12月25日 朝

 目が覚めて一番に視界に入ったのは、見慣れた天井だった。


「しまった……」


 私は、自分がメイクを落としていないのも、スーツから着替えられていないことも早々に悟った。

 週末が近いとはいえ、まだ絶賛平日だ。


 最近、自分を雑に扱っていると感じることが多々ある。

 失ったものにうまく向き合えないまま、心に隙間を空けないように仕事に明け暮れていたからだ。


 時間の流れも早い。世間がクリスマス一色なことに気がついたのも昨晩のイブだった。

 つまみを買いに行ったコンビニで、ホールケーキが半額で売られていた。お買い得だったが、二人なら買っていたけど、今は冷蔵庫もビールで埋まっているからやめたのだ。 

 早朝に目が覚めたことだけが救いだった。これなら出勤までにシャワーは浴びられる。


「いつの間にベッドに入ったんだろ……ん?」


 ベッドの上で起き上がったところで、部屋の異常さに気づく。


「ゴミ袋……なくなってる」


 眠ってしまう前には確かに部屋を埋めていた、袋の山が消えている。

 私は反射的に、ベッドのそばにおいてある木刀を手にした。


 木刀は、恋人との旅行先で面白がって買ったおみやげだった。いまはそれを、自衛の手段として手にした。剣道もやったことないから付け焼き刃すぎるけど。

『エリカ、もし不審者がいたらそれで応戦しようだなんて考えるなよ』

 恋人はいたって真面目に言っていた。みやげ選びのときはあんなに楽しそうだったのに、私に釘を差すのを忘れない人だった。下手に立ち向かったって、逆上させるだけだって、さすがに私でもわかる。


 ゴミ袋が消えたということは、誰かが勝手に部屋に入ってきたということ。

 家族の誰かかと思ったが、実家は遠くアポなしで来るとも考えづらい。

 しかし部屋に目を走らせるも、人の気配はなかった。

 ゴミ袋だけ回収していく泥棒がいるだろうか。

 私は木刀を構えたまま、そろそろと部屋中を見回った。玄関も窓の鍵も閉まっている。トイレや浴槽などの個室にも誰もいなかった。


「はー……」


 ひとまず安心。でも、何か盗まれたかもしれない。ゴミ袋が消えて、部屋が片付いている以外の変化を探す。


「あれ?」


 棚に飾っている写真の位置がずれている気がする。一昨年恋人と見に行ったイルミネーションの写真だ。

 でも、どこも破れたりはしていない。


「よかった」


 もしこれが傷ついていたら、木刀以外でも侵入者をこてんぱんにする必要があった。

 あとおかしなことは……


「ビール、こんなに出してたっけ?」


 台所の隅にビールが避けられているが、最近は全部冷蔵庫にしまっていたはずだ。侵入者がビールを冷蔵庫に出すだけ出したのだろうか。何のために?

 私は恐る恐る冷蔵庫を開いた。


「え」


 中には大皿にのったオムライスが、ラップをかけられて鎮座していた。

 この大皿は、彼が、お祝いごとの料理を作ってくれるときにのせる皿だ。

 あれからは、戸棚の奥に、奥深くにしまいこんだはず。

 どうしてそれが冷蔵庫に?

 私は、震えた手で大皿を取り出した。気が急いで冷蔵庫の扉を閉めるのも億劫でそのままにした。


「うそ……」


 ラップを剥がすと、オムライスには下手くそな文字で、「メリークリスマス」と書かれていた。

 料理上手なくせに豪快なケチャップ文字は、彼のおはこだった。

 だから、つまり、これは。


「ねえ、タク……?」


 顔から滴り落ちた液体が、フローリングの床に当たって、ぼとぼと音をたてる。

 事故で死んでしまったタク。骨だって拾った。一年近くたつのに、死んでしまったってわかっているのに、タクのオムライスが食べたくて卵を買い続けた。

 シンク脇に、赤いリボンがかかった空の卵パックを見つけた。四つ入りのそれはちょっと高くて、何か嬉しいことがあったときだけタクが買ってきてオムライスを作ってくれるやつで。


「ばかぁ……帰ってきたら、ただいまくらい言ってよ……」


 冷蔵庫が、扉が開きっぱなしなことを知らせる音を鳴らす。


 ピー、ピー

 ピー、ピー

 ピー、ピー…… 




「よし」

 シャワーを浴びて気持ちを落ち着かせた私は、冷蔵庫にあったオムライスをレンジで温めた。

 インスタントのスープなんかも戸棚から探し出して、朝食の準備を整える。

 しっかりとした朝食をとるのは、一年ぶりかもしれない。最近はずっと朝に弱くて、出社するまでの時間はない。

 いつも彼が迎えてくれていた朝は、起きるのなんて苦じゃなかったのに。


「いただきます」


 スプーンですくって、一口食べる。

 温まってほかほかふわふわの卵に、彼特製のチキンライス。私の好物のしいたけもたくさん刻まれて入っている。口内に広がる懐かしい味に、スプーンを口に運ぶ手が止まらない。

 食べながら、私は決めた。タクがくれたおいしいご飯を、綺麗な部屋を、大事にしようって。タクがいなくても、私、ちゃんとするよ。そうしたたきっと、タクも安心できるよね。


「それを伝えに来てくれたんでしょ? ……なんてね」


 返事はない。

 けれど、棚に飾った写真のタクが、まるで本人がそこにいるかのように私を優しく見守ってくれていた。

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恋人かサンタクロースか 一途彩士 @beniaya

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