第9話 神崎は、値段のつかないものを嫌う

 神崎は、信じているものが二つしかない。


 数字と、欲望。


 理念も、正義も、善意も、すべて後付けだ。人が本当に動くのは、損か得かが決まった瞬間だけ。その判断を最も正確に、最も早く下せるのが市場だと、神崎は疑っていない。


 だから彼は、起業家であり、投資家であり、調整役だった。

 新しい技術が出れば値を付ける。

 価値が曖昧なら、値段で殴って輪郭を作る。


 値段が付かないものは、存在しないのと同じ。


 それが、神崎の世界観だった。


 その日、彼は自分の机の上に並んだレポートを眺めながら、わずかに眉をひそめていた。


「……伸びてないな」


 再生可能エネルギー。

 蓄電技術。

 分散型電源。


 どれも投資先としては有望なはずだった。政策も追い風。補助金も出る。市場は本来、もっと過熱していい。


 だが、熱がない。


 株価が暴落しているわけでもない。

 資金が引いているわけでもない。


 ただ、期待が伸びない。


 神崎は、タブレットを操作する。


 電力関連スタートアップの資金調達ラウンド。

 想定より、すべてが低調だ。


「理由がないのが、一番気持ち悪い」


 神崎はそう呟き、データを横断的に重ね始める。需要予測、電力価格、先物、為替、政策動向。どこにも決定的な悪材料はない。


 なのに、

 市場が慎重になっている。


 神崎は、背中の感覚で理解した。


 これは恐怖じゃない。

 失望でもない。


 確信の欠如だ。


「……誰か、先を知ってるな」


 市場には、時々こういう瞬間がある。

 理由を説明できる前に、動きが止まる。


 神崎は、別のデータを見る。


 電力価格のスポット取引。

 需要が逼迫するはずの時間帯。


 価格が、上がっていない。


 いや、正確には――

 上がりきらない。


「供給が増えた?

 いや……違う」


 供給側の発表に変化はない。

 発電所も、送電網も、予定通り動いている。


 それでも、

 “足りなくなるはずの瞬間”が、足りている。


 神崎は、椅子に深く腰掛けた。


 市場が反応しない理由は、一つしかない。


 リスクが、織り込めない。


 事故でも、政策変更でも、技術革新でもない。

 どれも“値段を付けられる”。


 だがこれは違う。


 理由が分からないのに、結果だけが出ている。


「……最悪だな」


 神崎は、わずかに笑った。


 値段が付けられない現象は、

 市場にとって最大の敵だ。


 彼は、内部の分析チームにメッセージを飛ばす。


・直近の電力需給データを精査

・異常値ではなく“異常に安定している点”を重点的に

・原因仮説はいらない、挙動だけ集めろ


 すぐに、返信が来る。


「異常はありません」

「ただ、説明しづらいズレが……」


 神崎は、満足そうに頷いた。


「それでいい」


 説明はいらない。

 市場は、説明の前に動く。


 神崎は、さらに一段深いレイヤーを見る。


 保険。

 エネルギー関連のリスクヘッジ商品。


 加入率が、下がっている。


「……命知らずが増えたわけじゃない」


 誰かが、

 大事故が起きないと知っている。


 そうでなければ、説明がつかない。


 神崎は、ここで初めて“方向”を定めた。


 これは技術じゃない。

 これは政策でもない。


 個人だ。


 どこかに、

 市場に出ていない供給がある。


 だが、それを独占していない。

 誇示もしていない。


 神崎は、舌打ちする。


「……一番面倒なやつだ」


 隠す気がないのに、

 売る気もない。


 値段を付ける前に、

 価値そのものが、ズレ始めている。


 神崎は、静かに立ち上がった。


 これは、放っておけば

 市場が壊れる類の異変だ。


 だが同時に、

 最初に値段を付けた者が、世界を取る。


「探そう」


 誰に言うでもなく、そう呟く。


 供給源を。

 理屈じゃなく、挙動で。


 神崎は、確信していた。


 この異変は、

 国家よりも先に、

 市場に牙を剥く。


 そして、市場は必ず――

 独占できないものを、独占しようとする。









□□□



神崎は

「価値を値段に変えないと気が済まない人間」


市場はすでに“説明できない安心”を感じている


神崎は

供給源が「人」である可能性に辿り着いた

(だが正体はまだ不明)


これで三者が揃いました。


黒瀬:理屈で近づき、黙る


鷹宮:察して、踏み込まない


神崎:値段を付けるために、必ず踏み込む


次はいよいよ、三者が同じ方向を向き始める段階です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る