第4話 マリンスポーツ
「そろそろ戻りましょうか?」
いろいろ勝手な想像をめぐらせていた達人だったが、丸渕に声をかけられ、はっと我に返った。
「そうですね、いつまでもここで油を売ってるわけにはいけませんね」
ふたりは立ち上がり、階段を下りて通夜会場に戻った。
員弁隆敏の通夜が終わり、葬儀も無事終了して2週間が経過し、人情路地には日常が戻ってきた。季節は夏本番を思わせる暑さがすでに始まっていた。今年の夏はいつもの年より暑くなるのが早いような気がする。
まだセミの季節には早いのか、あまりジワジワというセミの鳴く声は聞こえないが、すでに身体にまとわりつくような不快な暑さは到来していた。
達人は員弁と加納のふたりの死が気にはなっていたが、同世代の子供がいるとことと死の直前に音または音楽を聞いていたということ以外に共通の事象がなく、今のところ「呪われた世代」というだけの根拠も持ちあわせておらず、これ以上の調べる手法もない。しばらくは様子見ということとなる。
また通夜の席で丸渕と会話が弾んだこともあり、それまでは特に意識していなかった丸渕との親交が深まることとなった。
やはり同世代の子供がいるということは会話のきっかけになりやすく、子供の話から好きな映画の話とか、スポーツ観戦の話とかに話題は拡散していった。
「22日から3日間の予定で、伊豆に潜りにいくんですよ」
あるとき、丸渕からこう告げられた達人はなんのことだか一瞬分からなかった。
「潜りにいくって…どういう意味ですか?」
「じつはわたし、ダイビングの趣味がありましてね。毎年夏になるとおもに伊豆の海に行くのです。海に潜るのが好きでしてね、学生時代から夏にはあちこちに潜りにいってたもんですわ」
「はぁ、ダイビングですか…」
丸渕は体格は筋骨隆々としており、たしかにマリンスポーツなどには強そうな雰囲気がある。学生時代にはラグビーでもやっていたのではないのかと思っていたが、マリンスポーツだったのか。
「でも、なんかちょっと不安ですね。このところ亡くなる方が相次いでいるし、その条件には丸渕さんもわたしも合っている。少し心配になります」
「大丈夫ですよ。この世はなるようにしかなりません。亡くなった方には気の毒ですが、わたしはあまりそういうことは信じないたちでしてな。まあ人生、死ぬときは死ぬ。そう思うしかないです」
やはり丸渕は体格そのままにかなり剛胆な性格のようだ。
「わたしが無事に帰ってきたら、吹上さんも安心できるでしょう。ふたりでこの怪しげなジンクスを打ち破りましょうよ」
「そんなもんですかね」
「そんなもんですよ」
達人はそれでも一抹の不安を覚えながらも丸渕の言葉の力強さにこれまでの不吉をぬぐい払おうとした。
「そういえばご家族はどうするのですか?」
「夏休みですしね、もちろん連れていきますよ。あ、下の息子はバイトがあるとかのことで参加しません。嫁と娘と息子、参加者は4人ですね」
「ご家族はダイビングはなさらないですよね」
「もちろんです。わたしが潜っている間は、家族は別行動で観光でも釣りでもしてるはずですよ」
ダイビングをはじめ、自然界の海や湖などのなかでマリンスポーツを楽しむ行為をオープンウォーターという。
今から20年ほど前、オーストラリア沖の大洋まっただ中でオープンウォーターを楽しんだ夫婦が誤って海に置き去りにされ、そのまま行方不明となったという映画が公開されたことがある。この映画は1998年に実際に起きた事件をもとにしていて、サスペンス映画のようでもあり、見方を変えればディザスター映画のようでもある。タイトルがまさに「オープンウォーター」だった。
達人はまだ視聴が今のように配信中心ではなく、録画媒体のレンタル全盛時代にこの映画を自宅で観ており、それがマリンスポーツとは危険と隣り合わせだという印象を強く持つようになった原因である。
まあ実際には登山の遭難映画もあるし、女子ボクシングの死亡事故を一部題材にしたような映画もあるので、そんなことを言い出したらスポーツなどなにもできなくなってしまうことは達人も理解はしているのだが、丸渕がダイビングに向かうと聞いたそのときに真っ先に印象に浮かんだのがその映画だったので、なにか丸渕がとてつもなく危険な行為を行おうとしているような気になってしまったのだ。
待て待て、子供が同世代というだけで、死者の共通点を無理に結びつけるのはどんなものか? たかが2件ではないか。たまたま偶然が続いただけだろう。広い世の中、調べればそういった偶然などいくらでもあるに違いない。達人はなんとか頭に広がる不安を隅へと追いやり、不吉な考えを封印しようとした。
「わたしは22日に伊豆の海に出かけます。当日は向こうの宿に着くだけで一日潰れてしまうので、実際に潜るのは23日から25日までの3日間となります」
丸渕が手元に携帯電話を持ち、おそらくはその画面上のカレンダーを見ながら、そういった予定を細かに話してくれた。
「25日の夕方に帰る予定です。そのときには吹上さんにもお土産を持ってきますよ。まあ期待して待っていてください」
「そうですか。くれぐれも無理はなさらないようにしてください」
もし丸渕に万一のことがあれば、考えたくはないが自分の身にもなにか起きそうな予感がしていたこともあり、達人は気にかかる。なんとか無事で時間を過ごし、この怪しげなジンクスを打ち破ってほしかった。なにより20歳という、人生の旬を迎えている子供がいる時期に、不幸があってほしくはない。
「だいじょうぶですよ。わたしは慎重居士なので…いやこう見えて意外とビビりなんですよ。体格からは思いもよらないでしょうが。決して危険な場所に近づこうとはしません。雷が鳴っているだけでも外に出るのをためらいますから」
そう言って笑う丸渕には危険が迫っているようには見えなかった。
(うーん、丸渕さんなら死神も裸足で逃げ出しそうだし…まあ大丈夫かな)
丸渕の自信ありげな発言の数々にはたしかに不安を吹き消してくれそうな力強さがあった。達人は特に根拠もないのだが、丸渕なら大丈夫だろうと思いはじめていた。
「ところで伊豆の海と言われましたが、具体的にはどのあたりですか? どうもわたしはあまり伊豆には行ったことがないのでイメージがわきません」
「伊豆半島の先端の、そのすぐ南東にある神子元島という小さな無人島ですよ。ここは地形的なこともあるのか、風の強い島でね、ここだけ強風が吹いて注意報とか出ることがあるのです。逆に言えば、この島で注意報が出るような風が吹いていなければ、伊豆の海はおおむね静かだということもできます」
「みこもとじま…ですか…」
達人にとっては初めて耳にする名前だった。
「こういう綴りです」
携帯の検索画面の漢字を見る達人。
「神の子の元ですか…なるほど、守護がありそうな名前ではありますね」
これはウソだった。達人はこの漢字を見たときに、
(神の元へ誘われてしまうのでは…)
というなんとも不穏な気配を感じとってしまったのだ。だが余計なことを言うのも丸渕には失礼かもと思い、先ほどのような解釈をしたふりをしたのだ。丸渕はそれを察してかどうかはわからないが、先回りするように言った。
「まあ、吉とも不吉ともどちらにも解釈できる島名ではありますが、この島はダイビングのメッカでもあり、たくさんの人が来ている島でもあるので、夏はにぎやかですし、そんな不安を持つような島じゃありませんよ。最近は海外からのダイバーもたくさん来ているそうです」
「なるほど、では楽しんでいってきてください」
達人は丸渕をこころよくおくり出すことにした。おそらく彼は何事もなく帰宅するだろう。海の土産をたくさん持って…。
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ひんながみ たにがわみやび @mksa1979d
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