第3話 相次ぐ事故

 自宅で日曜をゆっくり過ごしていた達人はその時のことを思い起こしていた。

(それにしても…)

 産業道路は21時過ぎでもひっきりなしに車が走っていた。しかもどの車もスピード出していて…。そんな交通量の多い道路同士の交差点を、しかも赤信号の時に猛スピードで突っこんできたのだ。常識的に考えればまるで自殺行為だ。

 トラックは交差点の中で、たまたま他の車にぶつかることなく、歩行者にまで突っこんできた。

(うーん、なにかしらひっかかるところがあるな…。とはいえ、交差点内で事故にならなかったのはただの偶然として扱われるのだろうが)


 凄惨ではあるが単純な事故ということで事件性はなく、検視は2日で終了した。員弁の通夜は2日後、7月3日の月曜日に執り行うこととなった。我が家からは達人が代表として出席することとなり、翌4日は有給休暇を申請したので、通夜は深夜の番も任されている。


「ねえ…」

 妻理恵が達人に話しかける。

「あなた、交通事故の現場って見たことあるの?」

「いや、今回が初めてだよ」

「どんな感じだった?」

「もう衝撃的としか言いようがない。ホラーなんかのスプラッタシーンは、そういうのが出るのを知ってて身がまえてるからまだいいけど、不意に起こった事故の流血シーンはさすがにショックを受けるよ」

 達人は員弁の遺体を10秒ほどしか見なかった。それ以上は見たくないという気持ちがはたらいてすぐに目をそらしたためだ。だがその10秒のイメージが非常に長い時間として脳裏に焼きついている。達人のまぶたの裏にはあの頭が割れ、肉片が飛び散った員弁の姿が思い浮かぶ。


 その直前まで元気に会話を交わしていた相手が、一瞬でこの世を去ったのである。その衝撃は人生でも何度もあるものではない。

「あんな状態の人間なんてはじめて見たよ。なんとも恐ろしい!」

 清拭された遺体すらまともに見た記憶の少ない達人にとっては、事故現場の凄惨な流血現場はあまりの衝撃として心に刻まれていた。

「でも人間ってあっけないもんだよなあ」

 達人が言うと、理恵が返した。

「あなたご両親も健在だもんね。わたしは子供の頃に母を亡くしたときの突然の衝撃を思い出すよ」

「学校から帰ったら倒れていたんだよな」

「そう。小学校の時に帰宅したら、お母さんはリビングの椅子に座ったまま突っ伏していて、声をかけても反応なし。救急車を呼んだけど、どうも到着時点ではもう死んでいたらしいの」

「小学生の時に親が突然死ってやりきれないな。お母さんも子供のことが心残りだったろうにな。死因は?」

「急性心不全としか伝えられていない。ほら、昔って突然死はなんでも心不全で通っていたでしょ。あんなところかな」

「そりゃ死ぬときは心不全だよな」


 達人は答えたが、彼の両親はまだ元気なので、達人自身、身内の葬儀に出席したことはあまりない。正直、小学生のときに親と死に別れるというのは子供にとっては恐怖以外のなにものでもない。今は平然と受け答えしている理恵だが、当時の絶望感というか喪失感ははかり知れない。

「そんな母の血を受け継いでいるのだから、わたしもポックリ逝くかもよ。その時は、あなた璃空をお願いね」

「待てよ、そんな簡単に逝くな」

 サラッととんでもなく怖いことを口走る妻だ。

「だから普段から家のこと、できるようにしておいてね」

 それが言いたいのか…。

 親の死というものを子供の頃に経験したためか、たしかに理恵は生死というものに達観した感じはある。人間死ぬときは死ぬものだという悟りの世界にも似たもの…。

 理恵は母親が急逝した年齢をすでに上回っていたこともあってのものか。


「それじゃ行ってくる」

 達人は19時を回ったのを確認すると、2人にそう告げて玄関に向かった。

「場所は清月苑だったよね。携帯持った?」

「ああ、持っている。場所は大通から1本入ったところだが、地図アプリもあるし、まあ迷わないだろう」

「じゃ行ってらっしゃい。トラックに気をつけてよね」

「まあ員弁さんみたいに一方的に突っこまれたら気のつけようもないけど」

 達人は外に出ると、中から施錠する音がした。外はまだ明るい。7月上旬には19時過ぎでもまだ明るさが残っている。


 徒歩で10分ほど歩き、達人は目指す清月苑へとたどり着いた。自宅での通夜を行うほどのスペースは取れない。通夜も業者に任せるほかなかった。


 清月苑に入ると、そこには見知った顔がいくつもあった。

「吹上さん。お疲れさまです」

 町内の若手が挨拶する。

「お疲れさまです。この奥ですか?」

「そうです。みなさんそろそろ集まっていますので、奥へどうぞ」

 達人は奥へと向かう。通夜の中、遺体を入れた棺が目の前にあった。


「吹上さん」

 不意に声をかけられた。声の主は員弁の細君だった。

「このたびはさぞ驚かれたでしょう。員弁の最後の顔を見てやってください」

「え、ああ…はい…」

 一瞬達人はたじろいだ。あの無残な死に顔を見ることになるのか…。

「大丈夫です。傷はすっかりふさがっていますから。今のあの人の姿は元気な頃の姿のままです」

 夫人にそう言われて達人が棺を覗きこむ。


 なるほど、あの凄惨な遺体は、見事なまでに生前の姿に復元されていた。もちろん傷跡はあるが、ひと目で員弁とわかるまでには復元されている。

(誰のワザかわからないが、たいしたものだ…)

 達人は感心してしまう。引き裂かれたままの遺体をそのまま遺族に返すわけにはいかないということでこういう処置を行うのだろう。


 すでに息のない員弁の姿を見ながら達人は不思議な感覚だった。員弁が死ぬほんの数十秒前まで、ふたりは会話を交わしていた。それがわずか数メートルの位置の差でこんなことになるなんて。


 員弁は死の瞬間なにを見たのだろうか? パノラマ視現象とかいう、死ぬ前に人生を走馬燈のように思い出す…そんな時間はあったのだろうか? ひょっとしたら彼は自分になにが起きたことも知らないまま死んでいったのではないか? それどころか、今ですら自分が死んだことに気づいていないのかも知れない。

 棺から離れ、夫人に小さく挨拶をしてその場を去る。

 人の生死など、本当に紙一重のことに過ぎないと感じる達人だった。


(少しノドが乾いたな…)

 達人は渇きを覚え、飲料を探した。1階をおおむね見て回ったのだが、それらしい場所は見つからない。いろいろな部屋はあるが、腰を落ち着けて缶コーヒーでも一杯という空間は見つからなかった。


 見ると外はすでに暗闇に包まれている。今さら外に出てコンビニや自販機をさがすのも面倒に思われた。

「すいません、ここに飲み物がある休憩所みたいなものはありますか?」

 ここの職員らしい、黒い服装の人に声をかけてみた。

「あ、それなら2階になります。あの階段を登った上あたりです。今夜の通夜は員弁家さまだけですので、ほかは真っ暗ですが、休憩所のあたりは照明がつけてありますので、そこを目印にしてください」

「そうですか。ありがとう」

 達人は会釈してその場を離れ、階段へと向かった。


 廊下は明るいが、誰もいない空間はその明るさが逆に無機質な不気味さをかもしだし、まるで異空間を歩いているかの錯覚を感じた。

 階段を上り、2階へと向かう。2階も目指す先は蛍光灯が煌々と付いていて、暗さは感じない。2階に上ると、すぐに目指す休憩所は見つかる。そこにはベンチが数本並んでいて、その前に数台の自販機が並んでいる。

 照明はなにやらじーっという地虫が鳴いているような音を立て、それがあたりの静寂をきわだたせる。照明のまわりを、小さな蛾が飛んでいる。


 缶コーヒーを自販機から取り出した達人は、長いベンチに腰かけ、チビチビと飲んでいるが、明るい休憩所から目を離すと、この先には今夜使われていない闇が広がっているのが見えてなんとなく気味が悪い。休憩所が煌々と明るい光を放っているだけに、余計に暗闇が漆黒に見える。


 外を見ると、暗闇の中に時折弱い電光が走るのが見える。遠くで雷雲が発達しているようだ。だがここには雷鳴は届かない。


 立ち上がった達人は暗い窓に近づき、外を覗きながら様子をうかがう。もちろん誰もない。すでに外は闇に包まれている。1階の通夜会場のざわめきはまったく聞こえない。実に静かだ…。


「吹上さん」

 突然の呼び声に達人は飛び上がるほど驚いた。

「驚かしてしまいましたか。申し訳ない」

 振り返るとそこにいたのは丸渕建司(まるぶちけんし)であった。


「丸渕さんでしたか…。いやぁ心臓が止まりましたよ」

 丸渕は人情路地の西はずれに住んでいる。たしか長男は璃空と同い年だ。同い年の子がいるとあって、過去にも結構話が弾んだことがある。員弁ほどには付き合いは深くなく、たまに会話を交わす程度だ。

「いやいやすいません。でも本当に止まったら死んでしまいますよ。吹上さんが2階に上がっていくのが見えたので、ちょっとあとを追ってみたんですが。びっくりさせるつもりはなかったんです」

 達人はふたたびベンチに腰をかけた。隣に丸渕も座る。どちらとはなしに会話が始まったが、やはり最初の話題は員弁のことだった。


「吹上さん、員弁さんの最期に遭遇されたそうですね」

「ええ、交通事故ってのがあんなショッキングなものとは思いもせんかったです。いまだにまぶたに浮かびますよ」

「そうでしょうなあ、わたしはこれまで幸いそういうエグいシーンを見ずにすんでいるけど、いつ自分がそうなるかと思うと怖いですな」

 やはり丸渕も突然の死を迎えた員弁の運命というものに思いをはせている。そこで達人は言葉を漏らした。

「同世代の子供を持つわれらとしてはゾッとしますよ」

「まさにそうですな。吹上さんとはうちの息子も同じ世代でしたよね。小学校の集団登校は別でしたが、たしかそのはずです」

「ああ、そういえばそうでしたね」

 思い出した。たしかに丸渕の長男玲哉(れいや)と璃空は同い年だ。早生まれで生まれ年こそ違うが、学年は同じだ。

 丸渕の家は5人家族。妻の久美(くみ)、最年長の長女21歳をはじめ、年子で長男の20歳玲哉、さらに17歳の次男がいる。


「こんなことを言うとちょっと不気味に感じるかも知れませんけど…」

 丸渕は話題を変える。

「?」

「ご存じですか? 加納さんが亡くなったこと」

「加納さんが…!」

「お付き合いも深かったですよね、加納さんとは」

「え、ええ」


 加納とは加納大輔(かのうだいすけ)のことだ。吹上家の近所で、同い年の男の子がい

たこともあって、達人とは非常に仲がよく、こうして話している員弁よりも親近感を覚えていたものだ。

 最初は妻同士のつきあいだったようだが、次第に家族ぐるみのつきあいとなり、それは10年以上続いた。

 双方の家への往来もあったが、2年ほど前、転職を機に人情路地から去って行った。たしか転居先は近畿地方だったと覚えている。携帯電話でのやりとりも多く、それでもここ数か月は連絡を取っていなかった。

「そういえば加納さんとはもう何か月も電話での会話もしていません。今までこんなブランクはなかったのに…。そうですか、亡くなられていたのですね。こちらからでも連絡すればよかったな…」


 達人は親しかった知人の死を知り、少し驚いた。それに対して丸渕も缶コーヒーを開けながら話を進めた。

「わたしも加納さんとは移転後も懇意にしていて…」

 コーヒーを飲みながら丸渕が続ける。

「いろいろお話もうかがっていたんですが、ある日連絡が途絶えまして、何度も携帯にかけていたのですが番号不明で繋がらない。どうしようかと思っていたのですが、妻が奥さん同士のつながりで携帯の番号を登録しておりましてな、そこでその番号を頼りに奥さんに電話をかけたのですよ」

「それで」

「夫は亡くなりました…と」

 それなら携帯への通信がなくなってもおかしくない。

「加納さん、亡くなられたんですか?」

「はい、2か月前だったはずです」

「それは知らなかった…」

「携帯が繋がらなかったのはそのためでした。2か月の時が経て、奥さんも携帯を解約していたのですね」


 丸渕の話を聞いて、達人は自分の携帯の通信履歴をくわしく調べてみたが、最後に加納との連絡を取ったのは4か月前。たしかにそれ以降は音沙汰がない。2か月前に死んだのなら通知がなくても当然だ。

「でも加納さん、4か月前に電話で話したときには、どこも身体の不調とかは訴えていなかったようですが」

 達人の問いに丸渕が答える。

「ええ、病気で亡くなったわけじゃありませんからね。事故です」

「事故…?」

「はい、どういうわけか梅田のオフィスビルの窓から転落したそうです。高さが60メートルくらいあったのかな? 即死だったそうです。テレビや新聞にも載ったそうですが、わたしもそれには気づきませんでした。いくつもある事故のひとつとしてしか認識しておらず、まさか加納さんだったのか…という感じでしたね」

「そうでしたか…」


 なにやら最近、身近で犠牲者が出続けている。加納はすでに人情路地から離れているわけだが、家族ぐるみで親しく付き合っていただけにその驚きは大きい。

「おそらくは員弁さんのような状態だったのでしょう」

 丸渕は自分が見てきたわけではないので、比較的冷静に話してはいるが、60メートル上空からの落下は凄惨なものだろう。

「それはむごい」

「ええ、すぐさま警察が来てシートで遺体を覆ったんだそうですが、途中でビルの壁にぶつかったらしくて、遺体の損傷は相当のものだったらしいですよ。ひょっとしたら員弁さんよりもひどかったかも知れません」

 員弁の遺体を見て衝撃を受けた達人にとっては、さらにひどい状態の遺体と聞いて耳を塞ぎたくなる。

「人通りの多い梅田ということもあり、たまたま通りがかった人が加納さんの遺体を見て気分が悪くなり、病院に搬送されたというほどだったといいます」

 通行人からしたらまさに衝撃だったろう。

「ビルの窓からって、なんか不自然な気もしますが」

 達人の疑問に丸渕が答える。

「そうです、そこがよくわからないのですよ。会社の人も加納さんが落ちた瞬間を見た人はいないとのことでした。これは奥さんから聞いた話で、どこまで正確かはわかりませんが、そこのビルの窓はたしかに少し低く設計されてて、大人の男性の、みぞおちくらいの高さまでだったそうですが、それにしても考えてみれば意図して乗り越えなければ落ちるようなことはありません」

「自殺って可能性も?」

「それはどうですかね。奥さんも自殺しそうな気配はなかったといいますし、遺書など当然残されておりません。そもそも自殺する理由がありません。息子さんは20歳を迎えてもうすぐ自立というところですので、家庭としては順風満帆と言っていいでしょう。それで自殺されたら、世の中自殺だらけになってしまう」


 さらにコーヒーを口に進めながら丸渕は言った。

「同じ世代の子供を持つ親として、なかなかに辛い話ですよね」

「員弁さんも同世代の子供がいます。なんか同い年の子供の、この世代は呪われているんですかね?」

 達人は初めて呪いという言葉を口にした。

「さあ、わたしはそんなことは信じないタチなので、よくわかりませんわ」

 丸渕はさほど気にせずに返してくる。

「ほかに加納さんになにか変わったこととかはなかったのですか?」

 コーヒーを脇に置きながら丸渕が答える。

「そうですね、奥さんが言うには…」

 さほど重要なこととは思ってなさそうな言い方ではあるが、記憶からひねり出したように達人に答える。

「寝室で白い影を見たとか、妙な音が聞こえるとか」

「音ですか!?」

 達人は音という言葉に即座に反応した。

「それはひょっとして重い哀しい曲になっているとかでは?」

 短く刈り込んだ頭を撫でつけるような仕草を見せた丸渕は、肯定も否定もしない言葉を返してきた。

「うーん、どうでしょうね。奥さんの話では音としか表現してなかったので、それが実際はメロディになっていたのかどうかまではわかりません」

 それまでは同い年の子供がいるという共通点しか注目するところのなかった達人だが、音という言葉には敏感に反応した。

(員弁さんが亡くなる直前には、どこからか聞こえる音楽のことを口にしている。今回の加納さんが耳にしたものが音楽だとしたらそれは…)

 なんとも奇怪な想像が頭をよぎる。


『この世代は呪われているんですかね?』

 達人が思わず口にした呪いという言葉がいつしか場の空気を支配しはじめていた。

(呪われているとしたら子供なんだろうか?)

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