第2話
高橋雪夜の勧誘に失敗した夏目真衣は、グラウンドに戻り、黙々とマネージャーの仕事に戻っていた。
ボールを拭き、用具を整えながらも、頭の中にはさきほどの会話が何度も蘇ってくる。
――やっぱり、今日も駄目だった。
「どうしたの、真衣ちゃん」
声をかけられて顔を上げると、そこに立っていたのは野球部一年の六条遊人だった。幼い頃から一緒に過ごしてきた、気心の知れた幼馴染である。
「うん……今日も、高橋君の勧誘に失敗しちゃった」
力なくそう答えると、六条は小さく頷いた。
「そうか……また高橋君に断られたんだ」
「そうなの。どうしたら、野球部に入ってくれるのかな……」
思わず漏れた呟きに、六条は少し考えるような表情を見せた。
「野球部に、か……難しいかもしれないね。本人がやりたくないって言ってるなら」
その言葉に、夏目は唇を噛んだ。
「でもね……私、高橋君が中学時代、楽しそうに野球をしているのを見て、ファンになったの」
「ああ、確か……サインを欲しがってたよね」
懐かしそうに言う六条に、夏目は小さく笑った。
「うん……。だから、あの頃の高橋君みたいに、楽しく野球をしてほしいの。これって……私の我儘なのかな」
不安そうに問いかけると、六条は首を横に振った。
「そんなことないよ。むしろ、迷っているように感じるけどな」
「……そうなのかな」
「本当に嫌だったらさ、真衣ちゃんの話を聞かずに、すぐ帰ると思うよ」
その言葉に、夏目の胸が少しだけ軽くなる。
「もし、そうなら……高橋君には野球部に……ううん、野球をしてほしいの」
「そうだね。そうなったら、うちも試合ができるようになるしね」
東鶴間野球部は、マネージャーを含めても九人しかいない。
女子は公式戦に出られない以上、現状では試合すら組めない状態だった。
「それもあるかもしれないけど……」
夏目は、ゆっくりと言葉を続けた。
「私はただ、高橋君が昔みたいに、野球をしている姿が見たいだけなの……」
「うーん……やっぱり、もう一度勧誘するしかないかな」
「うん、そうするつもり。高橋君のこと……諦めきれないの」
そう言い切ると、六条は少し苦笑しながら頷いた。
「まあ……気がすむまで行動したほうがいいよ。後悔しないようにね」
その言葉に背中を押されるように、夏目は決意を固めた。
――もう一度、高橋雪夜を勧誘しよう。
それが、今の自分にできる唯一の答えだった。
「でもさ……高橋君が野球部に入ってくれたら、捕手は三人になるんだよね」
六条の言葉に、夏目は小さく頷いた。
東鶴間野球部の捕手は、キャプテンである三年の渡辺と、二年の中山の二人しかいない。捕手というポジションを考えれば、決して余裕があるとは言えなかった。
「そうだね。捕手が二人だけだと、何かあった時に大変だし……」
「それにさ」
六条は続ける。
「高橋君、打撃もいいだろ。うちみたいな弱小野球部に入ってくれたら、この野球部も変わるんじゃないかなって思うんだ」
「うん……」
夏目は一度、視線をグラウンドに向けてから、少し声を落として言った。
「実はね……高橋君だけじゃなくて、高柳龍二郎君と天宮真十郎君にも勧誘してみたの。でも、みんな野球部には入りたくないって、断られちゃった」
「そっか……」
六条は無理に明るく振る舞うこともなく、静かに答えた。
「仕方ないよ。みんな、それぞれ理由があるんだろうから」
「うん……それは分かってる」
夏目はそう言いながらも、胸の奥に残る悔しさを押し込める。
「でもね、彼らが入ってくれたら……うちの野球部、変わるかもしれないって思うの」
「そうだよな。弱小だからって言って、試合もできないのは……正直、つらいよ」
六条の言葉に、夏目は強く頷いた。
「できれば……高橋君だけでも、入ってくれたらいいのに」
「……そうだね」
六条は、少しだけ間を置いてから、優しく言った。
「真衣ちゃん。後悔のないように、だよ」
「……ありがとう、遊人君」
その一言で、夏目の中にあった迷いは、ゆっくりと形を変えていった。
――明日、もう一度。
夏目真衣は、明日、高橋雪夜を勧誘することを心に決めた。
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