第4話
山猿は、気づけば消えていた。
あいつを追う余裕は、今のおれにはなかった。
「ごめん、なさい……あたしのせいだ、……あたし、が、あたしの…………!」
「泣くなよ。そんなヤバイことだったのか? まだよく分かってないけどさ……ヤバイんだろうけど……お前が泣くほどのことなのか?」
「だ、だってぇ……世界が、おわ、終わっちゃう、かもしれなく、てぇ……」
「え、世界が……?」
「し、島が……」
この島が、と舞衣は言い直した。
「一気にスケールダウンしたな……えっと、それで? おれはなにをすればいい?」
「え……?」
「居候だしな。手伝えることがあるなら手伝うよ。……それに、舞衣が原因ならおれにだって原因があるだろうし。だから泣くな、舞衣」
目尻にある大きな涙を、そっと指で拭ってやる。
「舞衣の泣き顔が、一番見たくないんだよ」
「……なんで……。それ、って……」
「いつも元気なやつが泣いてると、他の人より心配する。ヤバイことが起きたのは分かるんだけど、そのスケールがおれにはまだ分からないから……。なのに舞衣が泣くと相当ヤバイんだなってことが分かるから、その、ハラハラするんだよ。やめてくれ……、ヤバイ問題が起こってるんだとしても軽く見せてほしい。こっちは居候なんだ、おれの立場も考えてくれ……めっちゃしんどいぞ」
「………………あんた、ねえ……っ」
泣き顔は消えたけど、今度は怒りが前面に出てきてしまった。
こっちの方が舞衣っぽいけど、でも、やっぱり一番は笑った顔が見たい。
おれにはなかなか引き出せないみたいだけどな。
「う…………ごめん……」
「下手くそ。でも、あんがと」
「おう」
「仲直りはできたか? なら、説明をしよう――問題が起きた。まあ分かっているとは思うが……話し合いをしようじゃないか」
「お、おじいちゃん!?」
「すまないが、悟も巻き込まれてくれ。普段は部外者だが、こうしてこの家に住む以上は避けては通れぬ問題だ。役目の話にもなる――儂の孫なんだ、切り捨てはせんよ」
「……分かったよ、じいちゃん」
覚悟を決めて、じいちゃんと向き合う――と。
舞衣が、おれを盾にして背中に隠れてしまった。
今更、妹っぽいことをしてくるなんて……どうした?
怒られるかもしれない、って思って隠れた?
だとしたらかわいいところもあるじゃないか、と見直した。
「舞衣ちゃん、大丈夫だから、強くは怒らないのよー?」
「でも怒るじゃん!」
「怒るけど」
「怒るならこいつと一緒にっ、こいつを通して怒ってよね!」
「いやなんでおれを……」
「じゃあ悟くんも一緒にお説教だね。……悟くんも、原因だってこと分かってるんだよね? ねえ?」
「…………ですね。ええはい、分かってます、怒られます……お願いします……」
「じゃあふたりまとめてお説教。その後で、みんなで考えましょう――今年の夏休みの過ごし方を」
わくわくするような計画を立てたかったが、今年はそんな暇はなさそうだ。
新学期を迎えるためには、島を飲み込む闇をどうにかしなければならない――自業自得とは言え、厄介な問題だった。
それに、闇だけじゃない。風に乗って島中へ散ってしまった白い札――封印の札だ。
解き放たれた妖怪たちの対処をしなければならないし、さらには、岩戸の山猿。
姿を消したあいつの行方も、把握しておかないと。
じゃないと、どんどんと厄介ごとが増えていくだろう。
……ふと、宿題を思い出した、けど……、
大量に出た宿題が可愛く見えるほど、目の前には問題が山積みだった。
どれから手をつけるべきか。どれも先に手をつけるべきだった。
優先順位を言うならば、闇は後回しでもいい……でも、それが一番脅威である。
そして、闇こそ、おれたちが一番、手を回したい問題でもあった。
…
…
――砂浜。
空から降り立った山猿は、倒れている少女を見つけた。
白い着物を着た……十歳程度の少女である。
「おい。ぐったりしてるが溶けるわけじゃねえよな?」
「んぅ……は、はっ!? どこココ!?」
「言っても分かんねえだろ。とりあえず、オマエは封印から解放された。自由だ、と言っても闇に飲まれるかもしれねえ最悪のリスクがあるが」
山猿の話を聞いていないようで、少女は元々からはだけていた着物を全て、すっぽーんと脱いでしまった。
生まれたばかりの姿でつるぺたーな裸のまま、近くの海へ飛び込んだ。さすがに、彼女が飛び込んでも波が凍る、ということはなかった。
海から顔を出し、長い黒髪を振り回して水を飛ばす……犬みたいな女だった。
女は女でも、雪女である。
白い札に封印されていた、
「あんたはだれなの」
「山猿。そう覚えとけ」
「じゃあ猿、わたしの着物をちゃんと持ってて」
「なんでオレが…………分かったよ……持っとく」
安心した雪女が海へ顔を引っ込め、数秒してから今度は飛び出すように顔を出した。
「やっふぅーっっ、きんもちいぃー!! えへへ、ありがとねー解放してくれてさー」
海でばしゃばしゃと。
波に乗ったり飲まれたりと、楽しむ雪女を見ながら、山猿が素直な感想を吐露した。
「なんだありゃ。あれが雪女かよ……、大人びた美人のお姉さんなんじゃねえのか……。オレの理想を返せってんだよ……っ」
理不尽な偏見だが、そう思われるのも仕方ない。
目の前の彼女のような雪女の方が珍しいのだから。
「あははっ、あはははーっっ!」
「おーい、雪女、下見てみろ」
「ん?」
「薄っすらと見えるんじゃねえか? 闇が――よ」
「ひっ!?」
深海よりもさらに深く……のはずだが。
雪女には見えたらしい……大口を開けた、闇が。
白い歯を見せた、闇が。
ゾッと、雪女が全身を震わせる。
まだ先の話、距離も遠いがそれでも、恐怖は妖怪でさえも縛るのだった。
「なななっ、なにあれなにあれなにあれっっ!?!?」
水の上を走るような勢いで逃げ出し、山猿に抱き着いた雪女。
「おいどけ、やめろ毛皮が濡れて重くなんだろうがッ」
「なんなのあれぇ!!」
「闇だって。四十日後には島を飲み込むぜ? そんで、オレらは逃げるために島を離れることもできねえ……そういう結界だ、最悪だぜ。だからどうにかしなくちゃいけねえわけだが……まあ、時間はたっぷりとある、ゆっくりと考えて生きようじゃねえか」
「あんなのが真下にいるのに楽しめるかぁ!!」
――山猿が、雪女の首根っこを掴んで海へ放り投げた。
放物線を描きながら、雪女の小さな体が海へ着水する。
「いやぁあああああぁあああああああああっっぶびおばぁ!?」
「オレも海は久々だ。こういう状況だからこそ羽目を外すのも悪くねえ」
「ねえねえっ、今の楽しかったからもう一回やってっ!!」
「さっきの悲鳴はなんだったんだ……分かったから、しがみついてくんな」
それから。
何度も何度も、嬉しい悲鳴と共に、放物線を描いて飛んでいく異物が島内の民家から目撃されたのだった。
…読切/おわり
ひと夏の妖島(バケじま) 渡貫とゐち @josho
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