第2話 瞬間アンプリファー


 二人だけの放課後。二人だけの屋上。

 漫画みたいに訪れたシチュエーションに、胸の高鳴りは止まらない。

 聞いたいこと、知りたいことはたくさんあるはずなのに、どれも上手く形になってくれない。もどかしくて、だけど、くすぐったい。


「綾瀬って、口硬い?」


 亮くんが探りを入れるように、それとなく訊ねてきた。

 

「え、まあ、それなりには?」

「それなりって」


 亮くんは少し笑って、ギターの弦を軽く弾く。


「俺、誰にも言ってないんだよね。ギター始めたって」

「そうなの?」

「知ったら『弾け、弾け』ってうるさいだろうし、やっぱ見せるなら上手くなってからにしたいじゃん」


 照れくさそうに言うその横顔が、ほんの少しだけ誇らしげに見えた。男の子だなあ、なんて思うと同時に、ちょっぴり愛おしい。

 微笑んでいると、亮くんは「だから……」と真剣な眼差しになって私を見つめた。

 

「ここで見たこと、秘密にしてほしい」


 まっすぐな瞳。

 恋の力はすごい──改めてそう実感する。そんなことを言われてしまったら、本当にもう抜け出せない沼に沈んでしまう。

 なんて、抜け出す気なんて最初からなかったけれど。


「もっ、もちろん! 誰にも言わないから安心して!」


 本当に、絶対誰にも言わない。

 私だけが知っている、彼の秘密。そんな特別なものを手放せるはずがない。

 亮くんは安堵したようにくすりと笑って、また話し始めた。

 

「俺、昔のバンドが好きなんだけど、それが星野先生の世代のバンドでさ。『俺の青春!』って、なんかすげぇ懐かれたわ」


 亮くんの声は、さっきより明るくて弾んでいた。隠すと決めたとはいえ、やっぱり夢中になっていることを話せるのは嬉しいのかもしれない。

 その無邪気な表情に、また惹かれてしまう。

 

「弾いてたのは、好きなバンドの曲なんだよね」

「なんてバンド?」


 亮くんの好きなものを知れる。

 期待で耳を大きくしたけれど、返ってきた答えは宙を舞う光のように掴みどころがなかった。

 

「アジカン」

「あじ……かん?」

「アジアン・カンフー・ジェネレーション」

「……ごめん、わからないかも」

「だと思った。俺らが生まれたくらいに流行ってたから」

「そんな昔!?」


 驚きの声をあげると、亮くんは「そんな昔」と小さく笑った。


「音楽アプリをシャッフル再生してたら、たまたま流れてきたんだよね。そっから好きになって、いろいろ聞くようになった」

「それが弾いてた曲?」

「いや、違う曲。弾いてたのは『或る街の群青』って曲」

「そうなんだ」


 知らない世界の話を聞いているみたいで、全然ピンとこなかったけれど。亮くんの楽しそうな声がもっと聞きたいと思ってしまう。


「ギター始めたきっかけも、アジカン。かっこいいなって思ってさ。星野先生に『ギター触ってみたい』って言ったのが最初」

「そんなにかっこいいんだね」

「なんか聞いた瞬間、『あ、これ好き』って。直感……ってやつ?」


 少年みたいな笑顔。その笑顔が眩しくて、目を逸らせなくなる。

 亮くんがアジカンに惹かれたのは、きっと私が亮くんを好きになったのと、それほど違わないのかもしれない。

 好きになるのに理由なんていらない。

 理由を探し始めるのは、その気持ちに気づいたあと。最初から好きになる理由を求めるなんて、たぶんそれは──本当の“好き“じゃないのかもしれない。


「綾瀬は好きなバンドとかアーティストとかいないの?」

「えっ、私?」


 彼の口から出た“好き”という言葉がさっきまで考えていたことと重なって、心臓がどきんと跳ねる。そのせいで、少しだけ声が裏返った。


「えっと……」

 

 誰々のこの曲が好き、っていうのはたくさんある。でも“この人・このグループが好き”とまでは言えなくて。

 それでも頭の中では、亮くんにいい印象を持ってもらえそうなアーティストを探していた。


「Vaundyとか、あいみょんとか?」

「あー、いいよね。『怪獣の花唄』とか『マリーゴールド』とか。みんなカラオケで歌うし」

「だよね。でも私、あいみょんは『愛を伝えたいだとか』が一番好きなんだ」

「へえ、知らないかも」

「サビ聞いたらわかると思うよ」

「どんなの?」

「えと……」


 すうっと息を吸って、ワンフレーズだけ口ずさむ。海風が私の声を乗せて流れていった。


「……みたいな。知ってる?」

「綾瀬……もっかい、もうちょっと長く歌える?」

「え、うん……?」


 もう一度、今度はさっきより少し大きな声で歌う。

 歌いながら、自分でもおかしいくらい心臓の音が響いていた。


「……綾瀬って、歌上手いんだな」

「え!? 普通だよ、普通! 採点だって八十点後半だし、特別上手いわけじゃ……!」


 必死に手を振って否定する。それでも亮くんは私の歌声を認めてくれたみたいに、まっすぐな目で言った。


「カラオケで点数取れる人は“カラオケが上手い“ってやつで、綾瀬は“歌が上手い”。同じようだけど、俺は全然違うと思う」

「そう、かな」

「そういえば、綾瀬の声はよく通ってたもんな。どこにいるか、すぐにわかった」


 彼から飛び出た無邪気な言葉に、顔が急激に熱くなった。そんなこと言われたら、変に期待してしまう。もしかしたら亮くんも、少しだけ私のことを見てくれていたのかも──なんて淡い夢を信じたくなってしまう。

 

「りょ、亮くんだって上手いんじゃないの? 弾き語りとか、すごい似合いそうだし」

「俺こそ、普通。それにギター弾きながらとか歌うとか、今は余裕なくて無理だわ」


 亮くんは少しだけ自嘲するように笑って、肩をすくめる。そのすぐあと、真面目な顔つきになった彼が顔をこちらに向けた。

 

「よかったら……綾瀬、俺の代わりに歌ってくれない?」

「え……?」

「やっぱ歌があったほうが雰囲気が出ると思うんだ。綾瀬の歌なら、なおさら」


 思ってもみなかった言葉に息が止まる。冗談のようでいて、冗談には聞こえない。心から、私の歌声を求めてくれているようで──。

 

「あ……ごめん。なんか一人でテンション上がってた。忘れて」


 何も言えずにいる私を見た亮くんは、申し訳なさげに軽く頭を下げた。


「ちっ、違う違う! 嫌とかじゃなくて、その……」


 ごくりと唾を呑み込んで、たしかめるように口を開いた。


「私、でいいなら……」

「綾瀬がいい」


 やさしい微笑み。潮の香りが、一層強く届いた。


 ──そんなの、ずるすぎるって……!


 心臓の音がばくばくと鳴り響く。断る理由なんて、はじめからなかったけれど。

 嬉しくて、彼への想いがとめどなくあふれだす。

 

「……やっ、やる!」

「さんきゅ」


 照れくささを隠すように笑う彼の顔は、いまここにいる私だけに見せてくれた顔。


 ──ああ、ほんとに……。

 

 高鳴る鼓動。この気持ちはもう、どうやっても止められそうにない。

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