第0,2話 入隊試験

 カイトがGIQに所属して数日が経過した頃、彼は簡単な体力テストを受けていた。


 試験会場には、自分よりひと回りもふた回りも体格のいい受験者が集まっている。筋肉の厚み、視線の圧。そこへ混じる少年の体は、どうしても”場違い”に映る。

 そして案の定、カイトは周囲から舐めるような視線を浴びせられていた。


「おい見ろよ、子どもがいるぜ。あの子の親は、どれだけ期待してんだか」


「マジそれな。ここは幼稚園じゃねえっつーの」


 嘲笑が飛ぶ。だがカイトは、その空気に押し負けることなく、ただ立っていた。

 反発もせず、怯えもしない。感情の波が凪いだまま、目だけが淡々と周囲を観察している。


 ――うるさいな。

 カイトは心の中で呟く。こういう連中は、いつの時代も同じことを言う。自分より弱そうな相手を見つけては、群れて安心する。


「はい皆さんお静かに。今回のGIQ体力試験を受けに来て下さり、誠にありがとうございます」


 そう言って壇上へ上がってきたのは、白いひげを蓄えた監督者だった。

 試験内容と注意事項が告げられる。あくびを噛み殺す者、露骨にそっぽを向く者、几帳面にメモを取る者――反応は様々だ。


 だがカイトは、そのどれにも当てはまらなかった。

 ただ一人、ぼんやりと”音だけ”を聞いていた。理解していないのではない。理解したうえで、心を動かす必要がない――そんな空虚さがあった。


「お、君か。ノアさんが言ってた、天涯孤独の少年は」


 不意に声をかけてきたのは、鮮やかな赤髪のGIQ隊員だった。

 男は明るい笑顔で、距離の詰め方だけは上手い。


「GIQの試験、難しいと思うけど頑張ってね」


「はい、頑張ります」


 短い返事。会話を終わらせるのに十分な温度。

 そのやり取りをしている間に、監督者の話は終わっていた。受験者たちは一斉に移動を始める。

 流れに従って、カイトも足を進めた。


 ※ ※ ※


 たどり着いたのは、様々な運動器具が置かれたトレーニングルームのような場所だった。

 床は硬く、空気は乾いていて、汗の匂いが薄く漂っている。ここは”人間の限界”を測るための空間だ。


 ――だが、カイトにとっては簡単な作業だった。


 最初の試験は、30kgの鉄球を投げる砲丸投げ。

 周囲の大人たちは、重そうに鉄球を抱え、気合を入れて投げていく。記録は10メートル、15メートル、良くて20メートル台。


 カイトの番が来た。

 彼は平気そうに鉄球を握ると、体をひねり、ためらいなく投げ放った。

 鉄球は空気を切り裂き、一直線に飛んでいく。


 飛距離が伸びる。伸びる。止まらない。


「ご……50メートル……」


「嘘だろ……」


 審査委員が驚愕で声を漏らす。周りの大人たちは口を大きく開けたまま固まった。

 信じられない、という感情が先に立ち、評価が追いつかない。


 カイトは何事もなかったかのように、手を払って次の試験へ向かう。

 その背中を、受験者たちが呆然と見送った。


「つ、次は1500m走……」


 審査委員は驚いたまま次の項目を告げる。

 カイトは疲れた様子一つ見せず、すました顔で次の試験場所へ向かった。


 1500m走。

 スタートの合図と同時に、カイトは駆け出した。

 最初は他の受験者たちも並走していたが、すぐに引き離される。カイトのペースは一定で、呼吸すら乱れない。


 ゴール。

 タイムは――


「3分……10秒……?」


 審査委員が二度見する。計測器を確認し、もう一度確認し、それでも数字は変わらなかった。


 その後もカイトは、試験のたびに”とびきりの成績”を叩き出していった。

 握力、垂直跳び、反復横跳び――すべてが人間離れしている。


 周囲の空気が変わっていく。

 最初は嘲笑していた受験者たちが、今度は畏怖の目でカイトを見ている。


 ※ ※ ※


「す、凄いよカイト! 私が入隊試験を受けて出した成績より上じゃん!」


 結果を見たノアは目を丸くし、カイトの頭を自分の子どものように撫でた。

 彼女がそこまで驚く理由は明確だった。カイトが出した成績は、いずれも世界のギネス記録を超えていたのだ。


 その様子を少し離れたところから、イノリと葛城が見ている。


「ねえカイト。試験後で疲れているかもだけど、明日は特別部隊の子たちとパトロールに行ってもらいます。くれぐれもケンカしないようにね」


「わかりました」


「ウゲッ。カイト、私たちより成績いいし……」


 イノリが残念そうな顔で言う。

 そんな彼女をよそに、ノアはカイトへ白いアタッシュケースを渡した。見慣れない装備に、カイトは小さく眉を動かす。


「これはGIQ特製の武器。対疑神用武器だよ。疑神の弱点は心臓。だから疑神の硬い皮膚すら貫ける代物。使い方は簡単。アタッシュケースの持ち手にあるボタンを押せば、自動で変形する。あとの細かい感覚は、GIQの訓練所で試してみるといいよ」


「ありがとうございます」


 カイトは受け取り、重さを確かめる。思ったより軽い。だが、軽さの中に確かな硬度がある。


 ※ ※ ※


 パトロールの日。

 カイトはカニカマ隊のメンバーと共に、指定された巡回ルートを歩いていた。


 街は平和だった。子どもが笑い、店が開き、人が行き交う。戦争の気配など、どこにもない。


「平和だね……ちゃっちゃとパトロール終わらせて、早く帰んない?」


 カタリナは面倒くさそうに呟く。視線は街の景色ではなく、早く終わる未来ばかりを追っている。


「そうっスね。早く帰って録画しておいた推しアイドルが出てる番組、見たいし」


 だらけた会話が続いた――その時だった。

 突如、街中にサイレン音が鳴り響く。疑神出現を知らせる警報だ。


 音が広がるのと同時に、目の前の高層ビルが謎の巨大な”炎の矢”に貫かれた。

 直撃。ビルは悲鳴のような軋みを上げ、ものの数秒で倒壊する。


「え――」


 アカリの声が凍る。

 次の瞬間、巨大な建造物が崩れ落ちる音が、街全体を震わせた。


 貫いた矢は地面へ隕石のように激突し、爆ぜる熱と火花が周囲を焼いた。


 燃え盛る火の海から現れた疑神は、体にクロスボウのような器具を装着し、全身に煉獄の炎を纏っていた。

 炎が呼吸に合わせて揺れ、空気が歪む。近づくだけで皮膚が乾きそうな熱量だ。


「マジっスか……なんでこういう時に限って疑神が出るんスか……」


「なんか手ごわそうな疑神だね」


 アカリが言うと、カイトたちは即座に戦闘態勢へ移行した。

 疑神はその様子を”確認する”間もなく、恐ろしい速度で襲いかかってくる。


 アカリはアタッシュケースを変形させ、スナイパーライフル形態にする。機械音が短く鳴り、照準が炎の中心を捉える。


 息を止め、引き金。

 射出された弾は疑神の顔面へ迫る――が、疑神は命中寸前で横へ滑るように回避した。


「嘘……避けられた……?」


 アカリの声が震える。

 次の瞬間、疑神は装着したクロスボウへ矢を装填し、反撃する。


 矢はアカリの頬を掠め、浅い傷を刻んだ。そのまま通り過ぎ――直後に爆発する。


「ッ――!」


 衝撃波がアカリを吹き飛ばし、地面に叩きつける。


「アカリたん大丈夫!?」


 カタリナは叫びながら、アタッシュケースを剣へ変形させ、疑神の間合いへ踏み込んだ。

 時を同じくして、リュウとヨウヘイも剣形態へ。カイトは鎌状の武器へ変形させる。


 リュウとカタリナが一斉に畳みかける。だが攻撃のタイミングが揃わない。

 疑神は余裕をもって身を捌き、剣閃を躱していく。まるで”敵の癖”を読んでいるかのように。


「くそっ――当たらない!」


 カタリナが歯噛みする。


 一方、ヨウヘイは背後を取っていた。

 しかし疑神は背後の気配すら把握していたのか、ヨウヘイの攻撃も難なく回避する。


 隙を晒したカタリナたちは、即座に反撃の対象となった。


 クロスボウの疑神は、指の一本一本をクロスボウへ変形させる。

 そして無数の矢を一斉に発射した。


 矢の雨。

 飛び交う無数の矢が、カタリナたちの体のいたるところを貫く。呻き声が上がり、足がもつれる。


「――ッ!」


 リュウの肩に矢が突き刺さり、膝をつく。カタリナの腕にも矢が刺さり、剣を取り落とした。


 矢に体を貫かれたリュウたちは絶体絶命だった。

 その状況でカイトは、人間とは思えない身体能力で疑神の間合いへ踏み込む。


 疑神も接近するカイトへ無数の矢を放つ。

 だがカイトは鎌を回し、飛来する矢を弾き返した。弾かれた金属音が連続し、火花が散る。


 ――速い。

 疑神が初めて、相手を”脅威”と認識した。


 カイトは疑神の目の前へ立ち、首を鎌で斬る。

 さらに行動を封じるように両腕を切断し、攻撃不能となった胴体を横真っ二つに切り伏せた。


 圧倒的な力で疑神を行動不能にしたカイト。

 その戦闘を見ていたリュウたちは、言葉を失っていた。


 ――強すぎる。

 この日からカイトは、彼らにとって”一目置く存在”になった。


 ――そして。


 まだ息のある疑神から疑神化が解けると、その場にいたカイト以外の一同は、解けた”中身”に驚愕した。

 そこにいたのは、ただの人間だったからだ。


「あんた、何者だ?」


 カイトが問い詰めると、男は不敵な笑みを浮かべた。


「教えねえよ、んなこと。俺は命令に従っただけだ」


 男がそう言った――その時だった。

 突然、男の顔面が”くしゃり”と潰れ、体が強力な重力に押し潰されるように消滅した。


「し、死んだんスか? でも、どうして……」


 あまりにも突然の死。カイトたちは状況を理解できないまま固まった。


 ――次の瞬間。


 目の前に、黒フードの謎の男が現れる。

 音も気配もなく、距離だけが縮まっていた。男はカイトの目と鼻の先に立っている。


 カタリナたちが反応する前に、男はそこにいた。


「誰だ、あんた」


 カイトが問うと、男はフードの奥から笑った。笑い声ではなく、笑みの”気配”だけが伝わってくる。


「俺か? 俺はそうだな……Kと名乗っておこうか。あの男は俺が殺した。いわば口止めとしてな。……で、お前らGIQに宣言をしに来た」


 Kがそう言った瞬間、カイトは見えないスピードで鎌を振るった。

 だがKは、それを見切っていたかのように回避する。まるで”最初から読んでいた”動きだった。


「おいおい。人が話そうとしてるのを邪魔するなよ」


 Kは肩をすくめ、淡々と続ける。


「……今からお前らGIQに宣言する。8月23日、俺たちアークは革命戦争を開始する。何人の人間が死ぬのか楽しみだな。――あと、お前は誰のために戦っている? お前の目を見れば、ただ目的もなく戦っているとしか思えない」


 Kの言葉が、カイトの胸に刺さる。

 ――誰のために?

 答えが、出ない。


 Kはそう彼らに告げると、霧のようにカイトたちの目の前から消えていった。


 何のため……か。

 カイトは、その問いを胸に抱えたまま、立ち尽くした。


 パトロールを終えたカイトたちは、負傷した傷を治療するためにGIQ病院へ搬送された。


 ※ ※ ※


 幸い負傷は深くなく、簡単な治療で済んだカタリナたちは同じ病室で安静にしていた。

 一人だけ怪我をしなかったカイトは、GIQ本拠地にいるノアから呼び出しを受ける。


 ノアの部屋の前まで来たカイトは、ドアを三回ノックした。「はーい」とノアの声が返り、カイトは部屋へ入る。


「パトロールお疲れ様。んで、単刀直入に聞くけど……何があったのかな?」


 ノアは鋭い目つきで問う。

 カイトは事の経緯を要約して伝えた。するとノアは、さすがに驚いた表情を見せる。


「なんで普通の人間が疑神に……」


「教えてくれませんか。疑神というものを」


「そうだね。教えてなかったね。そもそも凶人は、人間の突然変異みたいなもの。で、その凶人がさらに突然変異したのが疑神ってわけさ。だから普通、ただの人間が疑神になることはありえない」


 その説明を受けて、カイトは続けてKという謎の男について話した。


「革命戦争……。本当に起こすつもりなら、GIQは厳戒態勢にならなくちゃいけない。……まあ、でも今は様子見かな」


 ノアはそれ以上を深追いせず、軽く流した。


 カイトは少し迷ってから、口を開く。


「あの……俺は一体、何のために戦っているんですか? 人間のため? それとも……」


 ノアは一瞬、目を細めた。そして、少し寂しそうに笑う。


「そんなの、人に聞くことじゃないよ。そういうのは自分で見つけるんだ。私は”人のため”に戦ってるつもりだよ」


「『自分』で……ですか……」


 カイトは部屋を出た後も、その言葉を反芻していた。

 自分で見つける――でも、記憶のない自分に、見つけられるのだろうか。


 ※ ※ ※


 クロスボウの疑神との戦いから数日が過ぎ、日付は8月19日。

 カイトは、あの日に出会った謎の男の言葉が頭から離れなかった。


 負傷が完治したカタリナとリュウらは、カイトと共に廃工場で任務を受けていた。

 無人の工場を散策する。真夏だというのに、全身が肌寒い。空気が湿っているわけでもないのに、背中の汗が冷える。


 そんな工場の中でリュウが口を開いた。


「カイトさん。この任務って、何を目的としたモノなんスか?」


 リュウが不安そうに言うと、カイトはすました顔で「見ればわかる」とだけ返す。

 カタリナやリュウへ顔を見せない。距離を置き、感情を挟まない。そんな調子で歩みを進めていく。


 進むほどに、カイトの言葉の意味が分かり始めた。


 ぴちゃ、ぴちゃ。

 水たまりを踏む音が増える。工場の床はところどころ黒く濡れていた。


 ふとカタリナがライトを向ける。

 ――それは、ただの水たまりではなかった。


 血だ。

 血のようなものが、海のように広がっている。


「な、なにこれ……カイトくん! 私たちは何の任務を……?」


 カタリナの声が震える。


「来るぞ。構えろ」


 カイトは言葉を遮って、リュウたちは即座に戦闘態勢へ入った。


 無限に広がる血の海から出てきたのは、GIQの隊員服を纏った人骨の群れだった。

 乾いた骨が布を着ている。その不自然さが、逆に現実味を奪っていた。


「う、嘘でしょ……」


 カタリナが後ずさる。


 カイトが口を開く。


「ここ最近、この工場に派遣されたGIQ隊員が次々と行方不明になっている。この任務の目的は、その行方不明になったGIQ隊員を見つけること。……どうやら原因は疑神らしいな」


 真っ赤な海から現れたのは、タコのような巨大な触手を多数持ち、顔が人間の頭蓋骨になっている疑神だった。


「さっさと終わらせるぞ」


「「りょ、了解……?」」


 カイトの冷静な声が、恐怖に震える空気を切り裂いた。


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