【卵】綱渡り

オカン🐷

第2話 綱渡り

 なんぼ臨床例が少ないと言うたかて医者の卵やあるまいし、ここの透析病院では院長と呼ばれているお方やのに。

 難病の黄色靭帯骨化症の臨床例が少ないので見落としがちだからではなく、脊椎ヘルニアの診断をして、車椅子生活に送った患者さんが何人かいてはるんやないの?

 医師会の会報誌にもたまに載っていると思うのやけど何でも知識として取り入れといて欲しいわ。

 2度目に訪ねた脊椎専門のお医者さんも同じ。

 ⅯRI画像を見ながら、「脊柱管狭窄症です。ほおっておいても治ります」やて。

 ああ恐ろしい。


 足が痺れて歩きにくいねん。何かに躓いたわけでもないのに引っ繰り返るねん。

 そやからどうしても治してもらいたくて、往復4時間かけて隣県の医大の門を叩いてん。

 すると医大の先生はⅯRI画像を見ながらこう言われた。

「確かに脊柱管狭窄症ですが、難病の黄色靭帯骨化症に罹患してます。これは手術をしないと治りません」

 ここの病院には世界的にも著名な内視鏡手術のエキスパートがおられると訊いて来たねん。ところが、その先生が退職するんやて。

「透析患者の場合、内視鏡手術は10人に1人が亡くなっています。でも手術をしないと将来車椅子生活になります」

 患者には選択肢がないように思われる。

「退職するので私の診察は今回で終了です。次の先生に引き継ぎます」

 

 1か月後、次に引き継がれた先生は、それほど若くもなく年配と言うほどでもない中堅どころ。

 前の医者と同じことを言った。

「内視鏡手術は透析患者の場合……」

 10人に1人が亡くなるんでしょ。

 麻酔科医にも同じことを言われた。

「透析患者の血管の中は血液が絶えず全力疾走しているわけです」

 えっ、そうなん?

 透析終わりにスポーツジムに往復1時間かけて歩いて行って、体操やらヨガをやっててん。間の日はスイミング。

 血管は全力疾走の上をいって爆発寸前だったのやろか? キャー、怖い。


 「この病気は永岡くんが見付けたの?」

 永岡くんとは前任の先生のこと。

 ひょっとして後任の高見沢先生もわからなかったのやろか?

 ほんのちょっとのすれ違いで、また見落とされる可能性があったということやろか。医療って綱渡り。手術云々より、それの方が怖いんですけど。


 どの部分の神経が悪さをしているのか探すブロック根と言うのをやった。

 その神経に流した電流(たぶん)がヒットすると身体がエビ反りになる。

 うつ伏せになっていて、この体勢はなかなかないことだと思う。

 痛いのを通り越している。雷に打たれたみたい。


 手術の日は娘が仕事を休んで病院まで車で送ってくれることになっていた。

 ところが高見沢先生から電話で手術を一緒にしてくれる先輩医師が1週間前にこっちに来るので、手術の日を前倒しにしたいと言うことだった。先輩医師に手伝ってもらうのは前々から訊いていた。 

 たぶん高見沢先生も、この手術は初めてのことなのだろう。


 

 手術前の麻酔のマスクが口と鼻を覆った。トイレの便器が詰まったときのラバーカップのような透明なシリコンゴム。

「吸って、吐いて」

 グイグイと押し付けられて息が苦しい。その手をどけ……。



 子どもたちの笑い声が聞えた。

 夢をみていたのやろか。

 パッと目を開ける。

「良かった、良かったあ」

 高見沢先生の安堵の声。

 事はほんまに深刻だったようで、どうやら10人に1人にならずにすんだ。



                 【了】


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