魔法が使えない魔女は旅に出る

宮坂たきな

プロローグ

第1話 終わりは突然に

「うわぁー! お花がたくさん!」

 草木が綺麗に整えられた小さな庭園に、水色の髪の幼い女の子がいた。彼女の名はアトレ・エマニュエリ。旧貴族の末裔である。

 まだ魔法が使えない幼いその子の瞳には、たくさんの花びらが映っていた。目の前には白やピンク、時には紫色の花が舞っている。

 夢のような景色に女の子は思わず飛び跳ねた。

「お姉ちゃんはすごいのよ。次は虹を出してあげる」

 少女が指揮棒くらいの小さな木の杖をひょいと動かすと、先から水がシャワーのように飛び出した。

 そして、女の子の背丈くらいの小さな虹が作られた。

「虹だ! わーいわーい。私も早く魔法を使いたいな」

 アトレは小さくぴょんぴょん飛び跳ねて喜びを露わにした。

「アトレもお姉ちゃんみたいに十歳になったら使えるようになるよ」

「えへへ」

 アトレは頬を赤く染め、恥ずかしそうに笑った。

 この時、不思議で美しい魔法に魅了された幼き少女は心に誓った。

 「大人になったら必ず、なんでもできる優秀な魔法使いになってやる」と。


* * *


 十年後、名門魔法学校「フランクール法学校」に一人の少女の姿があった。

「はあ。次は実技の授業か」

 水色の髪の少女、アトレ・エマニュエリであった。


 エーベル地方の都アルノール近郊に、フランクール法学校はある。

 国内外から多くの上流階級や魔法学に優れた者が、礼儀作法や社交の場、より高度な魔法を学びにくるこの学校。

 とある一年次の教室にアトレは在籍していた。


 そんなアトレは次の授業が嫌そうに、机に突っ伏して呟いていた。

「早く行くよ、アトレちゃん。授業からは逃れられないよ」

「またいつもみたいに誤魔化せばいいじゃないか」

 幼馴染のふわっとした栗毛のボブのラビナ・フォールと、同じく幼馴染の少し外にはねた紺色の髪の男子、トスカ・ルクレールがやってきた。

 二人はそう声をかけるとアトレを半ば強制的に起こして連れて行こうとした。

 まるで机に貼り付くスライムを剥がすように。

「でも今日から応用魔術なんだよ。この前みたいにマッチを投げて火をつけるだけじゃ誤魔化せられないよ」

 座ったままふたりの方を振り向いて話した。

 すると遠くで扇子を口にかざしてクスクスと笑いながら話す声が聞こえてきた。

「エマニュエリ公爵の娘なのに魔法が使えないとか、旧貴族として恥ずかしいですわ」

「まったく、魔法が使えない奴にボクが負けるなんて」

「ホント、あのような方が首席だとは信じられませんわ」

 典型的な悪役令嬢だ。三人はアトレたちに聞こえるくらいの声量でその場を去っていく。

 だが、全てが図星だったアトレは嫌気がさして、いっそう授業に行きたくなくなった。


 旧王政時代、ラトゥール共和国の前にあたるヴァリエ王国には、四大公爵と呼ばれる名家が存在していた。

 それぞれは得意とした魔法を持っており、アトレのいるエマニュエリ家は代々、攻撃魔法に長けていた。魔術一家の超名門と言ったところだろう。

 しかし、革命により王朝の貴族制は解体されてしまう。元はエーベル公国という一つの自治国だったが、今は地方になり、親のヴァリエ王国は現在のラトゥール共和国になってしまった。

 その中でも多くの貴族が爵位を失い旧貴族になった。しかし、エマニュエリ家は旧国民の信頼が厚かったため、革命後も貴族並みの権力を持ってないものの「公爵」と呼び続けられていた。

 そしてアトレはそのエマニュエリ公爵家の末裔だ。アトレの銀のように輝く水色の長い髪と翡翠のような瞳は、エマニュエリ家を象徴するものだ。

 そんな名門の姓を背負ったアトレには、魔法が使えないことは屈辱そのものであった。

 普通、十歳を過ぎると人は自ずと魔法が使えるようになる。また、十一になれば簡単なものであればひとつやふたつは必ずできるようになる。

 しかし十六歳になった今、アトレは魔法が使えなかった。そのうえ、魔法が使えない人なんてこの世界中探してもいない。

——世界が私を拒んでる。でもどうして自分だけなの。……どうして。

 自分が成長するにつれ、日に日にそう思う感情が大きくなっていった。

 だから彼女は勉強をした。基礎を固めれば使えるようになるかもしれない。そんな淡い期待と魔法への執念が現在の彼女を作った。

 入学後、容姿端麗、秀外恵中なアトレは生徒たちに一目置かれるようになる。


——魔法使いとして重大な欠点があるとも知らずに。


* * *


「……そんなこと、言われなくてもわかってるのに」

 ふて腐れるようにつぶやいた。すると、トスカがアトレの背中を叩いて

「くよくよするなって。置いていくぞ」と言った。

 心に決めたアトレはゆっくりと立ち上がり、教科書を持ってとぼとぼ歩きながら二人と一緒に教室へと向かった。

「なあアトレさん、俺に数学を教えてくれませんか。首席のあなた様の力が必要なんですよ」

 不機嫌な彼女を慰めるようにトスカはごまを擦った。

「ルクレールくん、あなたは遊んでばっかりだからでしょ。まずは自分でやりなよ」

 アトレは指を立てて、少しからかいながら先生のように上から目線で答えた。

「遊んでいるんじゃない、自然と触れ合っているんだよ」

 トスカは魔法で手の上に葉っぱを出すと、撫でるように触り、また消した。

「そうだよトスカ。少しはアトレちゃんを見習ったら?」

「ぐぬぬ……。そうだ、今日の授業は火炎の渦を作るんだっけ」

 息を吸うように話をすり替えた。

「そうだよ、火を作ってすぐに風の魔法で巻き込むんだよ」

 基礎と座学は完璧だったアトレは簡単に答える。

 日当たりの良い白い大理石の廊下に三人の声が響いた。

 トスカは話しているうちにアトレの足音がだんだん軽くなっていくのを感じていた。

 トスカの作戦はアトレの機嫌を良くすることができたのだ。


* * *


 教室に着くと、すでに二十人くらい生徒が集まっていた。講堂のような教室には椅子が階段状に並んでおり、下の黒板の前には小さなろうそくが立っている。どうやら今日の授業で使うらしい。

 アトレが誤魔化し方を考えつつラビナと話していると、白い髭を生やした老年のカルタン先生が教室に入ってきた。

 彼が入ってくると同時に、教室が静かになる。

「アトレちゃんまたね。わたしは席に戻るから」

 ラビナはそう言って自分の席に戻った。


「それでは、授業を始めます」

 その一声で部屋の空気が変わった。まるで水の張ったプールのように、壁に火がついても燃えないくらい、ひんやりとした空気になった。

 ある程度授業が進むと実技の時間になった。名前の順に生徒たちが火炎の渦を作り、ろうそくに火をつけていった。

「次、エマニュエリ君」

 ついにアトレの名前が呼ばれた。重い足取りで階段を降りていく。

 周囲からの期待の眼差しが、アトレに重くのしかかる。

 誤魔化し方が思い浮かばなかったアトレは、とりあえず魔法を詠唱した。当然魔法が出ることもなく、不発に終わった。

「今日は調子が悪いみたいですね。次」


 アトレは席に戻った。


 その後、他の生徒たちが淡々とクリアしていくのを見るしかなかった。

 途中、別の先生がやってきてカルタン先生と話す場面があった。

「これで授業を終わりにします。放課後、エマニュエリ君は校長室にくるように」

 このときはアトレは「また何かの推薦かな」と思っていた。


「た……退学ですって!?」


 アトレの戸惑いに満ちたよく通る声が学校中に響いた。   

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