第3話
床のマットがふかふかで、それがまた現実っぽくて困る。
シャワーの温度をひねった、そのとき──
「先輩〜、シャワーの温度、ぬるめ派ですか? 熱めなら右に──」
「今その情報!? ていうか、黙っててって言ったよね!」
「了解っす〜!」
やっと静かになったと思ったら──
「……あ、あと、シャンプーは二種類あります。左が無香料、右が柑橘系っす」
「選ばせないで! 黙っててって言ったの、ほんとに忘れた!?」
「すみません……!」
壁越しの声が、ちょっと笑ってるみたいで、くやしい。
「シャワーヘッドの角度、ちょっとクセあるんで──」
「もう喋るな!!」
怒鳴ったあとで、思わず自分の口を押さえた。
……なにこの時間。なにこの人。
──ていうか。
なんで私、後輩男子の家でシャワー浴びてるの?
終電逃して、ネカフェも使えなくて、そしたらなんか当然みたいに誘導されて。
で、なぜか今、シャワー浴びてる。
この状況、説明できる自信ゼロなんだけど。
なのに、彼の声に反応して、つい突っ込んでる私がいる。
「……ほんと、何してんの私」
手のひらに落ちてくるお湯の温度だけが、少しだけ現実をくれた。
でもそれも、すぐに湯気に変わって、天井へ逃げていった。
「……バカ……っ」
シャワーの音にまぎれてつぶやいた言葉は、蒸気に溶けて消えた。
◆
髪をざっと乾かして、借りたTシャツに袖を通す。
少しぶかぶかで、肩が落ちる。匂いは──柔軟剤。たぶん、いつも通りのやつ。
リビングに戻ると、彼はソファの背にもたれてスマホをいじっていた。
「おかえりっす、先輩。似合ってます」
「……何が」
「そのTシャツ。先輩が着ると、なんか女子って感じっすね」
「女子です」
「そうでした!」
こいつ、素で言ってるのがまた厄介なんだよな……。
私はなるべく距離を取るように、ソファの端っこに腰を下ろす。
クッション一個ぶん──いや、気持ちもう半個分遠ざけとこう。
「てか、先輩──まだ眠くないっすよね?」
「……まあ、多少は」
「じゃ、自分もシャワー浴びてきます。ちょっとさっぱりしたくて」
「ん。……どうぞ」
そう言って彼はのそのそと立ち上がって──
何の前触れもなく、Tシャツの裾を引っ張り上げた。
「ちょっ──待って待って待って!?!?」
「え、なにか?」
「ちょ、今わたし居るから!!」
「えっ……あ、でも自分、男っすよ?」
「知ってるけど! そういう問題じゃないの!!」
その夜、境界線が曖昧になって。 緋室井 茜音 @himuroi
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