第4話


「真鈴、こっちー!」


 まだ随分距離があるのに、その声は私まで届いた。右手をぶんぶんと振り回す姿と、すらっとした長い足が目に飛び込んできた。小学生の時より明らかに身長が伸びている。私は二センチしか伸びなかったのに。


「ごめん、待った?」

「全然、今来たとこ。やばっ、真鈴、めっちゃ久々じゃん!」


 夕日を背負ったアリサが私の肩に軽く手を置く。その手のひらの熱が、私の薄いブランド服を突き抜けて直接伝わってくる。そのアリサの指先からは、油と煙草が混じったような、私には無縁の匂いがした。アリサが笑うと、胸元にあるつややかな黒髪が気丈に揺れた。そのアルトな声も酷く艶やかに思えた。


「ほんと、久々すぎだよ。小学校卒業以来だしね。学校帰り?」

「うん。真鈴も?」

「そう、さっき帰って来て、着替えて来たとこ。バイトもなくてちょうどよかったよ」

「いいなー。うちの高校結構校則厳しくてさー。バイトも出来ないよー。うらやましー」

「アリサ、インスタのフォロワーも多いし、大活躍じゃん。芸術家、やってるんでしょ? 実はすごい稼いでるんじゃないの?」

「ぜんぜーん。いつかはたっくさん稼ぎたいなって思ってはいるけどね! その方が活動も気兼ねなく出来るし! ……てか、なんか真鈴、雰囲気とか喋り方とか変わった? 小学生のときはもっと大人しい感じだったというかー」

「え? そう? ていうか、アリサもめちゃくちゃ変わってんじゃん」


 謙遜しつつも自覚はあった。内気な女の子だった当時の私から、少しは変われている。まだ陽菜のような理想の女の子にはなれないけれど、校則があっても、自分の容姿がイマイチでも、内気な性格でも、理想には近付けるし、変われる。


「まー五年ぐらい経てば、お互いそれなりに変わるよね。小学生の時はさ、お互いさ、暗いヤツだったじゃん。友達も明らかにみんなより少なくてってさ。真鈴とか、ほとんど誰とも話さなかったじゃん」

「それはお互いさまでしょー」


 二人で笑い合った。お互い私達は同じ存在だった。暗くて地味。みんなから煙たがれるような存在。二人ともイタイ奴だったからこそ、そんな部分を隠すことなくさらけ出すことが出来る。


「けどさ、なんでアリサは芸術家やってんの? なんで廃材でアートとか作ってるわけ?」

「あーそれはさー」


 さっきまでのへらりとした表情は消え、アリサは私を真っすぐに見据えていた。


「そのものの価値に気付いてほしいから、かな」

「そのものの価値?」

「そう、何に生まれ変わっても変わらない価値」

「じゃあさ、もしかして、小六の時、一緒に作った万華鏡もその一部だったってこと?」

「ああ、あの万華鏡ね、なつかしー! そうだよ、あのゴミのことはよく覚えてる」

 

 キラキラと輝いていた昨晩の万華鏡が思い出された。


「ゴミって……。あんなに綺麗だったのに」

「あのね、真鈴。ゴミはゴミのままなんだよ。どんなに加工されて綺麗になっても、価値は変わらないの。だから、どんなに変わろうとしても、変えようがないの。理想は理想でしかないってこと。理想を追い求めたって何も変わらない。理想は自身が勝手に作ったもので、それも底無しに続くの。そんな出口のないユートピアに閉じ込められてるってことに気付かないほうが愚かだってあたしは思うわけ」


 アリサは私を見つめ、ふっくらとした赤い唇で私へ説教するようにそう説いた。その魅惑的な唇から溢れたアリサの言葉は、毒を持つ美しい何かに思えた。それは、本質という呪いを持つ毒。決して受け入れたくない毒。 アリサの大きな口も小さな鼻も切れ長な瞳もすべて、傲慢に見え始め、私の薄い唇からはトゲのある言葉が零れ出ていた。


「けど、みんな理想に近付きたくて頑張ってるんだよ? そのことの何が愚かって言うわけ? アリサだって可愛い女の子になりたいって思ったから見た目も変わってるし、理想を追い求めてそんな姿になったわけでしょ? アートで目指す世界があるってことも理想を追い求めてるってことなんじゃないの? そんなことするクセに価値は変わらないなんて言うの、おかしいよ。私以上にめちゃくちゃ見た目も変わってんじゃん」

「けど、価値は変わらない。ゴミはゴミのままだし」

「でも、ゴミは万華鏡に変わったでしょ。価値上がってんじゃん。それにアリサが作ってるアート作品も、あれもゴミから出来てるみたいだけど、完成した作品は作品であって、ゴミではないでしょ?」

「ゴミだよ」


 私はその率直な物言いに言葉を詰まらせた。


「あたしさ、家が貧乏だったからか、昔からゴミって何かの役に立たないかなってずーっと思ってたんだよね。納豆の容器を鉢植えの代わりにして、果物や野菜から出てきた種を植えてみたり、使用済みの割り箸で接着剤使ってロボット作ったりしてさ。そういうのがさ、すごく楽しかったんだー。あー無駄なものって一つもないんだなーって思ったわけ。納豆の容器からさ、スイカの芽が出た時なんかさ、飛び上がるぐらいすっごく嬉しくてさ」


 アリサは確かに何かを作ることが大好きな女の子だった。私もそれはよく覚えている。だからこそ、あの万華鏡をゴミだと言ったアリサの気持ちがよく分からなかった。


「けどさ、ある日、学校から帰るとあたしが作った物、親に捨てられてたわけ。ぜーんぶね。あたしがゴミで作ったゴミでなくなったもの達、すべて。あたし、綺麗になったリビングで立ち尽くしちゃった。そこでうちの天然ママなんて言ったと思う? ゴミだと思ってたわ、だって! あたしが一生懸命作ってるとこ見てたのに、よ? けどさ、その時気が付いたんだ。いや、知った、と言うのが正しいかな。ゴミはゴミのままなんだって。……あーもうそんな顔しなくていいって! 真鈴が思ってるほど、あたしは深刻にも思ってないし、考えを改めただけだから。だからこそ今の活動もあるんだ。あたしの作品はゴミなんだよ、全部! あの時家で作った物も、学校で作った万華鏡もね。あたし、ゴミから何か別の価値みたいなものを生み出すことが正義だと思ってたの。それに囚われてたの。けどね、ママに全部捨てられてから、あ、そんなことはないんだって気付いたわけ。だいたいさ、ゴミは何かに変身して別の価値を生み出さなきゃダメなの? そんなの人間のエゴだよ。環境のために、リサイクルのために、そんな正しさだけにみんな囚われすぎてるんだよ。例えさ、汚くても、臭くても、壊れていても、そのままで十分なんだよ。アートとして生まれ変わっても価値は変わらない。それがあたしの伝えたいことの一つなわけ」


 アリサはそれほどまでに不可欠なことを伝えたいのだろうか。だけど私には到底理解出来そうにない。価値の不変さなんて。


「けどさ、アリサはあの人気俳優の須郷拓海にさ、たくさん宣伝してもらってるよね。それってアリサっていう元の価値を無理矢理上げようとしてるってことなんじゃないの? その変わった見た目だって、変わった口調も全部引っくるめて、変わらない価値をどうにかもっと良い価値に変えようとしてるってことじゃないの?」

「価値は私の見た目が変わったって何も変わらないんだってば。それに拓海とは小さい頃からずっと仲いいし、純粋にあたしの活動を応援してくれてるの。彼の表面だけ見ないで」


 そう言うと、アリサは「もう帰るね」と告げ、この場を立ち去った。私はそんな彼女を止めようとも思わなかった。

 気が付くと太陽はほとんど沈んでいた。ふと蛍光灯で白く灯されたコンビニの窓を見つめると、そのガラス窓に映り込んでいた私は、以前よりも理想の姿になっている、はずだった。なのに、その姿は小学生のあの頃のように酷く頼りなく見えた。


 私は自分の理想を目指して、それなりの努力をして容姿を磨いてきた。そのおかげで少しは自信が持てた。陽菜のような理想の女の子にも出会えたし、アリサから何を言われようとも、どれだけ大それた芸術を打ち出そうとも、壮大なメッセージを発信しようとも、私は私なりに自分という存在の価値を底上げしていきたい。それは決して間違ってはいないはずだ。



 次の日、教室へ入ると、いつもとは違う光景が目に飛び込んできた。毎朝朗らかに挨拶をしてくれる親友の陽菜が机に突っ伏していた。様子が明らかにおかしく、私は慌てて陽菜の元へ駆け寄った。


「陽菜、どうしたの?」


 すると陽菜は机から顔を上げ、泣き腫らした真っ赤な目を私に向けた。


「拓海が、拓海がっ、カミングアウトしたのっ。実は、女だったなんて、女だったなんて、そんなことある……? 私、ガチ恋してたのに! ファンをずっと騙してたんだよ!? あり得ない! 理想の男の子だったのに……!」


 陽菜の泣き声が教室中に響いていた。


 とある表部分が薙ぎ払われた時、私達はどこを見つめるのだろう。須郷拓海を自分の理想的な男だと思い込み、騙されたと罵倒する陽菜。そして、陽菜や須郷拓海の表側だけを見て、価値や理想を勝手に決め、求め続けていた私。コーティングがすべて剥がされた時、私はアリサのようにすべてを受け入れることが出来るだろうか。


 陽菜の泣き声と一緒に、ミンミンゼミも遠くで鳴いている。もうすぐ夏真っ盛りだ。またあの海の季節がやってくる。私は教室の窓から広大で青く澄み渡った空を見つめた。かつて、万華鏡の中で見たあのユートピアのような海の色を。いつかこの空がありえないネオンピンクに変わる日が来たとしても。私はその表面の色に左右されない不変的なものを見いだしたかった。

 

 学校からの帰り道、世界が夜の色に塗り替えられていく姿を私はじっと見つめていた。


 自室に戻った私はまたベッドに寝転び、あの万華鏡を覗いた。筒を回転させれば、海のゴミ達は楽し気に美しい模様を次々と生み出していく。それは今夜の星屑のように煌々と輝いていた。形を変えたモノ達の今の輝きが、そこにははっきりとあった。この見えない価値を私はちゃんと見たい。


 私はそれをゴミ箱目掛けて、強く投げ放った。

 今まで燦然と輝いていた万華鏡は、ゴミ箱の底へ沈み、空き缶と同じ乾いた音を立てた。






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万華鏡に沈んだユートピア 凛々サイ @ririsai

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