その恋愛フラグ、折らせていただきます。番外編 ~その卵焼きは、甘いか塩っぱいか、あるいは愛か~

すまげんちゃんねる

その卵焼きは、甘いか塩っぱいか、あるいは愛か

 世界には二種類の人間がいる。

 スポットライトを浴びて物語の中心を歩く「主役しゅやく」と、その背景として消費される「背景モブ」だ。

 私、彩葉あやは一心いっしんは後者としての生き方に絶対の誇りを持っている高校二年生である。

 目立たず、騒がず、石のように。

 かつて中学時代、身の程知らずにも物語の中心メインキャストになろうとして人間関係を派手に爆散させた「黒歴史くろれきし」を持つ私は、高校生活において鉄の誓いを立てていた。

 ――二度と、主役にはならない。平穏無事な背景Aとして、エンドロールにすら名前の載らない日常を全うするのだと。


 しかし神という名の悪趣味なシナリオライターは、私のささやかな願いを嘲笑うかのようにとんでもない「バグ」を私の隣に配置した。

 九重ここのえとおる

 私の右隣の席に座る彼は、サッカー部のエースにして成績優秀、誰にでも分け隔てなく優しいという、少女漫画から抜け出してきたような天然記念物級の「正規せいきヒーローヒーロー」である。

 本来なら日陰の苔である私と太陽である彼が交わることなど、天地がひっくり返ってもあり得ない。

 だが四月の席替えという不可抗力に始まり、度重なるフラグイベントと彼のとんでもないポジティブ思考(=鈍感力)、そして私のとった数々の回避行動がすべて好意に誤変換された結果、私たちは現在奇妙な共犯関係を結ぶに至ってしまっていた。


 名付けて、「友達βテスト」。

 直近に控えた体育祭での二人三脚やリレー連携を深めるという大義名分のもと、期間限定で「友人としての相性」を検証するお試し期間である。

 これはあくまでテストプレイであり、正式サービス、すなわち恋人や親友への移行を約束するものではない。

 そう。これはビジネスライクな契約なのだ。

 だから昼休みの屋上へ続く階段の踊り場という、誰も来ない聖域サンクチュアリで二人きりで昼食をとっていても、それは決して「デート」などという浮ついたものではなくあくまで今後の運用方針を話し合う「定例会議」なのである。


「……彩葉さん。箸、止まってるぞ」


 すぐ隣から聞こえた声に、私は脳内での長大な状況説明を中断し現実に引き戻された。

 視線を向けると、そこには無駄に顔の良いラスボス、九重透がキョトンとした顔で私を見ている。

 階段の窓から差し込む逆光を浴びた彼の髪がさらさらと揺れ、制服のシャツから覗く首筋には部活明けのような健康的な汗が滲んでいる。存在そのものが高画質HD。私の荒いドット絵のような存在感とは雲泥の差だ。


「……思考しこう整理デフラグ中だった。気にしないでくれ」

「でふらぐ?また難しい言葉使ってるな」

 九重は屈託なく笑うと、すでに空になった自分の弁当箱を片手に、私の手元を興味深そうに覗き込んできた。

 男子高校生の食欲というのは恐ろしい。彼のでかい弁当箱には、唐揚げやらハンバーグやらがぎっしりと詰まっていたはずだがものの数分で消失している。

「ていうか彩葉さんの弁当、今日は一段と独創的だな」

「……言葉を選ばなくていい。芸術とは常に、凡人の理解を超えた場所にあるものだ」


 私は自分の膝の上に広げられた弁当箱を見下ろした。

 白米の雪原の隣に、漆黒の闇が広がっている。

 それは焦げたとか失敗したとか、そういった料理の次元を超越した「虚無」の塊だった。

 物体X。あるいはダークマター。

 かつてはたまごと呼ばれていたはずの、その哀れな成れの果てを前に私は重々しく口を開いた。


「これは、昨晩の激闘の傷跡だ」

「激闘?」

「そうだ。……話せば長くなるが、聞くか?βテスターとして、私のパーソナルな情報にアクセスする権利を一応は認めるが」

「うん、聞く聞く。まだ昼休み時間あるし」


 彼は膝を抱えるように座り直し、面白そうに私を見た。

 その私の話すことなら何でも肯定してくれそうなまっすぐな瞳が、少しだけこそばゆい。

 私は咳払いを一つして、昨日の夕方の「戦場」について語り始めた。


          ***


 昨日の放課後、一六時五〇分。

 私は、駅前のスーパー『スーパー・バリュー・マート』の特設コーナー付近に潜伏していた。

 周囲には、歴戦の猛者たち――通称「おばちゃん」と呼ばれる近隣最強の特売品ハンター部隊が殺気立って集結している。

 彼女たち、そして私の獲物はただ一つ。

 一七時から実施されるタイムセール、先着五〇名様限定『森のめぐみ・極上赤玉ミックスLサイズ』ワンパック九八円である。


 通常価格二九八円の高級ブランド卵が、三分の一以下の価格で手に入る。

 私の家は決して貧困にあえいでいるわけではない。両親は健在だし三食食べるに困ることもない、ごく一般的な家庭だ。

 しかし私個人に限って言えば、常に財政難である。

 なぜなら限られたお小遣いの大半を、ライトノベルや漫画、推しのグッズといった「聖遺物アーティファクト」の収集に充てているからだ。

 加えて今月より、母との間で『昼食代の現金支給および自活に関する協定』が結ばれた。

 簡単に言えば、母が弁当作りをストライキした代償として昼食代が現金で支給されることになったのだ。

 これを学食や購買で浪費しては、ただ腹が満ちるだけで終わる。

 だが自ら激安食材を調達して弁当を作り、原価を極限まで抑えれば――浮いた差額はすべて、私の『軍資金』へと還流キックバックされる。

 ゆえにこの卵確保ミッションは、単なるお使いではない。一円の差が来月の新刊購入を左右する、私の生存戦略そのものと言っても過言ではないのだ。


(……負けられない)


 私は買い物かごを盾のように構え、戦闘態勢を取った。

 この日のために体育の授業で培った無駄な俊敏性と、書店のワゴンセールあさりで鍛えた動体視力を総動員する覚悟だった。


 一七時。

 店内にタイムセールの開始を告げる軽快なチャイムが鳴り響く。

 同時にバックヤードから「本日の目玉品!」と書かれた幟を持った店員が現れ、山積みのワゴンがガラガラと戦場に投入された。


「っしゃああああ!いくわよォ!!」

「どきなさい!私が先よ!」


 怒号。咆哮。そして肉弾戦。

 それはまさに地獄絵図ヘルスケープだった。

 主婦たちの鋭い肘打ちがわき腹に入り、カートが足の小指を轢断れきだんしようと迫る。

 まともにぶつかれば、フィジカルの弱い私は一瞬で弾き飛ばされ、藻屑と消えるだろう。

 だが私には「モブにはモブの戦い方がある」という信念があった。

 真正面からの突破(勇者プレイ)はしない。あえて主戦場を避け、調味料コーナーの棚の隙間を縫うようにショートカットし、敵の死角から忍び寄るアサシンスタイルだ。

 ステルススキル発動。気配を消し、戦場の混沌を俯瞰ふかんする。


 狙い通り、主婦たちが押し合いへし合いしている塊の、ほんのわずかな隙間が見えた。

 そこだ。

 私は床を滑るように身を低くし手を伸ばした。

 あと少し。あと五〇センチ。

 黄金色に輝く『森のめぐみ』のパッケージが見えた。

 勝利を確信し私が指をかけた、その時だった。


「あら、ごめんあそばせ!」


 凄まじいプレッシャーと共に、一人の女性が私の視界を覆い尽くした。

 それは全面ヒョウ柄のシャツを着た、見るからに大阪のオカン然とした強キャラ感を漂わせる貴婦人だった。

 彼女のハンドスピードは音速を超え、私の目の前にあったラスト2パックの卵を、両手で同時に華麗にかっさらっていったのだ。


(――なッ!?)


 速い。あまりにも速すぎる。

 これが家庭という戦場を守り抜いてきたベテランの技、二刀流(ダブルハンド)か。

 私の手は空を切った。絶望が脳裏をよぎる。

 九八円の卵。浮くはずだった二〇〇円。買えるはずだった百均の推し活グッズ。

 走馬灯のように駆け巡る欲望たちが、指の隙間からこぼれ落ちていく。


 しかし。

 すべてを奪ったと思われたその貴婦人は、二つ取ったパックのうちの一つをふと、立ち尽くす私の方へ差し出したのだ。


「お嬢ちゃん、ごめんねぇ。勢い余って二つ取っちゃったけど、うちは今日息子が晩飯いらないって言うのよ。だから、一つあげるわ」


 彼女はニカッと笑った。

 その屈託のない笑顔は、どこか既視感のある太陽のような明るさを持っていた。

 敵だと思っていた相手からの、慈悲深き施し。

「え、あ、ありがとうございます……!」

「いいのよいいのよ!未来ある若者は、しっかり食べて大きくなりなさい!」

 彼女は私の背中をバンと叩くと(攻撃力が高かった)、レジの方へと嵐のように去っていった。


 こうして私は奇跡的にブランド卵を手に入れた。

 だがその代償は大きかった。

 精神的・肉体的な疲労により、帰宅後の私の調理スキルは著しく低下(デバフ状態)していたのだ。

 夕食を作る気力すら残っておらず、翌日の弁当用にと朦朧とする意識の中で卵焼き器に向かったのが運の尽き。

 気づいた時には、手元が狂って砂糖を致死量投入しており、さらには火力調整をミスして漆黒のカーボン物質を生成してしまっていたのである。


          ***


「……というわけで、昨日は大変だったんだ。この黒い物体は私の生存本能とオタ活への執念、そして肉体的限界が生み出した悲劇のモニュメントなのだ」


 私が壮絶な昨日を語り終えると、九重は目を丸くした後、お腹を抱えて声を上げて笑った。

「あはははは!マジかよ、そんなドラマがあったのか!彩葉さん、やっぱ話すべらないなー!」

「笑い事ではない。これは生存競争だ」

「いやー、すげえよ。たかだか数百円のためにそこまで体張れるとか尊敬するわ」


 彼は笑い涙を拭いながら、私の弁当箱の中の「モニュメント」を指さした。

「で、その激戦の勲章、どうすんの?まさか捨てる?」

「馬鹿を言え。見ず知らずのヒョウ柄の人から譲り受けた命だぞ。粗末になどできるか。原価償却のためにも、食べるに決まっている」

 私は悲壮な決意と共に箸を伸ばし、その黒い塊を摘み上げた。

 見た目は完全に木炭。匂いも香ばしいを通り越して、火事場の跡地のようだ。

 多少炭化していようが胃に入れば栄養素だ。そう自分に言い聞かせる。

 観念して口に放り込もうとした、その時。


 ヒョイ、と。

 横から伸びてきた箸が、私の箸先から黒塊を奪い去った。


「――は?」


 私の思考がフリーズする間もなく、その箸の持ち主――九重透は、あろうことかそのダークマターを自分の口へと運んでしまった。


「んぐ」


「ちょ、お前……!?」

 私は絶句した。

 咀嚼する彼。呆然とする私。

 待て待て待て。色々と情報量が多い。

 まず人の弁当のおかず(しかも失敗作)を強奪するという暴挙。

 そして何より彼が使っているのは「自分の箸」だ。私が直前まで使っていた箸とは接触していないとはいえ、これは精神的な距離感として非常に危険な領域に踏み込んでいるのではないか。

 私の脳内で【警告アラート】の文字が明滅する中、九重は難しい顔をしてそれを飲み込み呟いた。


「……甘い」

「……え?」

「見た目は完全に炭なのに、中身は砂糖の暴力だ。これ、致死量ってレベルじゃねえぞ。喉焼けるかと思った」

「だから言っただろう!疲労による計量ミスだと!」

 顔から火が出る。

 恥ずかしい。天下の九重透にこんな失敗作を食べられるなんて。しかも感想が「砂糖の暴力」。モブとしての沽券に関わる。


「文句があるなら返せ!もう胃の中だろうけど!」

 私が抗議すると、彼はケラケラと笑いながら自分の空になった弁当箱とは別の、包みの中から小さなタッパーを取り出した。

 蓋を開けると、そこには黄金色に輝く料亭のような美しい卵焼きが鎮座していた。


「ほら、お詫びの交換。俺ん家のは甘くない出汁巻きだから」

「……は?」

「さっきの炭の口直しに食ってくれ。お袋の味だけど自信作らしいし」

 彼はタッパーごと私に押し付けてくる。

「……いらない。借りは作りたくない」

「いいって。俺、甘いのも嫌いじゃないし。あの炭、見た目はヤバかったけどなんか元気出る味だったよ」

 彼は本当に美味しそうに(あるいは楽しそうに)笑った。

「それにさ、その黒こげになった卵」

 彼が悪戯っぽく、私の空っぽになったおかずスペースを指さす。

「さっき話してた『スーパー・バリュー・マート』の特売品だろ?あのタイムセールの」


「えっ……。な、なんで分かったの」

 確かにさっき話したけれど、私が語ったのは「おばちゃんとの死闘」だけで、細かいことや彼がそれを知っていることなど――。

 驚く私に彼はカバンからスマホを取り出し、写真を見せてきた。

 そこには冷蔵庫の中にある、私と同じ『森のめぐみ』のパッケージの卵が写っていた。


「昨日の夜、お袋が自慢してたんだよ。『今日のタイムセールで、ヒョウ柄の服着て本気出した甲斐があったわー!』って。最後の一個を、なんか必死そうな女の子と分け合ったとか言ってたけど」


 思考が停止する。

 ヒョウ柄。

 豪快なハンドスピード。

 太陽のような笑顔。

 そして、「息子が晩飯いらない」という言葉。


「…………嘘、でしょ」


 点と点が線で繋がる。

 あの戦場で私に卵を譲ってくれた貴婦人。

 あれは、まさか。


「九重、お前のお母さん……ヒョウ柄、なのか」

「おう。大阪のおばちゃんリスペクトらしい。学校の行事に来るときは地味な格好してるけど、普段はあんな感じなんだよ」


 私は天を仰いだ。

 なんという偶然ぐうぜん。なんという因果。

 私たちが今、こうして屋上で卵の話をしている背景に、昨日のスーパーでの彼のお母さんとの激闘と交流があったなんて。

 神様の書く脚本は、時としてラノベ以上に強引でそして粋だ。


「……完敗だ」

 私は脱力し、彼から渡されたタッパーの卵焼きを口に入れた。

 じゅわりと上品な出汁の風味が広がる。

 塩加減も絶妙で、焦げなど微塵もないふわふわの食感。

 私のダークマターとは生命体としてのランクが違う。


「……悔しいけれど、美味しい」

 素直な感想が漏れる。

「だろ?うちのお袋、料理だけは天才的なんだよ」

 彼は自慢げに胸を張る。

 その誇らしげで嬉しそうな顔を見ていたら、なんだか肩の力が抜けてしまった。


「……どうも」

 私は小さく礼を言った。卵焼きの味と、昨日の彼のお母さんへの感謝と、そして何より今のこの時間の心地よさに対して。


「おう。βテストの成果報告としては、上々ってとこかな」

「……評価基準が甘すぎるぞ、審査員」


 午後の予鈴が鳴り響く。

 私たちは弁当箱を片付け、立ち上がった。

 ただの卵焼きの交換。

 たったそれだけの日常の些細な一コマ。

 けれど、その黄色い切れ端が、私と彼の間にある見えない壁をまた一枚、薄くしてしまった気がする。


「なあ、彩葉さん」

 ドアノブに手をかけた彼が振り返らずに言った。

「一つ、問題出していいか?」

「……私が数学担当で、お前は生徒役のはずだが」

「勉強じゃなくてさ」

 彼は少しだけ声を潜めた。

「偶然同じ卵を食べて、偶然同じ場所にいて、偶然……こうやって笑い合えてる確率って、どのくらいだと思う?」


「……計算不可能だ。変数が多すぎる」

「だよな。……でも俺はそれを『運命』って呼ぶのは、ちょっと恥ずかしいからさ」

 彼はちらりとこちらを振り向いた。

 逆光の中で彼がどんな表情をしていたのか、私にはよく見えなかった。

 けれどその声は、春の日差しのように温かかった。


「とりあえず、『必然』ってことにしておこうぜ。……かいなしよりはマシだろ?」


 そう言って、彼はドアを開けて先に歩き出した。

 残された私は熱くなった頬を手の甲で冷やしながら、口の中に残る出汁巻きの余韻を噛み締めた。


 確率論でも運命論でも説明のつかないこの関係。

 友達以上、恋人未満、βテスト中。

 定義できないこの距離感こそが、今の私にとって最大にして最難関の問題もんだいなのだと改めて思い知らされる。


「……ずるいよ、まったく」


 甘いのも塩っぱいのも。

 全部ひっくるめて「美味しい」と言ってくれる彼に、私はとっくに完敗しているのかもしれない。

 私は空っぽになった弁当箱を鞄にしまい、彼の背中を追って階段を降りていった。

 胸の奥で響く心臓の音は、相変わらず騒がしいままだった。


(了)

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その恋愛フラグ、折らせていただきます。番外編 ~その卵焼きは、甘いか塩っぱいか、あるいは愛か~ すまげんちゃんねる @gen-nai

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