第二章 夏の日、幻
第8話 蝉の音が染み入るような昼下がり
あっという間に終業式が終わって、夏休み。
空はすっかり夏の青さで、真っ白な雲がゆったりと浮かんでいる。外では蝉の声が力強く響いていた。
山のように宿題も出たけれど、それ以上に友だちと遊ぶ時間、花火大会にお祭り──わくわくすることのほうがずっと多い。
その中でも、一番心を躍らせるのは──。
──亮くんと一緒に過ごす時間。
去年にはなかった、彼との特別な夏休みが始まるんだ。
♬⋆.˚♬⋆.˚♬⋆.˚
夏休みが始まってすぐ、ある日の午後。
少しだけ遠くまで自転車を走らせてたどり着いたのは、海の見える静かな公園。芝生の上に人影はなく、遠くに白い砂浜と青い海が見える。
潮の香りが届かない、小さい公園。ベンチに腰掛けて、ほうっと景色を眺めていると──。
「お待たせ」
自転車に乗った亮くんが、少し息を切らしながらやってきた。背中にはギターケース。オーバーサイズの白いTシャツとゆるめのパンツ。制服姿とは違って少し無防備で、でもそれがまたかっこよく見えた。
「全然待ってないから大丈夫」
「わり。ってか、今日も暑いな」
亮くんは自転車を停めて、私の隣に腰を下ろす。
「人もいないし、眺めもいいだろ」
「うん、ちょっと遠かったけど、来てよかった」
遠くで揺れる波と、時折飛ぶカモメ。屋上にいたときと同じくらい、二人だけの空気が流れていた。
「ギターは弾いてるの?」
「めっちゃ弾いてる。弾きすぎてて、親に『うるさい』って言われる始末」
「あはは。親はそんなもんだよね。私も声が大きいから、よく『うるさい』って言われる」
「綾瀬の声……俺、好きだけどな」
──す、好き……!?
違う違う。勘違いしちゃいけない。私のことじゃなくて、あくまでも“声“のこと。
そうわかっていても、嬉しすぎて頬が緩む。外の暑さとは違う熱が身体中を駆け巡って、一気に顔が熱くなった。
「あ、あのね、あれからアジカンの曲、いろいろ聞いたんだ」
「マジ?」
「うん。かっこいい曲いっぱいあるんだね。ロックってこういう感じなんだって思った」
「それな。超ギターロックって感じ。そんな難しくないコード進行なのに、めっちゃかっこいいんだよ。オクターブ奏法とか、リフの繰り返しだけで……」
そこまで言って、亮くんはハッとしたように目を見開いた。
「ごめん……また一人でテンション上がってた」
しょぼんと、しおらしく肩を縮めて首を垂らす。
照れくささを隠すようにうつむいた横顔はやっぱり愛おしくて──私はくすりと笑っていた。
「亮くんって、好きなことになると子どもみたいなるよね」
「マジ……?」
「マジ」
「恥ずいわ〜……」
亮くんはわずかに頬を赤くして、視線を逸らした。
「私もね、そういう亮くん……えと、いいなって思うよ」
「……マジ?」
「う、うん! マジ!」
笑ってなんとか誤魔化したけど。心拍数は一気に上がっていた。
──危なかった……。
私、「そういう亮くん、“好きだよ”」って言いかけた。
さっき亮くんは、“私の声が好き“って言ってくれたけど。私の“好き“は、それとは違う──亮くんそのものを好きだという気持ち。
同じ“好き”でも、ベクトルはまったく別物。私がそれを口に出したら、もう告白になってしまう。
言えなかった「好き」を吐き出すように、大きく息をついた。それでも渦を巻く熱は、まだ消えてくれない。
風が吹いても、蝉の声が響いても──鼓動だけがやけに大きく響いていた。
その沈黙を破るように、亮くんがぽつりと口を開く。
「俺、一個だけ弾き語りができる曲があるんだよね」
「わかった、アジカンでしょ?」
「そ。まあ、綾瀬なら言わなくてもわかるよな」
「もしかして……歌ってくれるの?」
「……いい?」
「ほんと!? 聞きたい!」
亮くんの歌が聞ける。しかも弾き語りで。
そんな夢みたいな話があるのだろうか。でも夢じゃない。隣にいる彼はアコギを取り出して、いつものようにチューニングを始めている。
眩しいくらいの日差し。その光の中でチューニングする亮くんの姿は、夏の幻のように煌めいて見えた。
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