最終断片
書庫の整理をしていたとき、一枚の紙が落ちてきた。
どこに挟まっていたのか、わからない。紙は新しかった。わたし以外の誰かが、最近、ここに置いたのだ。
そこには、短い文が書かれていた。筆跡は、見覚えがなかった。
> あなたも気づいたのですね。
>
> 割れなかった卵について。
>
> わたしたちは、同じ問いの中にいます。
署名はなかった。
わたしは、その紙を、この記録に挟むことにした。
────
※ 終注
この注釈集を、どのように閉じればよいのか、わたしにはわからない。
通常の注釈であれば、最後に要約を置く。本文の内容を整理し、異本との相違点を列挙し、欠落箇所を指摘して終わる。
しかし、この注釈集には、要約すべき内容がない。あるのは問いだけだ。
卵は存在したのか。殻は割れたのか。世界は生まれたのか。
わたしは、答えを持っていない。
わたしに言えることは、一つだけだ。
『世界卵神話』は、世界の起源を語っているのではない。世界の起源を語ろうとした者たちの痕跡を、伝えているのだ。
卵があったかどうかは、わからない。
殻が割れたかどうかは、わからない。
だが、卵という言葉が必要だった者たちがいた。殻という概念を求めた者たちがいた。起源がなければ世界を理解できないと感じた者たちがいた。
その必要性だけが、確かに存在している。
────
夜が明けようとしている。
東の空が、ゆっくりと明るくなる。
この光が、殻の内に満ちたものなのか、
外から差し込んだものなのかは、わからない。
ただ、光はそこに在る。
卵は、割れなかったのではない。
最初から、存在していなかったのかもしれない。
それでも——
それでも人は、何かが割れた音を想像せずにはいられない。
人は、始まりを求めてしまう。
わたしもまた、その一人なのだろう。
この注釈集を閉じながら、わたしは思う。
次の注釈官が、この記録を見つけるだろうか。そして、同じ問いの中に入ってくるだろうか。
もしそうなら——
ようこそ、と言いたい。
わたしたちは、同じ殻の内側にいる。
あるいは、同じ殻の不在の中にいる。
────
【注釈官補記録 第三七四号 世界卵神話注釈集 了】
割れなかった卵についての注釈 shiso_ @shiso_
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