第4話 振動覚

《side B》


 ──歌、うまかったな……。


 一人になった屋上で、綾瀬の歌声を思い返していた。

 元気で声が大きい子──それが、綾瀬莉緒の印象だったのに。

 

 実際に歌う姿を見て、その印象はがらりと色を変えた。

 元気な子──それだけじゃなかった。一音一音に気持ちがこもっていて、思わず息を呑むほどの歌唱力。“聞き惚れる“とはこういうことなのかと、初めて実感した。

 

 滑らかな息継ぎ、心地よいビブラート、一小節ごとの抑揚、そして澄み切った歌声。

 正直、羨ましいとさえ思った。


「『愛を伝えたいだとか』、か」


 ポケットからスマホを取り出して、もう一度曲を再生する。

 曲調もたしかに好みだったけど、それ以上に、歌詞が心に残った。

 男性目線で書かれた恋の歌。だけど、男の俺には書けない詞。女の子が歌うことで、完成される曲なんだと思う。


 ──綾瀬が歌ったら、かっこいいんだろうな。


 サビだけじゃなくて、最初から最後まで聴いてみたい。彼女なら、男性ボーカルの曲もきっと似合う。

 あの声でどんなふうに歌うのか、もっと知りたくなっていた。


 ♬⋆.˚♬⋆.˚♬⋆.˚


「せんせー、今日もありがとう」


 音楽室にアコギを返したあと。俺は職員室の中に入って、机に向かって書類に目を通している星野先生に挨拶をした。そして、屋上の鍵を手渡す。先生は書類から顔を上げて、「たしかに」と短く言って受け取った。

 生徒が立ち入れない屋上に出入りできているのは、ひとえに星野先生のおかげである。なった特権、ってやつだ。


「佐久間がギター始めてから、そろそろ四ヶ月か。Fコードは弾けるようになったか?」

「なりましたよ」


 得意げに返すと、先生は満足げに頷いて「よしよし」と笑う。


「佐久間は背が高いから、手も大きくていいよなあ」


 羨ましげに呟いてから先生は眼鏡を押し上げて、「俺も最初は全然弾けなくてな。指はつりまくりで……」と懐かしげに語り出した。

 またその話か、と思いながらも相づちを打つ。何回も聞いた小話だ。

 

「ギターは、まだ買ってないのか?」

「まだですね。バイト代も足りませんし。親に言ったら『どうせすぐ飽きるから買うな』って反対されてます」

「わかってないなあ。俺が親ならギターでもベースでも、ドラムだって買ってやるのに」

「息子だと思って買ってくださいよ」

「こんな大きな息子、いてたまるか」


 ははっと笑ってから、少しだけ昔のバンドの話をする。

 盛り上がりすぎたせいか他の先生にじろっとした視線を向けられたので、「さようなら」と頭を下げて職員室を出た。


 ギターに触れるのは放課後、バイトのない週三回。

 初心者用のエレキくらいなら、とっくに買える。

 でも、まだ買いたくなかった。


 どうせなら、本当に欲しい一本を手に入れたい──ギブソンの、アジカンのボーカルが使っているあのギター。

 それに、目標があったほうがいい。

 ただ“弾けるようになりたい“じゃなくて、“誰かに聴かせたい“って思えるほうが、きっと続く。


 屋上で聴いた綾瀬の歌声が、ふと頭をよぎった。

 彼女の声に、自分のギターが重なったら。そんな光景を無意識のうちに思い描いていた。

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