真白透夜@山羊座文学

「海外に行っている間、こいつを預かってほしいんだ」


 と、正紀まさのりが言い、ダチョウの卵のようなものを差し出してきた。


「高温、寒冷は避けてほしい」


「え……いや、その前に、何コレ」


「天使の卵」


 正紀よ……頭が良すぎて頭がおかしくなったのか。正紀は生物学者として度々フィールドワークに海外へ行っている。前回の調査でこの卵を手に入れたという。


「愛情が一定量たまると孵化するらしい。だから可愛がってね」


 いーや、ただの卵よ? ただの球体に愛情かけるってどないしたらええねん。と思いつつ、他に頼める相手がいないから俺に話が来たのだろうと思い、引き受けた。



 使っていないミニテーブルを出し、正紀が用意していたふかふかの卵用座布団を敷き、支えるためのミニビーズクッションに卵を寄りかからせた。


 表面はザラつき、ところどころにシミがある。天使の卵なんだからもっと綺麗でもいいのに、と思いながらも「ええと、個性的な模様だね」と褒めてみた。愛情をかけるというのはこれでいいんだろうか?


 すると、パキ、っと音がした。ヒビが入っている。え、まさか今孵化するの?? まさか正紀がいない二週間に孵化はしないだろうと思い、正紀から詳しくは聞いていなかった。正紀も教えなかったのだから、あいつだって生まれるとは思っていなかっただろう。


 パキパキパキ、とどんどん割れる。小さな手が現れた。手をかけた部分の殻がパキンと取れると、手は殻の破片を握りしめたままポイと殻を外に捨てた。


 ギザギザのふちの穴から人間の頭が現れた。白身がぬるぬると覆っている。既に黒い髪が生えていた。あの小さな手が白身を拭い、顔が見えた。赤い目、小さな鼻と口。


「……お前が俺の親かー。よろしくな」


 と、そいつは言った。……何なのコレ。人間? 違うか、天使だったな。けど、なんか態度がでかそうで天使っぽくない。


「何ジロジロ見てんだよ。お前、名前は?」


 見るだろ、普通は。


遼河りょうが……」


「リョウガ。よろしくな、リョウガ。俺はディアゴ」


 とディアゴが言うと、彼の後ろからヒョロリと黒くて先に三角形がついた尻尾が見えた。



 いや、天使もどうかと思うけど悪魔じゃん、明らかに。と、翌日目を覚まし、隣に寝ているディアゴを見て改めて突っ込んだ。19時に孵化をして、翌朝6時までの11時間の間にディアゴは三歳児くらいまで成長していた。


「ふぁ……おはよーさん。お腹空いた。何か食べもんある?」


 ディアゴは眠そうな目をしたまま言った。


「何食べるの?」


「食べてみないとわからないけど、卵は食べれるよ」


 卵ならある。遼河はもそもそと起き上がり、顔も洗わないまま冷蔵庫を開けた。卵は12個ある。


 一つ目は割ってグラスにいれた。二つ目はお湯に入れてゆで卵にした。三つ目は目玉焼きにした。四つ目は卵焼きにした。


「どれがいいの?」


 テーブルに並べて、ディアゴに提案する。


「やっぱり生卵かな」


 ディアゴは黄身を潰すことなくそのままグラスに口をつけて卵を飲み込んだ。



 昼過ぎにはディアゴは小学生くらいになっていた。


「成長早いね」


「そうなの? 人間が遅いんじゃない?」


 ディアゴは尻尾をゆらゆらさせて言った。


「遼河はなんでずっと裸なの? 寒くない?」


 自分は寒くないが、ディアゴには正紀のTシャツとハーフパンツを着せていた。


「服を着ると気になるんだ」


「じゃあ一生外に出られないじゃん」


 そうかもしれない。


「お腹空いてる?」


「そう言えば」


「卵でいい?」


「うん」


 生卵。オムレツ。スクランブルエッグ。


「どれがいい?」


「やっぱ生卵かな」


 ディアゴはごくごくと生卵を飲んだ。



 昼を過ぎると眠くなる。ベッドに横になるとディアゴもベッドに入ってきた。その時にはもう中学生くらいの体格になり、正紀のズボンをはいていた。


「ディアゴ、あったかい」


「そう? 心は冷たいけど」


「卵の中で、何を考えていたの?」


「色々聴こえてたから、人間ってやーねーって思ってた」


 へぇ、と言って遼河は笑った。


「遼河は人間好き?」


「さあ。でも好きだったら裸じゃないかも」



 二人はしばし眠って、目を覚ました。その間にディアゴは遼河よりも大きくなっていた。


「お腹空いた?」


「空いたかも」


「生卵」


「ああ」


 遼河はベッドから起き上がってキッチンに向かった。割れたガラスが足に刺さるが慣れたものだった。卵を割り、最後のグラスに入れる。


 ディアゴは卵を飲み込んだ。喉仏が上下する。


「明日どうする?」


「いつもはどうしてるの?」


「いつもこんな感じ。寝て、起きて、寝て、起きてる」


「そう。楽しい?」


「外にいるよりは」


 ディアゴは、同い年くらいに見えた。



 翌朝、目を覚ますと、ディアゴがキッチンにいた。雪崩れていた本は綺麗に積み重なり、様々なゴミは片付けられ、ドアの郵便受けから溢れていたチラシも無くなっていた。


「……ガラス、拾ってくれたの?」


「ああ」


 卵が焼けるにおいがした。


「卵、あと何個?」


「もうないよ」


 ディアゴが生卵を入れたお椀と、大きなオムレツを持ってきた。


「食べれる?」


「……うん」


 ディアゴのオムレツにフォークを刺した。黄色い表皮。黄色い断面。ディアゴが生卵を飲んだ。今なら食べられるかもしれない。


 卵を噛む。噛む。フォークごと噛む。噛む。


 卵の焦げた縁が舌に障る。


「卵が無くなったから出ていくの?」


「そうだね、卵は無くなったから」


「最後に、尻尾を見せてよ」


 ディアゴはヒョロリと尻尾を出した。


「ああ、なんで俺には尻尾が生えてないんだろ」


 遼河は苦笑いをした。


 ディアゴは正紀の服を着て出て行った。


 遼河は膝を抱えた。


 もう浴室からは出られない。




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