第10話 積み上がる愛の魔法


 ──「莉緒」って呼んでくれた……!


 家に帰った私は、リビングでひとり悶えていた。

 クッションを抱きしめては、ラグの上でジタバタと足を動かす。漫画やドラマでよく見る描写だけれど、嬉しいときには本当にこんなふうに動いてしまうんだ。

 

「莉緒〜、ホコリが舞うからやめなさい」

「はーい」


 お母さんに注意されても、この胸のときめきを抑えるなんて到底出来そうになかった。


 ♬⋆.˚♬⋆.˚♬⋆.


 八月に入った街は、すっかり夏色に染まっていた。

 空には入道雲が浮かび、近くの海では海水浴を楽しむ声が夕暮れ時まで耐えない。

 宿題もある程度片付けて、友だちと遊んで、満喫した夏休みを過ごしている。

 そして、亮くんとも週一で会っていた。交互に歌いたい曲や弾きたい曲を出し合って、練習して、合わせる──夏休みの一番の楽しみだった。

 


 炎天下の中、自転車を漕いで今日もあの公園にやってきた。ベンチに腰を下ろして、水を勢いよく飲み込む。乾いた身体に染み込む水分が、少しだけ生き返った気分にさせてくれた。

 遠くの海では、はしゃぐ人たちの姿が見える。波の音も潮の香りもないけれど、青々とした芝生が風に揺れ、さざなみのようにざわめいていた。

 そのざわめきの中に混ざって──


「莉緒」


 風に乗った亮くんの声が、やさしく耳に触れた。


 ♬⋆.˚♬⋆.˚♬⋆.˚


 亮くんのギターの腕は、目に見えて上達していった。

 楽器のことは全然わからないけど、それでも違いがはっきりとわかる。迷いが減って、音にメリハリが出て、指が滑らかに弦の上を走って──そして、ときどき私のほうを見て笑ってくれる。

 前よりもずっと、二人の空気がひとつになっている気がした。


 たぶん、亮くんは夏休みのほとんどをギターに費やしている。きっと、もともと才能もあったんだろう。

 楽しそうに弾いて、真剣な表情でギターに向かい合う彼の姿は、いつ見てもかっこよかったし、今でも惹かれ続ける自分がいた。


「亮くん、すごい上手くなったよね」

「自分で言うのもアレだけど、俺もそう思う」


 白い歯をのぞかせて、ちょっと得意げに笑う。

 

「オリジナルとか作らないの?」

「んー……考えたりはしてるんだけど、まだそこまではって感じ?」

「できたら聞かせてね」

「歌うのは莉緒だからな」

「え!? そうなの?」

「決まってんじゃん」


 青空に映える、ドラマのワンシーンみたいな笑顔。

 はじめから私ありきで曲を作ろうとしてくれている──そのことが、どうしようもなく嬉しかった。

 頬が熱を帯びていく。その気持ちを悟られたくなくて、わざと軽く笑ってみせた。


「そんなふうに言われたらプレッシャーになるよ」

「じゃあ、慣れるまで練習だな」

「うぅ……亮くんって意外と厳しい?」

「俺、妥協しないから」

「亮くんっぽい」


 あははと笑い合う声が、夏蝉の鳴き声にまぎれていく。風が芝生を通り過ぎて、木漏れ日が二人の影を揺らした。


 ──この時間が、少しでも長く続けばいいのに。


 そう思わずにはいられなかった。

 

 遠くのほうで、何かを呼び続けるようなカモメの鳴き声が聞こえる。

 その響きが海に沈んだ頃、亮くんが少しだけ息を吸い込む気配がした。


「莉緒って、再来週の土曜日って何してる?」

「再来週? 今のこと予定もないし、家でゴロゴロしてると思うけど」

「花火大会……行かない?」


 一瞬、時間が止まったように感じた。

 遠くの海も、風の音も、全部が小さくなっていく。

 

「……二人で?」

「うん。二人で」


 胸がどんどん熱くなる。嬉しい気持ちがあふれて止まらない。息まで甘くなっていくように、心臓がとくんと脈打つ。

 隣では、照れくさそうに頬をかく亮くん。その仕草が、いつもよりずっと近くに感じた。


 ──そんなの……。


「……いく」


 声に出す前から、答えはもう決まっていた。

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