第11話 丘の上から見える横顔


 夏休みも終わりに近づいた、八月下旬の土曜日。

 日が傾きはじめていたけれど、昼間の熱はまだ抜けきらず、空気はじめっと湿っている。

 午後五時前の駅前は、浴衣姿の人たちでごった返していた。目的はみんな、数駅先の花火大会の会場だろう。


 ──どきどきする〜……。


 今日は亮くんと花火大会に行く日。

 何度も前髪を直して、帯の結び目を気にして、ひたすら鏡の前で深呼吸を繰り返した。

 こんなに緊張してるのに、気持ちは不思議と弾んでいく。


「……莉緒!」

 

 少し離れた場所から、軽やかなあの人の声。こちらに駆け寄ってくる姿に、胸が高鳴る。

 今日の亮くんは、ギターを担いでいない。それが一段と、この日を特別に思わせた。


「わるい、お待たせ」

「ううん。私もいま来たところ」

「人やばいな」

「ね。でも、楽しみだな」


 ふと、彼の視線がこちらに落ちる。

 数秒ほどじっと視線が止まって、それからちょっと首を傾げてほがらかに笑った。


「浴衣、似合ってるじゃん」

「えっ、あっ、ありがとう!」


 突然褒められて、頭の中が一瞬真っ白になる。

 もっと可愛い言い方とか、上手く返す言葉があったはずなのに──出てきたのは、上擦ったような声だった。

 反省とか後悔する気持ちもあるけれと、それ以上に高揚感に包まれる。


 ──どうしよう、嬉しすぎる……!

 

 えへへと表情筋が溶けきったような、だらしない笑みを浮かべていたと思う。だって、私の顔を見た亮くんは、「ははっ」と子どもみたいにくだけた笑顔で返したから。


「行くか」

「うん!」


 改札を抜けて、電車に乗り込む。

 窓の外を流れていく景色を眺めている間も、胸の鼓動は速いままだった。


 ♬⋆.˚♬⋆.˚♬⋆.˚


 最寄り駅を降りると、すでにたくさんの人の波ができていた。

 会場へ向かう通路では香ばしいソースの匂いが漂い、クレープ、かき氷とお祭りを彩る屋台がずらりと並んでいる。

 

「すごい人だね」

「はぐれないようにしないとな」


 亮くんが軽く笑って、歩くペースを少し落としてくれた。人混みと、慣れない下駄のせいで足取りも遅かったから、そのさりげない優しさが胸に染みた。


「莉緒さ、もうちょっと歩けたりする?」

「大丈夫だと思う」

「いい場所があるんだよね。人が少なくて、花火も見える場所」

「そうなの!? 全然歩ける!」

「じゃあ、案内するわ」


 彼のあとを追う。ほどなくして、大通りから少し外れた細い道へと入った。その間も、亮くんは時々振り返って私の歩幅に合わせてくれる。

 だんだんと祭りの賑わいが遠ざかり、代わりに草むらを渡る風の音が大きくなっていった。


「この先の高台だから、もうちょっと頑張って」


 振り向いた亮くんの笑顔が、街灯の明かりに淡く浮かぶ。その笑顔を見れば、どんな困難だって頑張れる──なんて、少女漫画のヒロインみたいなことを思ってしまう。

 でも、そんな現実離れしたことを思ってしまうくらい、私は亮くんのことが好きなんだ。


「着いたよ」

「わあ……すごいね」


 高台の上には、やわらかい芝生が広がっていた。

 人もまばら。それに木々の間からは、空と海がはっきりと見える。提灯ちょうちんのぼんやりとした灯りが遠くで霞んでいて、ここだけ別の世界みたいだった。


「穴場だろ」

「うん。よく見つけたね」

「中学時代の友だちと、うろちょろしてたときに見つけたんだよね」

「そうなんだ」


 花火を見るよりも探検のほうに夢中になるあたり、いかにも中学生男子らしくて、なんだか微笑ましい。

 

 亮くんが芝生の上に腰を下ろす。私もその隣に、そっと並んで座った。

 ふわふわとした芝生は、ひんやりと心地よい。すぐ真横には、亮くんの整った横顔。どきんと心臓が跳ねる。


 ──なんか、近すぎたかも……!


 そばにいたいあまり、無意識のうちに彼の近くに座ってしまったらしい。少し手を伸ばしただけで、触れてしまいそうな距離。


 ──私たちの関係も、このくらい縮まっていればいいな。


 遠くの空で輝いている一番星に、ふうわりと願いを託した。

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Re:海辺の君と青に溶けるような恋をする 葉南子@アンソロ書籍発売中! @kaku-hanako

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