第8話 鷹宮は、踏み込まない

鷹宮は、問題を「解決」する人間ではない。


 彼の仕事は、問題が問題として認識される前に、境界線を引くことだった。危機を排除するのではなく、危機がどこから危機になるのかを定義する。その線を間違えれば、救えるものまで巻き込むことになる。


 だから鷹宮は、即断しない。

 声を荒げない。

 派手な対策も打たない。


 それでも彼は、危機管理の現場で長く生き残ってきた。


 理由は単純だ。

 「分かりすぎない」ことを、意識的に選べる人間だからだ。


 彼の机には、毎朝同じ量の報告書が積まれる。電力、通信、交通、医療。どれも国家の血管のようなものだ。どこかが詰まれば、全体が死ぬ。


 だが、その日の報告書には、奇妙な共通点があった。


 赤が、ない。


 警告色も、注意喚起も、緊急フラグもない。すべてが「正常運転」の形式で揃っている。部下たちは、それを良い兆候だと思うだろう。


 鷹宮は、そう思わなかった。


「……静かすぎる」


 彼は、資料を一枚ずつ、丁寧にめくる。


 事故があれば、数字は暴れる。

 トラブルがあれば、どこかが歪む。


 だが、ここにあるのは――

 何も起きていないように整えられた結果だけだった。


 一枚のログが、彼の指を止める。


 都市部、特定時間帯。

 需要予測と実測値の差分。


 ゼロに近い。

 いや、正確には――欠けている。


「供給した記録はある。

 使われた記録も、ない」


 記録としては矛盾している。

 それでも、システムはエラーを出していない。


 現場が“問題ない”と判断した数字だからだ。


 鷹宮は、息を整える。


 この手の数字を、彼は知っている。


 改竄ではない。

 隠蔽でもない。


 最初から、問題として扱われなかった異常。


 通信ログを重ねる。

 交通系のデータを見る。

 金融、医療、行政。


 どれも正常。

 だが、同じ時間帯だけ、わずかに軽くなる。


 負荷が消えたのではない。

 処理が速くなったわけでもない。


 必要性が、薄れている。


「……誰かが、肩代わりしている」


 言葉にした瞬間、鷹宮は自分を戒める。


 肩代わり、というのは人の言葉だ。

 本来、システムはそんな振る舞いをしない。


 だが、この数字には――

 判断の匂いがある。


 鷹宮は、椅子に深く腰掛ける。


 これはテロではない。

 実験でもない。

 事故なら、もっと痕跡が残る。


 規模が小さすぎる。

 範囲が狭すぎる。


 そして何より、

 「続ける前提」で起きている。


 鷹宮は、ログの表示方法を変える。

 点ではなく、流れで。


 すると、浮かび上がる。


 夜。

 帰宅時間帯。

 短時間。

 不定期。


 まるで、

 誰かが「今日は必要だ」と決めているみたいに。


 ここで、鷹宮は思考を止めた。


 これ以上考えれば、

 「対処」を考えなければならなくなる。


 だが――

 対処できない。


 規制する理由がない。

 摘発する対象もいない。

 被害者が、存在しない。


 むしろ、

 助かっている人間がいる。


 鷹宮は、報告書を束ね、引き出しにしまった。


 会議は開かない。

 上には上げない。

 現場にも戻さない。


 今、線を引けば、

 線の内側に「世界」を閉じ込めることになる。


「……まだだ」


『踏み込まない』それが、彼の結論だった。


 だが同時に、理解している。


 踏み込まなかったからといって、

 この異常が消えるわけじゃない。


 いずれ、名前が必要になる。


 名前が付けば、責任が生まれる。

 責任が生まれれば、守るべきものが壊れる。


 鷹宮は、窓の外を見る。


 夜の街は、何事もなかったように光っている。

 誰も、自分が救われていることに気づいていない。


 それが、一番危険だった。


「……察したな,,,」


 彼は、そう呟く。


 理解しない。

 説明しない。

 踏み込まない。


 だが、

 目を離すこともしない。


 それが、鷹宮という人間のやり方だった。



□□□


3人目のメインキャラの登場です今回の紹介で

「鷹宮=踏み込まないことで支配する人間」

が明確になった

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