第28話
「ただいま」
「おかえりなさい。……ってついな、もしかして泣いて……いや、すごい弾けるような笑顔……?」
「お母さん、これお土産」
帰宅したついなは、母からの追及を躱すためお土産を押し付け、洗面台で素早く顔を洗って泣き顔を隠滅した。
「牧場のお饅頭と……練り切り? ついな、デートに行ってたのよね?」
「うん。牧場デート」
「これは……健全、と言っていいのかしら」
「ぬう……?」
可愛い可愛い一人娘が男とデートに行く、ということが不満だった父親も、予想外のお土産に困惑を隠しきれない。
「そうだ、晩御飯は食べるのよね?」
「うん。でもちょっと後で食べる」
そうして自室に入ったついなは、まずは部屋着に着替えてほっと一息吐く。
そこでやっと胸中に隠し続けていた歓喜を静かに爆発させた。
「……やった、やった。作戦、成功」
およそ半年間に亘る作戦が、今日をもって成功という形で終了した。
喜びのあまりベッドに飛び込み、布団を抱えてゴロゴロと左右に転がる。
「あのとき、ああしてよかった」
事の起こりは高校に入学してすぐだった。
自分があまりにもモテすぎていることに、ついなは強烈な違和感を抱いていた。
中学生の頃から異性に人気があったし、告白などをされることも珍しくはなかった。しかしそれでも、一日に複数人から、しかもそれが一ヶ月以上続くとなると常軌を逸している。
さらにその頃に出会ったのが、天原神次という男子生徒。
ついなはこの少年に、一目惚れをしてしまった。
しかし異性からアプローチをかけられた経験は数え切れないほどあれど、ついなからアプローチしたことは全く無い。
どうすればいいのかもわからず、ただ近付こうとしてぶつかるという失敗を何度もしてしまう。
だが、そのおかげで天原神次と面識を持つことになり、やがて相談を持ちかけられるようにもなり、そして義妹の話を聞いた瞬間――ついなから見る世界が一変した。
この世界は多分、何かの創作物の世界だ。
漫画なのかライトノベルなのか、はたまたゲームなのか。
媒体は不明だが、ジャンルだけはわかる。ラブコメだ。
高校に入学したばかりの主人公と、何人かの女の子が織りなすドタバタの恋愛模様をコミカルに描く。そんな作品だろう。
天原神次。天ときて神。なかなかに目出度く、珍しい名前だ。
そこへきて、高校入学と同時に一つ年下の義妹と一つ屋根の下で暮らすことになるのは、もう珍しいを通り越して異常だ。普通なら大学進学等で、息子が家を出るのを待ってから再婚するものだろう。
まるで何かの主人公みたいな――そんな考えが頭の片隅をよぎった瞬間、思考を縛っていた鎖のようなものが砕け散ったのがわかった。
これまでずっと物語の登場人物として思考の一部が操られていたことと、それから解き放たれた感覚。これを味わってしまっては、与太話だと笑い飛ばすこともできなかった。
認めざるを得ない。この世界は多分、何かのラブコメの世界だと。
そして、それを自覚して取るべき行動は――
「様子見」
当時を思い出したついなが、ベッドの上でぽつりと呟く。
天原神次の義妹の話を聞いた瞬間、それまで抱いていた彼への恋心は綺麗さっぱり消え去り、得体の知れない何かに感情を操られていた気持ち悪さしか残っていなかった。
だが何もかもがよくわからない状態で天原神次を拒絶すると、どんな悪影響があるのかもわからない。
なので天原神次から相談された義妹と関係を改善させる方法については、適当に自分がされて嬉しいことを答え、一旦は現状維持をしながら様子見することにした。
そして――――またすぐ好きになってしまった。
「まさかわたしにも餌付けしてくるとは。しんじはスケコマシ」
感情そのものは消えたとはいえ、好きだった頃に話したことや、そのときの自分の気持ちは記憶に残っていた。どうしても悪い印象は抱けない。
実際にまた話をしてみても、話のリズムや空気感、価値観から距離感まで、何もかもが合ってしまう。
話をしていて心地よく、話をしなくても苦にならない。どう考えても相性が良かった。
「それにわたしの話し方と性格を長所って言うし」
ついなが十分に自覚していて、さらに唯一他人からも指摘される短所だった。
強いコンプレックスだった部分を褒められては、どうしても意識せざるを得ない。
「なのに見た目は全然褒めないし」
高校に入ってから、うんざりするほど褒められてきた容姿。
誰もが外面を褒め称え、誰もが内面を見ない。
ただ唯一、容姿を無視して性格や成績、料理の腕といった内面だけ褒めてくる男。
ついなはコロッといってしまい、そこからも話をする度に好きになっていってしまう。
そこでついなは、まず敵情を把握することにした。
ここはラブコメの世界で、想い人はその主人公。となれば敵は他のヒロインだ。
そして、探す方法にも既に当たりをつけていた。
奥宮ついな。奥宮はともかくとして、ついなが珍しい名前だという自覚は昔からあった。
そこで天原神次と共通する何かがないかと探してみると、それはあっさり見つかった。神道関係だ。
天原は高天原。神次は神事。
奥宮はそのまま奥宮。ついなは追儺。
ラブコメの主要人物は、神道関係から名付けられている。その考えに至るまで、さしたる時間は要さなかった。
あとは学校の中で神道に関係しそうな名前を探せば……すぐに発見し、この考えが正しかったとついなは確信した。
神楽舞。二年二組の生徒で、三年生を差し置いて生徒会長。
さらに眉目秀麗で文武両道。これほどわかりやすいヒロインもいないだろう。
ついなのこの半年間は、この神楽舞と天原神次を接触させないことに腐心した日々だった。
目下の敵を発見したついなは一計を案じ、即座に実行する。偽の恋人関係だ。
名目上はついなの男関係の悩みを解消しようというものだったが、本当の目的は逆。
つまり「しんじはわたしのだから、ほかの女は近付かないで」とアピールすることにあった。
普段関わりの無い生徒と接触がありそうな体育祭等の行事では、ずっとべったりくっ付いてガードしていたほどだ。
さらに言えば――偽の恋人関係は、ラブコメにおいて最強。
その関係にさえなってしまえば、あとは勝手に仲が深まり、最終的には本当にくっ付くことになる。
唯一その作戦に誤算があったとすれば、それは夏休み。
「……口実が無かった」
本当なら毎日でも会って、花火大会やプールにも遊びに行きたいところだったが、それに誘う口実が全く無い。
ついなは夏休みの間、どうかしんじがアルバイトで忙殺されて女と遊ぶ暇がありませんように、と願うしかなかった。
幸いにして夏休みは何も無かったようだが、焦りからついなは二学期に入ると若干暴走してしまう。
「距離感を縮めるのは無理があったかも……」
友人たちからとんでもない話を盛られてしまったが、それを利用しての作戦だった。
ただ互いの距離を縮めたい一心での提案だったが、少々強引すぎたと反省する。加えて時期も悪かった。
そして最も危険だったのは恐らく文化祭。あの日だけは何が何でも二人きりになって、行動を制限する必要があった。
「二年二組に行かれたら、ぜったい何かあったはず」
ついなが自分のクラスである一年四組に行きたくないのも本音ではあったが、それはどちらかというとカモフラージュが目的。
二年二組だけ行きたくないと言うと不自然かと思い、より印象が残りそうなクラスを挙げたという形だった。
そこからはどう誘おうか悩んでいたデートに誘われ、トントン拍子で話が進んだ。
後日陶芸のために再びデートに行くことにする等の小細工も駆使しつつ、一日中存分に楽しみ……。
「それで、それで……しんじがわたしのこと、すきって言った」
偽の恋人関係を終わりにしたいと言われたときはショックで気を失いそうだったが、結果としては万々歳。
またしても布団を抱きしめ、ベッドの上で左右に悶え転がる。
しばらく経ってから落ち着いたついなは、立ち上がって勝利宣言をした。
「本当のヒロインが誰だったか知らないけど、わたしの勝ち」
恋愛とは先手必勝。早い者勝ち。
誰よりも早くに仕掛け、他の追随を許さぬままゴール。鮮やかな完勝だった。
ついなは食事中も両親との会話は上の空でふにゃふにゃした笑顔を浮かべ、そして時には顔を赤らめてしまう。
デート帰りにそんな状態になれば何を考えているのかは割とバレバレで、父親は歯噛みし、母親には呆れられてしまう。しかしついなはお構い無しに、明日から始まる本当の恋人との逢瀬に胸を膨らませる。
ついなは、幸せの絶頂にあった。
◇◆◇◆◇◆◇
「ハッハッハッハ」
家に帰った俺は、上機嫌が止まらなかった。念願叶ったのだから当然なんだが、梓は呆れるような目でじっと見てくる。
「あの、どうしたんですか」
「ん? どうって言ってもな……あ、お土産だ。食え食え」
デートのお土産をどっさり梓に手渡す。練り切りはともかく、牧場の方は梓が好きそうなものを買い込んでみた。
「こんなに……」
「妹が兄に遠慮するな。ハッハッハ」
梓の頭をぽんぽんと撫でる。普段なら絶対にやらないが、今はちょっと気が大きくなっているからついやってしまう。許せ梓。
ともかく告白が成功したんだ。あとは風呂入って飯食って、寝て起きたら恋人に会える。
いやあ、明日が楽しみだ。
次の更新予定
何かのラブコメ 東中島北男 @asdfasdfasdf
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。何かのラブコメの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます