特別対応は一度きり
あまいこしあん
特別対応は一度きり
彼は、そこそこみっちゃんの配信に顔を出している既存リスナーの一人だった。
最古参というほどではない。
だが、配信の空気も、コメントの流れも、スパチャの投げどころも、ちゃんと分かっている。
何より、Vtuberという文化そのものが大好きだった。
「中の人」を詮索しない。
距離を越えない。
舞い上がらない。
それが彼の中の、絶対的なルールだった。
ただひとつだけ、変な癖があった。
みっちゃんはグリズリーだ。
――いつか、噛まれたい。
もちろん本気じゃない。
ネタだ。
分かっている。
分かっているからこそ、軽く冗談として、たまにコメントに混ぜる。
〈いつか噛んでください〉
〈グリズリーだから、なんちゃってー〉
みっちゃんは、だいたい笑って流す。
「ダメです。危ないからね」
コメント欄も、それを分かっている。
〈いつもの〉
〈今日も通常運転〉
そんなやり取りが、いつもの配信だった。
その日は、少しだけ違った。
配信も終盤。
長時間しゃべり続けたせいか、みっちゃんのテンションはゆるく、少しだけ本音寄りだった。
「今日もありがとうね。
みんながいるから、続けられてるよ」
彼は、いつものようにコメントを打つ。
〈こちらこそです。いつも助かってます〉
しばらくして、みっちゃんがそれを拾った。
「……あ、 ○○さん。
ほんと、いつもありがとね」
一瞬の間。
そして、少し迷うような声。
「……えっとさ」
コメント欄がざわつく。
「今日だけ、今回だけね」
画面の向こうで、彼女は小さく息を吸った。
「……がぶ♡」
たったそれだけ。
コメント欄は一瞬静まり、次の瞬間、笑いと驚きで埋まった。
〈!?〉
〈今の聞いた?〉
〈特別対応だ〉
彼は、ちゃんと分かっていた。
これはサービスだ。
配信上の、冗談としての「がぶ♡」。
ここから先は、越えない。
だから、変に舞い上がらない。
変な言葉も送らない。
代わりに、少額でも高額でもない適度な額のスパチャを投げる。
〈ありがとうございます。
今日も楽しかったです〉
それだけ。
みっちゃんは少し照れたように笑った。
「こちらこそ。
ルール守ってくれるの、ほんと助かるよ」
配信は、そのまま穏やかに終わった。
彼は画面を閉じ、胸の奥に静かな満足感をしまい込んだ。
特別対応は一度きり あまいこしあん @amai_koshian
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