第9話 その後

・寛政7年(1795)

  寛政6年から7年に掛けて約10ケ月の絵師活動をした後、東洲斎写楽は寛政7年に忽然と消息を絶った。版元の蔦屋重三郎は、写楽の消息について何も語らなかった。写楽の正体や消息を絶った理由は今も謎である。


・同じく寛政7年(1795)

 江戸の版元、須原屋すはらや茂兵衛もへえは、京都の版元の中川なかがわ藤四郎とうしろうと共同で、『万宝まんぼう料理りょうり秘密箱ひみつばこ』の補刻版を出版。大ヒットを飛ばす。作者の器土堂かわらけどうについては、今も何一つ分かっていない。


・天保15年(1844)

 江戸・神田の町名主であった斎藤月岑さいとうげっしんが『増補浮世絵類考』を著す。

 その中に以下の記述がある。

 「写楽 天明寛政年中ノ人 俗称斎藤十郎兵衛 居江戸八丁堀に住す 阿波侯の能役者也 号 東洲斎」


           了

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写楽と黄身返し卵の謎(『万宝料理秘密箱 卵百珍』異聞) 永嶋良一 @azuki-takuan

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