第2話 絶望の淵からこんにちは


「どういうことですか先生!」

 アトレは戸惑いながらも、思わず声を上げた。

「君は筆記は優秀なんだけど……」

「うちの高等科は魔法学校だから魔法は使えないと」

 六十代くらいの男のバスティアン校長と、同じくらいの年齢のルシュール理事長が話す。広い校長室。大きなテーブルに、ソファに深く座っているアトレに冷や汗が流れる。

 動揺、恥をかかせたという焦り、その二つが身体の奥から湧いてきた。しまいには声が出てこなくなってしまった。

「ですので明日土曜日、退学の手続きをするため学校に来てください」


……終わった。


ついに社会からも拒まれた。


自分の運は家柄だけだったの?


もしかしたらそれすらも運に見放されたのかもしれない。


なんでなんでなんでなんでなんでなんで……


どうして……私だけ、な……の…………


 こうして短い学生生活に終わりを告げられた。動かない身体を引きずりながら帰路につく。

 誇りに思っていた美しい校舎は雲の上より高く、喪失感だけが残った。

 帰り道アトレは両親に何を話せばよいのか分からなかった。きっとひどく怒られるだろう、そう思いながら歩いてるといつのまにか家に着いた。

 

 真っ白な屋敷によく整えられた大きな庭園。門の前からでもわかるほどの、裕福な一族。

 しかし今は帰りたくない。いつものように期待してくれる使用人達の言葉が傷に染みる。ましてや優秀な魔術師であり当主でもある父親に合わせる顔がなかった。

 立ちすくんでいると一人の使用人がやってきた。

 六十歳くらいの彼は、白髪で身長が高く長い顎髭を生やし、片眼鏡を左目につけている。

 ——彼はアトレ専属の執事、バル・ミッテランだ。

 彼が来るとアトレは姿を変えた。完璧な令嬢の姿に。

「お帰りなさいませ、お嬢様。長らくお立ちになられていた為、お迎えに参りました」

「ま、まぁお気遣いありがとう、じいや」


 アトレは、今自分ができる一番元気な声を出したつもりだったが、気分の暗さを隠す事はできず、声に滲んでしまった。運良く執事に気づかれる事は無かったが。 

 荷物を持ってもらい家の玄関に着くと、突然の悪寒に襲われた。

 そして、重力が何十倍にも重くなったような恐怖が全身をかけ抜けた。もはやドアノブにしがみつくのも限界なくらいに。


「お嬢様お疲れのようですがどうされました?」

「……いや、大丈夫よ……」

 息を深く吸い、ゆっくり扉を開けた。少しずつゆっくりと。重くなった扉を開けると父親、セレオがいた。

「アトレか、今日は早く帰って来れたんだ」

「……ただいま、お父様。あ、あのお父様、話が、あるの……」

 父を見るや否や、自然と涙が溢れた。そして、震える声を出して今日のことを打ち明けた。


「そうか、椅子に座りなさい。紅茶を持ってこよう」

「……ありがとう。この話はじいやにも聞いてほしい」

 そして客室の様な広いリビングに移動した。縦長のテーブルに椅子を置いてアトレは座った。セレオが紅茶を持ってくるとアトレに飲ませた。父親が座ると空気が重くなった。彼は防音結界を張ると口を開いた。

「落ち着いたか? それで、話とはなんだ?」


息を大きく吸う。


「実は……が、学校を、退学に、なりました……」

 身体の中から涙が込み上げ、泣きながら告白した。それと同時に身体が軽くなった気がした。


 セレオは「そうか」の一言だけ残し黙り切った。数分経った頃、彼は静寂を破り口を開いた。

「ごめんな、お前を立派な魔術師にさせてあげられなくて。」

 そしてアトレを優しく抱擁した。アトレは腕の中で泣いた。涙が枯れるくらいに泣いた。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 その日の夜は眠れなかった。自分の部屋に戻ったアトレは、明かりを付けず制服のまま一晩中床にうずくまって泣いた。部屋には月明かりが差し込んでいた。

 夜が明けると父が馬車に乗り外出するのが見えた。


(私のためにお父様は学校へ行ってるんだ……きっと私を気遣って一人で行かれているんだ)

 眩しい陽の光を横目に外を見ていると、家のメイドが朝食のために呼びに来る。

「アトレ様、お食事がご用意できております。下に降りられてください」

「……自分の部屋で食べる」

「承知しました、準備ができ次第お持ちいたします」

しばらくして戸を叩く音がした。

「お持ちいたしました。取りにいらしてください」

 少しして扉が開く。中からは見慣れない姿の少女が出てきた。髪がボサボサで顔には涙の跡が残っている。しわくちゃになった制服を着た彼女は紛れもないアトレだった。メイドは少し驚いたものの、パンと紅茶を乗せたトレーを差し出した。

 香ばしい匂いがアトレの部屋に広がる。匂いにつられ一口だけ食べたが、あとは全て残した。昨晩は何も食べなかったのに、食べる気がしなかったのだ。

 数日、何もせず食べて寝るだけの生活が続いた。少しずつ食欲が回復したが、気分は落ちたまま引きこもっていた。


 あるとき、アトレは自殺を計画する。

(私はどうして生まれたんだろう……魔法が使えないなんて、生きている意味がない。辛い。消えたい。)

 フォークで喉を刺せば死ねると思った。でもいきなり実行する度胸がなかったので、試しに食事で出されたフォークで手首を刺す。

 死ぬのが怖かったのだ。

「あ゛っ! 痛っ!」

 出血した手を見るが死ねるような感じではない。するとドタバタと階段を上がる音がしてきた。

 母のカルミアがドアを蹴破った。

 ゴールドブロンズの髪を輝かせ、暗い部屋に入る。

「アトレ! 今の声は何!」

「奥様、落ち着いてください! ドアが壊れてしまいます!」

「そんなことどうでもいいわ! あなた、手首を怪我してるじゃない」

 血のついたフォークを見た。

「これでやったのね。どうしてこんなことしたの?」

「……ごめんなさい」

「……あなたが無事ならよかったわ。誰か包帯を持ってきてちょうだい」

 カルミアはしゃがんで包帯を手首に巻いてあげた。

「これでいいわ。しかしまぁ、ずいぶん痩せたわねアトレ」

 包帯を巻かれた手首を持ちながら、カルミアはそっとアトレの目を見つめる。

「いつもは追い返されてたから、会えて嬉しいわ」

「……お母様、私なんかを……どうして、産んだの?……」


 実の子供にどうして産んだのなんて聞かれたら落ち着けるはずがない。けれど、カルミアは怒ったり、泣いたりもせず、冷静に話す。

「そんなの、アトレが生まれてきて欲しかったからでしょ。人はみんなどこかしらの不自由を持ってる。魔法が使えないアトレでも使えるアトレでも、私にとっては大切な可愛い娘。だから、あまりこんなことは言うべきじゃないよ」

 カルミアはアトレの頭を、優しくふわふわの綿を触るように撫でた。


 母の言葉はアトレの傷ついた心を慰めるようだった。優しくて、包容力があり絶対に娘を傷つけない。そんな風に感じたアトレは気持ちがいっぱいになり、暖かくて柔らかい母親の胸元で声を出して泣いた。

「…………ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさ……い…………」

 その間、カルミアは何も言わずに穏やかな笑顔で、アトレを抱きしめながら頭を撫で続けた。

 アトレが落ち着いて来た頃、アトレは顔を上げて言った。

「私のせいでお母様の大切な時間を奪ってごめんなさい……」

 涙で目が赤くなってしまっていた。あまり人に見せるような姿では無いけど、それでも言いたかった。

「何も謝らなくたっていいじゃない。泣きたい時は誰でも泣いていいんだよ。それじゃあ私は行くね。……もし気分が晴れないなら本を読みなさい」


 そう言って、カルミアは立ち上がり侍女達と部屋を後にした。

(……お母様にひどいことを言ってしまった)

 後になって気持ちがぶり返し、後悔して床にうずくまり声を出して泣いた。アトレが泣きつかれる頃には朝になってしまっていた。

 この事件の後、食事にはフォークを使わないものが出されるようになった。

 

 何もすることがなくなったアトレは、言われるがまま本を読むことにした。自室にはたくさんの本がある。娯楽小説から学術的なものまで。少なくとも千冊近くはあった。

 

 一ヶ月が過ぎる。

 アトレは閉じこもってからもずっと読んだ。

 いろんな本を読んだが、何か自分が変わるようなものは見つからない。そして読んでは本を床に積み上げた。

(あれ? 本が取れない)

 また一つの棚を読み終わり、上の棚に手を出す。ぎっしり本が詰まったその棚は、とてもじゃないけど本が取ることができない。

「……えいっ」


 全体重をかけて本を無理に引っ張るとアトレは後ろに倒れた。倒れた衝撃で、本棚の上から本が顔に落ちる。

「いたた……いったいなんなの」

 顔の上の本を見たアトレは気付いた。

「……この本、私が昔好きだった本だ。もうとっくに無くなってたと思ってたよ」

 『ミラの魔法』と書かれたボロボロの絵本をうっすら微笑みながら読む。

 『ミラの魔法』は魔法を使って様々な困難を越える魔女の旅だ。その童話をアトレは懐かしそうに読み続けた。

「『こうして、星の花を探す旅は終わりました』やっぱり、ミラの旅は面白いな。……旅か」


 しばらくすると、執事であるバルがやってきた。

「お嬢様、お食事をお持ちいたしました」

「……ねえ、じいや、あなたにお話があるの。だから中に入ってくれない?」

 小さな声で戸の奥から話す。

「ええ、何なりとお申し付けください」

 食事を持って扉を開けた。

 暗い部屋の中には、ボロボロの絵本を持ったヨレヨレのアトレが立っていた。

「そこに座って」

 木の椅子を指差す。バルは言われるがまま、座った。

「単刀直入に言うと私、旅に出ようと思うの。でもそれをお父様方に伝えるのが怖くて……」

「そのようなことなら、私もお手伝いいたします。ですが、そのようなお姿では到底受け入れてもらえないでしょう。ですので髪をとかし、服を着替えてから行きましょう」

 そう告げると食事を置いて部屋から出た。

「ありがとう、じいや」

 アトレはそう呟くと髪をとかし始めた。

 一ヶ月引きこもった髪は、寝ぐせがひどく櫛が通らないほどだった。とかし終わるとパジャマからちゃんとした服に着替えてドアを開けた。

「では、行きましょう」

 アトレは告げた。

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魔法が使えない魔女は旅に出る 宮坂たきな @tak1na_

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