第4話 停電では説明できないログ
朝、目が覚めても、部屋は暗くならなかった。
カーテンを閉めたままなのに、エアコンの送風音が静かに続いている。冷蔵庫も、いつも通り低く唸っている。昨日の夜から、何も変わっていないように見える。
――変わっていないわけがない。
俺は、天井を見上げたまま、しばらく動かなかった。
昨日、使った。
一回だけ、と自分に言い訳しながら。
ベッドから起き上がり、スマホを見る。充電は満タン。寝る前に挿した覚えはない。それでも、驚くほど自然に受け入れてしまう自分がいる。
「……よくないな」
独り言が、やけに小さく聞こえた。
大学へ行く準備をしながら、何度も部屋を振り返る。何か光っているわけでも、異様な装置が置かれているわけでもない。見た目は、完全に昨日までと同じ六畳一間だ。
問題は、見えないところにある。
アパートを出る直前、ブレーカーを確認する。主幹レバーは、上がったまま。異常なし。異常がないこと自体が、異常だ。
外に出ると、朝の街はいつも通りだった。通勤する人、ゴミ出しをする住人、遠くで鳴る踏切の音。誰も、昨日の夜に起きたことを知らない。
それでいい。
知られちゃいけない。
午前の講義を終えた頃、スマホが震えた。
大学のシステム通知かと思ったが、違う。
【電力会社からのお知らせ】
心臓が、嫌な音を立てた。
画面を開く。
昨夜発生した電力トラブルについて、
一部データに不整合が確認されています
息が、一瞬止まる。
続けて、短い文。
現在、詳細を確認中です
ご利用者様の設備に問題はありません
「……不整合?」
周囲を見回す。誰も俺を見ていない。講義棟の廊下は、昼休み前で人が少ない。
落ち着け。
停電があれば、ログが乱れるのは普通だ。
そう自分に言い聞かせながら、通知を閉じる。
だが、その言葉に、自分自身が納得していないのが分かる。
午後、図書館で時間を潰していると、学内のWi-Fiに関するアナウンスが流れた。
「昨夜、一部エリアで瞬間的な通信遅延が――」
説明は曖昧で、深刻そうではない。学生たちも気にしていない。俺だけが、その言葉に過剰に反応している。
――範囲は、俺の部屋だけじゃなかった?
嫌な考えを、無理やり振り払う。
夕方、アパートに戻る。ドアを開けた瞬間、昨日と同じ感覚があった。静かすぎる部屋。だが今度は、それに慣れてしまっている自分がいる。
机にバッグを置き、ノートパソコンを開く。何かを調べるつもりはなかった。ただ、いつも通りに電源を入れただけだ。
起動音は、しない。
それでも、画面は点いた。
ネットニュースを開く。
小さな記事が、目に留まった。
【地域インフラ】
昨夜、都市部で観測された
“説明不能な電力欠損ログ”について
原因は現在調査中
欠損。
停電じゃない。
過負荷でもない。
欠けている。
記事は短く、専門的なことは書いていない。一般人向けにぼかされた内容だ。それでも、俺には分かる。
あれだ。
俺が使った瞬間だ。
俺は、ゆっくりと椅子にもたれかかる。
やってしまった、という後悔はない。
だが、確信がある。
完全には隠れられない。
電気をつけた。
それだけのことなのに、世界のどこかに「説明できない空白」が生まれた。
音もなく、光もなく、騒ぎにもならない。
それでも、ログは残る。
数字は、嘘をつかない。
俺は、深く息を吸った。
「……次は、気をつけないと」
そう言いながら、何にどう気をつけるのか、自分でも分かっていなかった。
分かっているのは一つだけだ。
次に使えば、
もう一段階、世界に近づく。
そして、世界は必ず、
その距離を測り始める。
その夜、部屋の電気は消さなかった。
暗闇よりも、
見られていないと思う明るさのほうが、
今は怖かった。
□□□
神崎は
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