わたしのまちのハードボイルド

亜咲加奈

わたしのまちのハードボイルド


 これはあなたが暮らす日本のどこかの日常の光景かもしれない。

 南米系やアジア系の人たちがスーパーで買い物をしていたり、そのスーパーに迷い猫のゆくえを探すポルトガル語(ブラジルでも使う)のポスターが貼ってあったり、クラスに何人か外国ルーツの子がいたり。


 わたしも、自分の子供の外国ルーツのクラスメイトの親御さんに、英語で説明したこともある。


 わたしが家族と暮らし、そして打撃系の空手を習っているまちは、そういうところだ。


 このエッセイを読めば、どうしてわたしが不良たちの物語を書いてきたか、わかってもらえる気がする。


 わたしのまちで起きている、また、起きていたことを話したい。


 わたしが以前勤めていた職場は隣の市にあった。

 行きも帰りも、いつも渋滞。だから信号が少ない道を選んで通勤していた。

 信号が少ない道は、たいてい道幅が狭い。晴れていてさえくすんだ住宅街を通る。

 そこにひっそりと建つ木造2階建てアパートで殺人事件があったなんて、朝刊を開くまで知らなかった。


 朝刊には写真がなかったけれど、ニュースではそのアパートは映し出されていた。

 いつも見ていたあのアパートだ。わたしの呼吸が止まったのはいうまでもないだろう。


 アパートの駐車場には毎日パトカーが停まっていた。制服の警官が数名、アパートに出入りしていたのも、もはや日常の光景になっていた。


 犯人はまもなく逮捕された。外国人だった。こんなふうに書けば浅はかな人は、外国人は危険だ、と早合点する人も中にはいるかもしれない。けれど、そんな人たちばかりじゃない。わたしがこのまちで出会ってきた彼ら彼女らは、言葉の通じない異国で、たくましくしたたかに生きるしなやかさと、気高さを持ち合わせている人がほとんどだ。

 現にわたしがかかわった人たちは、真心をもち、誇り高かった。そして、親切だった。


 日本人にもおせっかいという美徳がある。そのことを思い起こさせる真心があった。少なくともわたしはそう感じることのほうが多かった。


 わたしはこのまちで暮らしながら、さまざまなかたちで外国ルーツの人たちにかかわった。


 アフガニスタンからきた人からは、アフガニスタンの言語のひとつパシュトゥー語を教わった。中でも一番美しい言葉が「マナナ」つまり「ありがとう」だ。感謝の言葉はどの国でも美しい響きをもつ。ちなみに「ありがとう」はパキスタンで話されるウルドゥー語では「シュクリーヤ」という。ベトナム語の「ありがとう」は「カァムォン」と発音する。


 日本にある多くのまちがそうであるように、わたしのまちでもごみを出す日は市役所から配布されるカレンダーに記載されている。ごみ袋も市の指定だ。それには英語・日本語・スペイン語(ペルーやボリビアなどの言葉)・ポルトガル語・タガログ語(フィリピンの言葉)・ベトナム語・中国語で書かれている。つまりこれらの言葉を使う人たちと共に暮らしているのだ。


 ごみ袋を出す場所も決まっている。

 整然と積み上げられた生活ごみも含め、このまちには他にもさまざまな音や風景がある。


 駅にいる、髪や肌、着ている服が汚れた人。そばを通れば強烈な臭いが鼻をつく。でも、わたしたちは、その人に話しかけない。そこにいると認識して、深入りしないで通りすぎる。


 週末に冷たい夜の空気を震わせる爆音の主たちに対しても同じだ。道場にいる仲間たちと話すのは、「うるさいな」ではなく、「寒いのになんで走ってるの」という疑問だ。


 わたしは打撃系の空手を習っている。道場の関係者にはキックボクシングジムを経営する人もいる。空手やキックボクシングにはどうしても喧嘩のイメージがついて回る。わたしが知り合い、ことばを交わした少年たちの中には、競技もジムもやめ、喧嘩をするようになったらしい子たちもいるようだ。そのことはわたしの胸に小さな寂しさとなって残っている。


 殺人事件の現場を通らなくなった今、誰かの命が失われたという厳然たる事実すら、過去に流してしまったような罪悪感を覚える。朝に飲んだコーヒーの味を忘れるように、事件についても日々、忘れていく。慣れたわけじゃない。でも、そんなこともあると思い込んでしまえる。それが恐ろしくもある。


 空手の練習はいつも夜だ。組手のあとの快い高揚感をいだきながら帰る夜道は静かで安全である。


 帰り道からは少しはずれるが、パキスタンの人がつくるカレーとナンの店、最近オープンしたハラルフード(イスラム教徒が飲食を許された食品)の店、モスク(イスラム教徒が祈る場所)もこのまちにはある。爆音はたまに聞こえるけれど、見上げた夜空にまたたく月や星の光は清潔だ。


 さらに足を進めれば、かつて発砲事件が起きた大通りに出る。シャッターが下りた店もあるけれど、通りに面した壁に綺麗な男の子たちが映った大きな写真を掲げた店もある。風俗店も、飲み屋街もある。


 そんなまちでわたしは、これからも生きてゆく。

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わたしのまちのハードボイルド 亜咲加奈 @zhulushu0318

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