝統による共通認識も大きい。

 占星術は戦闘向きの解釈の積み重ねが希薄で、無秩序だ。


 一般的な魔術領域の術者なら、とりあえずダンジョンに潜れるように2、3の術式解釈を整えておけばいい。それでもそれなりの期間がかかるが、学院の在籍期間にどんな落ちこぼれだって可能な範囲だ。

 占星術師タロット・オーダーは?ランダムに出てくるんだ。158面全てに必要になる。冗談じゃない。俺ですら大アルカナのいくつかに杜撰な戦闘向きの解釈を用意するのが精一杯だった。


 ならば、どうする?

 カードが変えられないなら、変えるべきは――俺のアプローチプレイングだ。アルカナではなく、天測儀スフィアの解釈を俺は用意していた。

 完成されたものじゃない。実戦の中で磨いていくつもりだったからだ。

 だからこれは予定通りだ。俺が予定よりボロボロなことを除けば。


 俺は血に濡れた手で、再び天測儀スフィアを構える。

 意識を切り替える。

 ここは神聖な儀式の場じゃない。カードを広げるならフィールドだ。

 俺は魔術師じゃない。プレイヤーだ。


「……星々の巡りよ、とか。運命の輪よ、とか。長いんだよ、前置きが」


 詠唱は術者のイメージに強く左右される。落ちぶれたと言われても、俺は魔術学院でトップクラスの天才だ。

 その構造を理解し、再構築することなど造作もない。


 複雑怪奇な詠唱句を分解し、圧縮し、翻訳する。

 もっとシンプルに。もっと直感的に。

 俺の魂に刻まれた、カードゲームの作法ルールに準拠させる。

 無茶で無法な解釈だ。

 だが、占星術の戦闘解釈はごく僅かだ。埋もれる余地がない。


 巨大鼠が嗅ぎつけてやってきた。

 俺は天測儀スフィアを強く意識する。


励起せよスタンバイ


 俺の言葉に応え、天測儀が即座に回転を始める。

 余計な修飾語を削ぎ落とされた魔力は、鋭く研ぎ澄まされ、回路を駆け巡る。


展開せよドロー


 光の粒子が集束し、一枚のカードとなって俺の指先に収まる。

 手札に来たのは――小アルカナ『ワンドの2』、逆位置。

 属性は火。意味は『驚嘆』『恐怖』。

 使える!


行使するプレイ!」


 俺は即座にカードを解放する。

 虚空に小さな火花が散り、破裂音と共に巨大鼠の鼻先を焦がす。ダメージは皆無だが、強烈な威嚇効果。

 詠唱時間は数秒。占星術は制御できない代わりに魔力消費が少ないのも特徴の一つだ。コンパクトに放てるのなら、次の魔法が用意引き直しができる。

 まだだ、次だ!


展開せよドロー!」


 次に来たのは『ソードの5』、正位置。

 属性は風。意味は『敗北』『不名誉』。

 相手を打ち負かすための概念武装だ。


行使するプレイ!」


 鋭い風が巻き起こり、飛びかかろうとした巨大鼠をわずかに突き飛ばす。

 巨大鼠が困惑しているのがわかる。

 当然だ。今までの俺なら、一度の詠唱で息切れしていた。

 だが、今の俺は止まらない。プロセスを極限まで短縮した今の俺にとって、魔力消費以外にブレーキはない。


 回転数が上がる。天測儀が唸りを上げる。


展開せよドロー! 行使するプレイ! 展開せよドロー! 行使するプレイ!」


 水飛沫、閃光、突風、イバラの拘束。

 有象無象の小アルカナたちが、正位置・逆位置を問わず矢継ぎ早に具現化し、巨大鼠を翻弄する。

 一発一発は決定打に欠ける。それでも、確率の分母を、回数で稼ぐ。


 そして、七枚目。

 俺の指先に、重厚な魔力が宿る。


 大アルカナXI『力』、正位置。

 描かれているのは、獅子の口を押さえつける女性。

 意味は『勇気』『力量』『不屈』。


「来たな、当たりだ……!」


 本来なら精神論的な勇気を示すカードだが、その解釈を拡大し、内なる獣性を解放すれば、実戦魔術においては精神高揚と身体能力向上のバフをもたらす。

数少ない解釈の用意された大アルカナだ。

 俺はずっと、こういうのを待っていた。


行使するプレイ!!」


 俺はカードを天高く掲げた。

 瞬間、俺の全身から赤いオーラが噴き出した。

 カードが示した『力量』の概念が、爆発的な膂力となって俺の肉体に宿る。

 俺は杖を両手で握りしめ、度重なる現象の嵐に怯んだ巨大鼠の脳天へ、渾身の一撃を叩き込んだ。


 嫌な手応えと共に、巨大鼠が地面に叩きつけられ、痙攣して動かなくなった。

 魔法ですらない、単なる暴力による解決。

 だが、俺は勝った。


「……ははっ」


 乾いた笑いが出た。

 詠唱の簡略化。カードゲーム用語への置換。

 それは、高尚な占星術を「ただのカードバトル」に堕とす冒涜的な行為だ。学院の教授が見たら卒倒するだろう。

 だが成功し、驚くほど速く、鋭く発動した。


 巨大鼠の死骸が霧散し、俺は泥水をすする。

 そして、確信した。


 やはりクソゲーだ。

 毎ターン一枚しか引けない。手札事故は茶飯事。

 そして何より――『デッキ編集ができない』。


 どれだけ解釈を用意しても、タロットの中身が78枚の固定デッキであることに変わりは無い。

 いらないカードを抜くことも、強いカードを複数枚積むこともできない。

 ただ与えられた不変の運命デッキで戦い続けなければならない、質の悪い無理ゲーだ。


 絶望的な仕様だ。

 だが、ゲーマーとしての俺は、逆に冷静になっていた。

 デッキがいじれないなら、やることは一つしかない。


 俺は、巨大鼠が霧散した跡から転がり出た、小さな石ころを拾い上げる。

 微かに魔力を帯びた、なんの変哲もないダンジョン産のゴミ。

 いわゆる『下級遺物コモン・レリック』。

 いくつか集めて少しの金になるぐらいのガラクタだ。


 それでも貴重な戦利品だ。

 俺はそれをポケットに突っ込んだ。


「デッキが強化できないなら……遺物レリックで盛るしかないな」


 腐っても最高学府にいた俺には、様々な情報が入ってきていた。

 その中には、現場の冒険者たちがまことしやかに囁く『見えない力』の噂もあった。


 要は運がよければいいのだ。いつでも最強の右手で最適なカードを引き続けられるなら、デッキの質は関係ない。

 

 最低限の収穫は得た。今の俺に必要なのはダンジョンでの戦闘ではない。


 俺は立ち上がった。  

 泥だらけのローブを引きずり、俺は必要な検証を行うためにダンジョンの外へ足を向ける。

 

 噂の程を確かめてやろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る