第5話 救出
〇〇〇
彼は物心ついた時から人間の管理下で暮らしてきた。ずっと何処かの誰かの所有物としての人生を歩んできていた。
記憶の大半は、暗い檻の中で膝を抱えて息を殺して過ごしてきた。
檻の外に出た所でろくな目には合わない。白い妙な部屋に連れていかれれば体に何か薬品を入れられた。同じような境遇の獣人同士で殺し合いをさせられた事もあった。
奪われ、縛り付けられるばかりの人生のなんと簡素な事か。
冷たい檻が豪奢な部屋に変わり、自分を管理する人間が白衣の男達から見目麗しい人間の女に変わったところで、誰かに所有され続ける人生に変化は見られなかった。
だから自由を求め、彼は監視の目が緩んだ隙を見て外に抜け出した。もしかしたら自分はこのまま籠に押し込められて死んでいくのかもしれない。そう思うと反吐が出た。外に出て直ぐに死ぬ事になるかもしれないが、その方が幾分マシだと思えたのだ。押し込められるばかりの人生のまま死んでいくのだけは我慢ならなかった。
行き場を求めて彷徨い、彼は何日も野山を駆け回った。だが竹林の中の川沿いに辿り着いたところで力尽きてしまい、気が付いた時には再び人間の手に落ちてしまっていた。
長い時間をかけて骨が歪み、顎を突き出し猫背になった身体は、獣人奴隷にありがちな身体的特徴だった。
晶雷枷は内部にゼノクリストの微力結晶が埋め込まれており、専用のスイッチを押す事で特定の範囲内にいる獣人に電流を流す事が出来る仕組みになっている。晶雷枷は、力で劣る人間が獣人を支配する為に必要不可欠な代物だった。
重たい鉄の枷は獣人の腕力をもってしてでも外す事は出来ない。元々取り付けられていた華美な首枷はオルトを捕らえた人間達により蒸気式切断機により外されたものの、結局はまた別の晶雷枷を取り付けられてしまった。恐らく元々の晶雷枷に対応するスイッチがなく、単なる首枷としての意味しかなかったため使用可能な物に付け替えたのだろう。
彼の左頬にある大きな傷跡は、奴隷商が雑に切断機を使用した際に鉄枷と共に切られて出来たものだった。
溢れんばかりの暴力と理不尽。熱を持った左頬から伝う鮮血がボロきれの衣服を汚していく。
結局のところ屋敷の外に飛び出したところで彼の求める自由なんてものは存在しなかったのだ。
それでも彼はまだ不当な扱いを受け入れようとはしなかった。川舟の労働を強いられながらもずっと隙を伺っていた。
何とかして逃げ出したかった。奪われるだけの人生に終止符を打とうと走る中、彼は一人の少女と出会ったのだ。
少女は人間だったが、自分がこれまでに見てきたどの人間とも異なっていた。獣人である自分をヒトとして扱い、手を貸す相手などこれまで見た事も無い。不思議な少女だった。彼女は本心から獣人を愛し、自分達が被る理不尽に心を痛めている。単なる同情ですらなく、心を通わせ同じ痛みに耐えようとしていた。
結局、オルトはまた
そうしてオルトは鉄製の檻の中に押し込められた。首筋から全身に伝う電流は彼の命を奪う程の物ではないが、痛みと身体の不自由を与えるには十二分である。
川舟に積まれた檻の中でオルトは静かに目を閉じていた。晶雷枷のスイッチが押され続けているのだろう。首枷に埋め込まれたゼノクリストが、絶えず紫がかった光を放ち続けている。途切れる事なく流れ続ける電流の痛みに、オルトはただただ耐えるばかりだった。
「お前さんも馬鹿だなぁ。保護労働中の逃亡は契約違反の罰金がつくんだぜ?」
「これなら初めから採掘場送りで良かったかもなぁ。ウチの舟で使えたら便利だったんだけど」
「まあ良い、契約違反の罰則としてコイツには倍働いてもらうさ。今回の逃亡で借金がかさんじまったもんなぁ」
男達の会話が遠くに聞こえる。絶え間ない痛みの中で少しずつ意識が朦朧としていく。
(あークソ……いってぇ……)
いつもそうだ。奪われ、捕らわれ、そういう扱いがずっと続く人生だった。ヒトとしてではなくモノとして扱われるばかりの人生だった。
『不当に扱われる獣人の姿は、見たくないんだよ……』
ヒトとして扱われたのはあの瞬間だけだった。それをしたのはあの人間の少女、ただ一人だった。そういえば名前を聞きそびれてしまった。聞いておけば良かった。オルトと言う名前をくれた、あの少女の名前が知りたかった。
こちらを真っ直ぐに見つめてくる二藍色の瞳を思い出す。もう二度と、あんな風に自分を見る人間と会う事はないこだろう。
「そこの川舟、止まれ!」
太い男性の声がして、舟が止まった。何があったのだろうかと僅かにオルトが目を開く。僅かに差し込む陽光の中、ぼんやりと誰かのシルエットが映し出される。
「オルト、無事か!?」
その声に彼はハッと我に返った。舟小屋に置いてきたはずの少女が、彼の視界の先に立っていた。
「こう言う者です。中を少し改めさせて貰えませんか」
ギムがある物を男達の前に翳すと、途端に彼らの表情が変わった。どうせ相手は獣人だからとタカをくくっていたのだろうが、それから一変して焦りの色が顕著に見える。
「な……ッ、議員の印章だと!?」
「獣人がンなモン持ってるはずがねぇだろ! どうせパチモンなんじゃねぇのか!」
ギムが提示したのはこのクニの方針を定める議会に席を持つ、議員としての身分を表す印章であった。コートの内ポケットに印章を仕舞いながらギムは落ち着いた様子で「ならば衛兵を呼んで改めさせよう」と淡々と語る。
「身分の詐称は重罪だからな。バニラ」
「呼んできます」
ギムの指示でバニラが走り出した。
そんな彼らの余裕のある態度に男達が歯噛みをする。確かに通常ならば衛兵達は獣人の訴えには耳を貸さないだろう。だが相手に議員としての立場があると分かれば、片田舎の衛兵程度がその言葉を無視出来る筈がなかった。議席を持つギムの立場は、その辺にいる人間のそれとは比にならない程高いのだ。
舟に近づいたギムの黒みがかった鱗が、川の反射で光る。長駆の獣人に身動ぎながらも男は果敢に「議員サマが何の用だってんだ!」とギムに食ってかかった。
「彼は?」
鋭い視線が檻に押し込められたオルトを見下ろす。
「……保護労働中の獣人だ」
にんまりと黄色い歯を見せて笑う男の言葉に、チロルは眉間のシワを深くした。
(何が、保護労働だ……!)
現在、このクニでは獣人奴隷禁止法という法律が制定されている。それは十年前、現在の差別社会を変えるべく他でもないギムが、議席を得た事で制定された法律だった。
だが社会をそんな法律一つで変える事は出来なかった。表向きに禁じられた奴隷制度。そのアナをつくために設けられた建前の一つが、この保護労働だ。
表向きには獣人を保護し、就労支援を通じて社会に適応させる制度とされているものだが、その実情は「保護」という名目で獣人を拘束、採掘場や舟などの過酷な労働に駆り出す違法行為だ。いかにもな名前を掲げているだけで事実上、誘拐や拉致からの強制労働と何ら変わらない。
「コイツは本日、逃亡を計りました。これは立派な契約違反だ。契約違反の罰金もございますので、その返済の為にこれならゼノクリストの採掘場へ連れていく所でございます」
「成程、では契約書は?」
「こちらに」
ギムの問い掛けに男はすぐさま一枚の紙切れを取り出してきた。それを見たギムが僅かに口角をあげる。
「許可印がないようだが?」
静かな物言いながらギムの鋭い視線が奴隷商を射抜く。
「……なんの事でしょう?」
「獣人奴隷禁止法第5条、存じ上げませんか。保護契約は役所で公的な手続きを行わなければ違法行為となる。それに就労支援業に携わるのなら、必要な資格の保持はございますかな?」
「な……ッ」
そう言うとギムは指先で紙面を軽く叩いた。
「だがコイツは逃亡時の罰則を……」
「受諾印もないこんな紙切れになん効力もないが……そもそも契約書にそんな内容は明記されていないようですが」
「保護労働中の逃亡には罰金が伴う! それが慣例で……」
「なんだ、まだ言い合うのか?」
ギムのひと言で二の句を告げられなくなってしまったのだろう。奴隷商は押し黙りギリリと歯噛みをする。
「団長―っ!」
ちょうどそのタイミングで背後に二人の衛兵を引き連れたバニラが戻ってきた。
「連れてきましたよ!」
無許可で人身売買に携わっていたとなれば彼らも無事では済まされない。舟を没収された上で衛兵らに身柄を拘束されるだろう。
「この、ケモノの分際で!」
追い詰められた奴隷商達がギムに殴りかかって来た。だがギムは眉ひとつ動かさずに静かに男達を見下ろしている。
男等が動いた次の瞬間、ギムの傍らに控えていたチロルと、こちらに走り寄っていたバニラがギムの前に出た。
「ウチの団長に、手ぇ出すな!」
チロルは相手の突き出した拳を片手で逸らすと、勢いのまま突っ込んできた顔面に肘を叩き込む。
「ぐぁ……ッ」
相手が怯んだ隙を見逃さずに身を翻すと、素早く男の足を払った。そのまま倒れ込む男の背中に飛び乗る事で動きを封じる。
「遅せぇんだよ」
小柄で細腕の少女でしかないチロルだったが、獣人達に混ざってサーカス団の裏方として力仕事に精を出してきたのだ。奴隷商人如き捻るくらい、訳もない。
隣に視線を向けると、もう一人の男がバニラによって拘束された後だった。
「違法の奴隷商だ。お粗末な契約書も抑えてある」
たらたらと気の抜けた足取りで走りよってきた衛兵達にギムはそう言って議員の印章を提示した。それまでは「なんで獣人なんぞの為に動かねばならないんだ」と言う態度を隠そうともしなかった衛兵達だったが、ギムの正体が分かると「た、直ちに!」と慌てて態度を改めた。
「チロル、この人物であっているか?」
「うん、オルトだよ」
その後、舟内から見つかった鍵によりオルトの
男達は無事に違法の人身売買の容疑で衛兵によって拘束され、晴れてオルトは自由の身となった。
「なんで、お前……」
オルトはまだチロルが自分を助けに来た事が信じられない様子だった。困惑した表情でこちらを見下ろしてくるオルトを、チロルはキッと睨み付ける。
「お前のせいだかんな。一緒にシルクスに行こうって言ったのに、あんな分かりやすい嘘言って勝手にどっか行きやがって。お陰でこんなマチの外れまでギム連れてこなくちゃ行けなくなったじゃんか」
「え……わ、悪い……」
「はいはいチロル、安心したからって悪態つくんじゃねぇよ」
「うっさいバニラ、そんなんじゃない」
「それにしても、団長に任せてりゃ大丈夫とは思ってたけど、想像以上にあっさり片付いちゃいましたね」
「正規の手続きをしていたら面倒だったが、あの手の人間は大体ずさんだからな。お陰で助かった。さて……」
そう言ってギムがオルトの前に向き直る。
体格の良いオルトよりも更に長駆のギムに見下ろされ、オルトは少したじろいだ。
「君は晴れて自由の身だ。だがこの社会において君がまともな職を探すのは困難だろう。いつまた何処で奴隷商に狙われるのかも分からない」
「……っ」
奴隷商に付けられた左頬の傷を隠すようにオルトが目を伏せた。
「シルクスに来ないか。君が良ければ、家族として迎え入れよう」
「え……」
「チロルから聞いているかもしれないが、ウチは獣人だけでやってるサーカス団だ。人間はチロルだけだから、獣人差別なんてモンはハナから存在してねぇ」
ギムの隣でバニラがこれみよがしにポーズを決める。
「サーカス団は良いぞ? 理不尽も不条理も全部関係ない。スポットライトが当たる場所は、誰にも邪魔をされない世界一煌びやかな場所なんだ。……もっとも、俺という花形が現役のうちは? お前さんは精々アンサンブルだろうけどな。悪いな新人、俺が美しいばっかりにお前を影に追いやっちまって……」
「バニラちょっと黙れよ。……ボクは裏方だけど、お前みたいなのは歓迎だよ。そんだけの体格があれば大道具でも何でも運ぶのに苦労しないだろ? サーカスって結構体力仕事なんだ」
二人からの勧誘をギムが「……と言う訳だ」と雑に纏める。オルトの黄金色の瞳の中に迷いの色が見て取れた。だが彼は真っ直ぐに自分を見つめるチロルの自然に気が付くと何かを心に決めたらしい。
「よろしく、お願いします」
ぎこちなく頭を下げるオルトを見てチロルがパッと表情を明るくした。
ギムの前にバニラとチロルが立つ。バニラは手馴れた様子で、チロルはどこかぎこちなく。それぞれポーズをきめると声を揃えた。
「ようこそ、獣人サーカス団【シルクス】へ!」
こうしてカワセミマチでの騒動は、オルトのシルクス加入という形で幕を閉じたのだった。
「ところで団長、一つ聞きたいんですけど」
自体も無事解決し、四人は
「なんだ?」
「もしあちらさんが正規の手続きでオルトの事拘束してたら、そん時はどうするつもりだったんですか?」
「うむ……なに、やりようはいくらでもあるぞ。保護契約の文言を逆手に取り同意が曖昧だと重箱をつつくか、少しの方便か……それでも無理なら多少握らせでもすれば衛兵達も目を瞑っただろう」
ギムの言葉にバニラが「それってつまり
「議席があっても、動かせないものもあるもんだな」
「うわぁ、汚い大人だぁ……」
「なんだ、お前もまだ青い事を言うんだなバニラ。綺麗な大人など、この世にいるものか」
そう言ってクックッと肩を揺らして笑うギムを見上げ、バニラは「それもそーっすね」と渋い笑みを零す。
「私が何をしようとしたのか、アレには黙っておけよ。下手な知恵を付けると悪さをしかねん」
「言いませんよ。本当、じゃじゃ馬な末っ子を持つと苦労しますね……」
バニラが苦笑いを浮かべる一方で、ギムはこちらに向けてピコピコと揺れるオルトの三角形の耳に視線を向けながら小さく笑みを零すのだった。
ヒト耳のチロル 日家野二季 @nikeno
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