第0.3話 徐々に這い寄る影

 疑神は血の海に浮いた亡骸を操りながら、巨大な触手をうねらせて攻撃を始めた。水面を叩くたび、赤黒い飛沫が散る。腐臭めいた湿気が喉に張り付き、視界の端で白い骨がぎこちなく踊った。


「うわ……気持ち悪い……」


 カタリナが顔をしかめる。だが、手は止めない。


 迫りくる触手をかわしつつ、カイトたちは反撃へ転じる。カイトは次々と襲い来る亡骸を切り伏せ、その勢いを殺さぬまま疑神の間合いへ踏み込んだ。


 一方でカタリナとリュウは、カイトを通すための”道”を作る。彼に迫る亡骸を切り払い、触手の軌道を崩し、僅かな隙を積み上げていく。


「リュウ! 右から来るよ!」


「分かってるス!」


 リュウが剣を振るい、迫る触手を切り払う。カタリナも呼吸を合わせ、左から迫る亡骸を蹴散らした。


 三人の動きは、噛み合うほどに研ぎ澄まされていた。


 ――俺は一体、何のために戦って……。


 胸の奥にかかった薄曇りを拭えないまま、カイトは迫りくる触手を回転斬りで刻み、目の前まで迫った疑神の胴を横一文字に薙いだ。血飛沫が舞い、次の瞬間、疑神化がほどけるように解ける。


 現れたのは、疑神となっていた裸の女だった。虚ろな目で周囲を見回し、唇だけが震える。


「ここは……いったい……」


 カイトは刃を下げ、まるで日常の延長のように歩み寄った。


「……大丈夫ですか」


 その瞬間だった。


 カタリナが助走をつけ、容赦なくカイトを蹴り飛ばした。水面が跳ね、カイトの身体が赤い海を滑る。


「何しとんじゃ我ェ?」


 叱責の声は、戦場の熱を一気に現実へ引き戻す。カタリナは即座に女の前へ回り込み、上着で身体を覆うようにして保護した。


 リュウは蹴り飛ばされたカイトに駆け寄り、呆れと安堵が混じった顔で手を差し出す。


「カイトさん……もうちょっと、状況を考えてくださいス」


「……悪かった」


 カイトは素直に謝った。


 女はそのまま病院へ搬送され、事情聴取を受けることになった。疑神となっていた女の供述は一貫していた――「いっさい、疑神も凶人に関して記憶にない」。


 さらに、廃工場で見つかった大量の亡骸は、行方不明になっていた隊員たちのものだと判明した。


 ※ ※ ※


 任務を終えたカイトは、ひとりGIQの訓練場にいた。自分を確かめるように、対疑神戦を想定した高性能の巨大ロボットと対峙する。観覧席には人だかりができ、視線とざわめきが熱を帯びている。


 カイトの戦績、そしてギネス記録を超える成績。それらが積み重なり、いつしか彼は周囲から『ノアに続く最強の天才』と囁かれるようになっていた。


 作られた世界の中で、カイトは縦横無尽に動きながらも、どこか少々不自由な戦い方でロボットを追い込んでいく。その姿を見に来たカタリナたちは、人波の外側で足を止めた。


「うわ、人だかりが出来てるし……それにしても私達のエースは自由な戦い方をしてるなー」


 カタリナが呟くと、リュウとヨウヘイは同調するようにうんうんと頷いた。


「相変わらず凄いよねー、カイトくんは」


 気配もなく、赤い髪の男が彼女たちの横に立っていた。突然の出現に、三人は目を見開く。


「あなたは赤城山(あかぎやま)カオルさん!?」


 男は、さらりと笑って肩をすくめる。


「あれ? 俺のこと知ってるの? もしかして俺、有名人? なんつって」


 その一言で、会場の空気が切り替わった。カイトの戦闘を見ていた観客が一斉に振り向き、次の瞬間、GIQ隊員の女性陣がカオルへ押し寄せる。


「キャー! カオルさん!」


「サインください!」


「一緒に写真撮ってください!」


 赤城山カオル。GIQの中でも飛び抜けたイケメンとして知られ、特に女性陣からの人気が厚い――その反面、男からは敵視の視線を向けられがちだ。


「ここの会場が大変なことになりそうだから、俺は行くね」


 絶えない笑顔のまま、カオルは人波からするりと抜け、追いかけてくる女性陣を軽やかにかわして消えていった。


「あの人も大変だね~。さて、そろそろカイトの訓練も終わるころだし、私達も訓練をしますか……ね! アカリたんも一緒に訓練しよ!」


 カタリナは下心を隠す気もなく言うが――目の前にアカリはいない。


「あれ? アカリたん?」


 探して視線を巡らせると、アカリは希望に満ちた目で、カイトの訓練姿をじっと見つめていた。


 それから数分後。訓練を終えたカイトが、汗も息も乱さぬまま彼女たちの前に現れる。


「どうした、お前ら?」


「いやカイトさん、ずっと一人で訓練するんスから……たまには俺達を誘ってくださいス」


「そうだな……分かった。近々誘う」


 カイトはそこで視線をヨウヘイへ向ける。


「それよりヨウヘイ。午後はアカリと一緒に任務があるから、よろしく頼む」


 そう言って握手を求めると、ヨウヘイは上機嫌でその手を握り返した。


「ああ、よろしくな」


 ※ ※ ※


 午後の任務。カイトとヨウヘイ、アカリは無人の商店街に来ていた。人の気配はないのに、建物の影だけがやけに濃く見える。風が吹けば、看板が小さく鳴った。


「カイト、ノアさんからはこの任務の概要はなんて言われてるんだ?」


「あぁ、たしかこの商店街で最近、謎の行方不明事件が多発しててな。だからそれの調査をしに来たってわけだ」


 カイトが説明を終えた――その瞬間だった。


「おや、また会ったねカイトく~ん」


「「「!?」」」


 突然、目の前に黒フードの男が現れた。距離も音も、すべてが不自然だった。カイトには見覚えがある。


「アンタ……まさかK」


「お! 大正解! 覚えててくれた??」


 男が続きを言おうとした瞬間、カイトは見えない速さで斬撃を放つ。しかしKは簡単に躱し、むしろ不満そうに頬を膨らませる。


「あのなぁ……人が話してる時は攻撃するなよな」


 ヨウヘイは状況を測るように目を細めた。


「えっと誰なの? この人……まあ一つだけ言えることは、ここは立ち入り禁止の場所。明らかに不審な人間だな」


 アカリも銃を構え、淡々と告げる。


「そうだね。ちょっとそこの人、私たちと一緒に来てもらえませんか?」


「あぁ? 無理に決まってんだろ。それより、お前らにプレゼントを用意しにきた」


 Kが指を鳴らす。乾いた音が響いた瞬間、地面の影が膨らみ、黒い化け物が這い出した。口から頬にかけて裂けた歯列、ナイフのように鋭利な爪、顔はまるでエイリアンじみた異形。


「コイツは俺の知り合いだった人間。そうだな、名前をつけるとしたら『影の疑神』。影の中で自由に動ける疑神だ。コイツがお前たちの言う行方不明の原因だよ。……まあ、あくまで実験体だけどな」


 Kの説明が終わるより早く、影の疑神が獣のように叫び、突風とともに間合いへ飛び込んだ。強靭な爪がカイトたちを裂こうとする――だがカイトはすでに見切っている。攻撃の到来と同時にカウンターを叩き込み、疑神の左腕を切り飛ばした。


 しかし疑神は瞬時に切断面を蠢かせ、腕を修復すると影の中へ沈む。厄介なタイプだ。


「散らばれ!」


 ヨウヘイが即断し、カイトとアカリへ指示を飛ばす。アカリは見晴らしのいい場所へ移動し、射線を確保。カイトはヨウヘイとともに、影からの襲撃に備えて呼吸を整えた。


 次の瞬間、影の中から巨大な手が幾つも現れ、二人を握り潰そうと迫る。しかしカイトとヨウヘイは寸分の迷いもなく、手首から先を切り刻み、影を散らす。


 だが、その対応に合わせるように影の疑神は分身を生成した。四体の分身が作り出され、カイトとヨウヘイへ襲いかかる。二対一の状況が、それぞれにのしかかる。


 ※ ※ ※


 ヨウヘイは器用に剣を捌き、相手の間合いを潰しながら応戦する。しかし、どうしても違和感が拭えない。


(マズいな。相手の動きが全く読めない。こうなったらカイトと協力して本体を炙り出すしか……)


 咄嗟にカイトへ視線を向ける。するとカイトは、ヨウヘイとは逆に、分身の疑神たちを圧倒していた。斬撃の速度、踏み込みの鋭さ、判断の早さ――どれも別格だ。


「カイト! 少しこっちを手伝ってくれないか」


 ヨウヘイの声に、カイトは瞬時に間合いを詰め、援護に入る。二人は背中を合わせ、呼吸を同期させるように、影の疑神と対峙した。


「こっから一気に行くぞ、カイト」


「了解」


 ヨウヘイの指示に合わせ、カイトは鎌で分身の首を次々と刈り取っていく。一方ヨウヘイは剣で胴体を断ち、分身を地に伏せさせる。切断された影が、煙のように霧散した。


 ※ ※ ※


「やるねぇ最近の子は。まあこの様子じゃ結果は丸見えだから、俺は帰るか」


 Kはそう言い残し、霧のように消えていった。


 着々と疑神を追い詰めていくヨウヘイたち。すると、疑神が作り出していた分身がふっと消える。静寂が一瞬だけ戻った――その時だった。


 ヨウヘイの背後に、気配を消した本体が現れた。ヨウヘイはまだ気づいていない。強靭な爪が、彼の身体を切り裂こうと振り下ろされる。


 ――ヤバい。

 ヨウヘイは背筋を駆け上がる悪寒で、ようやく気づく。だが、もう遅い。


「ヨウヘイ! 伏せて!」


 アカリが叫ぶ。ヨウヘイが反射的に地面へ伏せた瞬間、アカリは引き金を引いた。乾いた銃声が響き、放たれた弾丸が疑神の脳天を射抜く。


 頭を撃たれた疑神は、電源を切られたロボットのように力を失って倒れた。


「……助かった」


 ヨウヘイは冷や汗を拭い、アカリに感謝の視線を送る。


 行動不能となったことで疑神化が解ける。露わになった正体は――Kの言っていた通り、人間の男だった。


 その後、男は保護され、この事件の数日後、行方不明事件はぱったりとなくなった。


 ※ ※ ※


 こうして無事に三つの任務をこなしたカイトたち――カニカマ隊は、ある日ノアに呼び出されていた。


「三つの任務をしっかりこなしてくれてありがとう。さて、本題に移るけど、前に言っていたGIQの試験を明後日に受けてもらいます。しっかり準備しておくように」


 ※ ※ ※


「さてどうするスか。俺、こういう試験嫌いなんスよね」


「私達、肝心の”全員でのチームワーク”が欠落してるんだよね」


 カタリナの言葉に、カイトを除く面々はうんうんと頷いた。笑って誤魔化せる段階ではない――そんな空気が漂う。


「特にカイトはいつも一人で訓練してるから、みんなとの連携が欠如してるから……この状況、結構マズいな」


「なんかすまんな。本番は連携が取れるように気をつける……」


 カイトが珍しく申し訳なさそうに言うと、ヨウヘイは肩をすくめた。


「気にするな。――んじゃ、明日は作戦会議をするとしますか!」


「「「「りょうかい」」」」


 ※ ※ ※


 翌日。カニカマ隊は部隊部屋で作戦会議を始めていた。机の上には資料が広がり、壁のモニターには訓練データが映る。


「作戦って言っても……何をすれば……」


 リュウが首をひねると、別の視点が差し込まれる。


「じゃあその前に、この部隊の隊長を決めたらどうスか」


「そんなの、もう決まってるだろ」


 カイトが小さく呟くと、リュウたちは頷いた。視線が集まる先は、当然ひとりだ。


「んじゃ、いっせーので言う?」


「そうだな」


「「「「「いっせーの」」」」」


「「「ヨウヘイ」」」


「俺ス!」


「カイト」


 カイトとカタリナ、アカリは「ヨウヘイ」。リュウは自分の名前を言い、ヨウヘイはカイトを挙げた。結果、部屋に微妙な沈黙が落ちる。


「おいリュウ、何自分の名前出しとんじゃ」


 カタリナが強く睨みつける。リュウは「ヒィッ」と情けない声を漏らして肩をすくめた。


 一方、ヨウヘイは困惑した表情を浮かべる。


「な、なんで俺を?」


 その問いに、カイトが淡々と答える。だが言葉には、確かな評価が滲んでいた。


「ヨウヘイ。お前は俺との初任務の時に、的確な命令を出して、冷静に状況を理解していた。だから隊長にふさわしいと思って、お前を推した。ただそれだけだ」


「言うことなしやな」


 カタリナとアカリは、納得したように頷く。


「まぁ、ヨウヘイが隊長でも俺は良いスけどね」


 リュウも渋々ながら同意した。


 ヨウヘイは少し黙り込んだ。

 隊長――そんな重い役割、自分に務まるのだろうか。

 だが、仲間たちの視線を受けて、ヨウヘイは決心する。


「そ、そうなのか……お前らがそう言うなら、やってみるよ、俺」


 こうしてカニカマ隊の隊長が決まった。次に話し合うべきは、試験の作戦だ。


「作戦なんだが、俺の想定では相手は、あの訓練場にいる巨大なロボの強化版だと思う。だから、攻めはカイトとリュウ、カタリナ。補助をアカリと俺が担当する。――他に案はあるか?」


「「「「異議なし」」」」


「それじゃあ、作戦も決まったことだし、次は訓練だな」


 ※ ※ ※


 そして試験当日。


 試験会に訪れたギャラリーは驚くほど多く、誰もが同じ目的でここにいた――「カニカマ隊の試験の様子を見に来た」。


 試験を受ける部隊はカニカマ隊だけではない。他にも複数のグループが控えており、どの部隊も完璧な連携と息の合った動きで高得点を叩き出していた。


「おぉ凄いねぇ! 今年の部隊は! ねぇねぇそこの君、カイトたちの部隊がどのくらいで出てくるか分かる?」


 試験会場にはノアと葛城、イノリらも姿を見せていた。そんな”GIQの大谷翔平”が来たことで会場は一気に熱を帯び、様々な声が上がる。


 ノアは騒めきを背に、試験の様子を映すモニターへ視線を向けた。


 先の二部隊の試験が終わり、次はいよいよ――誰もが待ち侘びたカニカマ隊の番。


 控え室で、カイトたちは最後の確認をしていた。


「緊張するな……」


 リュウが呟く。


「大丈夫だよ、リュウ。私たち、ちゃんと訓練したじゃん」


 カタリナが励ます。


 ヨウヘイは深呼吸をして、仲間たちを見回した。


「行くぞ」


 ヨウヘイの掛け声とともに、


「「「「了解」」」」


 ※ ※ ※


 試験の舞台は東京の都内を想定して作られていた。止まった車、停止した信号機、人ひとりいない街。その中でカイトたちは、敵がどこにいるのか索敵していた。


 シーンと静まり返った町で地響きが鳴った。地面の奥から突き上げてくるような震動で、舗装がわずかに跳ね、看板が軋む。――来る。そう確信できるほど、揺れは”巨大な何か”の接近を告げていた。


「来るぞ!」


 ヨウヘイの声に合わせるように、血のように赤い巨体のロボットが姿を現した。質量だけなら鈍重に見える。だが次の瞬間、そのロボは外見に反して暴風のようなスピードでカイトたちへ襲いかかってきた。


 カニカマ隊の試験が――今、始まる。


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人戦凶人 沢田美 @ansaa

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