第3話

「──来る。何か恐ろしいものが吠えている!」

「強大な魔導力を感知しました。警戒してください」


 まずはアステリアが剣を手にして遺跡から飛び出した。シュリィは慌てて後を追う。外に出ると、まず見えるのが遠くに立ち込めている砂煙。何かが砂漠を移動している。

 目を凝らす。蜘蛛のような姿の「鋼のからくり」が無数にこちらへ向けて突き進んでくる。その一つ一つが、優に二階建ての建物程の大きさを持っていた。


「魔導機械兵……カーナル王国か! 遂に国境を越えて攻撃してきたんだ!」


 ここ、サフィール王国は超古代文明の力で水を創りだしている。一方隣接するカーナル王国は、数年前に掘り当てた超古代文明の一つである魔導機械で、急激に国力を増強させていた。


 魔導機械兵器は着実にシュリィ達の元へと接近してきている。魔導の力で大小様々な歯車や関節を軋ませながら進み、石や砂を巻き込んでは噛み砕く。容赦ない破壊を予感させる音に、シュリィは眉根に深く皺を寄せた。


「なんて……音。圧倒的すぎるよ。あんな怪物、どうやって倒せば……」


 その時シュリィ達の後方から無数の雄叫び、蹄や鎧の音が近づいてきた。


「シュリィ王子! ここは危険です。城にお戻りください!」


 髭をたくわえた騎士団長がそう叫びながら、騎士たちを率いて敵の魔導機械兵器の方へと突き進む。


 何百人ものサフィール王国の騎士や兵士たちが、剣や弓矢、そして大きな投石器などを携えており、各々陣形をとって魔導機械へと攻撃を始めていた。


 彼らは実に勇敢に応戦している。剣や弓矢は敵の歩兵達をなぎ倒し、投石器で魔導兵器を押しつぶそうと必死で石を飛ばす。しかし、その力の差は歴然だ。大きな岩を投げつけられても、巨大な蜘蛛は揺らぐこともなく、紫色の雷を騎士たちや投石器に放射して来る。

 投石器は破壊され、騎士たちは焼け焦げた姿でばたばたと倒れていった。


「駄目だ。我が国の技術では到底「あれ」には太刀打ち出来ない……」


 シュリィは己の無力さに拳を握りしめて、そう吐き出した。その隣で、アステリアは冷静に戦いの様子を見つめている。


「国境紛争の始まりですね。彼らはマスターの国に混沌をもたらそうとしています。絶対的乱調アブソリュート ノイズを直ちに阻止。──自律鎮圧オートノマス サプレッションモードに移行」


 アステリアの瞳が再び赤く光を放つ。


 そのまま目の前に横一文字に黒い剣を掲げて、鋼の蜘蛛が群がる方へと駆けだした。


「世界を乱す者たちに永遠の静寂を……!!」

「アステリア! だめだ、危ない……」


 シュリィもアステリアを追って駆ける。


「王子、来てはなりません! 城に戻り陛下達をお連れして、地下の遺跡へ逃げて下さい!」


 砂と血にまみれた騎士団長がシュリィの腕をとって制止する。しかし時すでに遅く、彼らに向かって一機の魔導兵器が襲いかかってきた。

 巨大な蜘蛛の足が二人を踏み潰そうとする。軋む歯車、モーターの音。魔導の力で稲妻が練られようとする響き。強烈な不協和音に吐き気とめまいを感じ、シュリィは咄嗟に目をつぶる。


「これまでか……」


 膝をつき、覚悟を決めたその瞬間の事だった。シュリィを包み込んでいた、不快な雑音が突然消え去った。彼は恐る恐る目を開ける。

 己の頭上に落ちるはずだった蜘蛛の足が音もなく塵へと変わり、もたらされる一瞬の静寂。


「──アステリア!」


 少女は己の顔の前で鞘を僅かに抜いて構えたまま、赤く発光を始めた瞳で告げる。


魔導の機械音ノイズの除去に成功しました。残り18体、一括排除します」


 彼女が黒い剣を鞘からすらりと完全に引き抜いた瞬間、視界は黒一色になった。剣から吐き出される漆黒の衝撃波が霧のようになって、砂漠の砂に深い波紋をつけながら巨大な蜘蛛を次々と飲みこんでいく。

 黒霧が晴れた時には、ただ砂の上に降り積もった塵が砂漠の風に音もなく舞い上がるだけだった。

 シュリィも騎士団長も息を飲んでその情景を見守る。彼女と黒い剣の圧倒的な強さに、声も出ない様子だ。


「現在大きな魔導力は感知せず。全て抹消デリートしました」

「……あ、ありがとう。助かったよ」


 僅かに戸惑いながら笑みを浮かべるが、アステリアの表情は硬く瞳も赤いままだ

 

「まだ終わりではありません」

「……え? どういうこと……?」

 

 彼女はシュリィの問いかけを無視して、大蜘蛛たちが立っていたその先へと歩を進める。


「──化け物だ……」

「殺される……!」


 そこにいたのは、魔導砲を手にした兵士達だ。兵達は震えながら魔導砲を放り投げ、後ずさった。


「わ、悪かった……!!」

「助けてくれ……!」


 彼らは震えながら身を寄せ合っている。


「アステリア、彼らはもう戦意を喪失してる。逃がしてやるんだ。いいね?」


 できるだけ優しく、刺激しないように語り掛ける。するとアステリアはゆっくりとうなずきながら、手にした剣を静かに振るった。


 すると、数十人の兵達と放棄されていた魔導の武器が見る間に砂塵と化した。


「────何故?!」


 驚愕してシュリイはアステリアの元へ駆け寄った。


「いまだ雑音ノイズは消えません。兵装保有個体群は全て排除すべきです。両国の武装個体をひとつ残らず消し去らねば争いノイズは消えないのです」

「違うよ、アステリア。彼らは今はただ怯えているだけだ。君は──」


 そこまで言ってシュリイはアステリアの体内から湧き出ている音に気付いた。

 歪みのような、捩じれのような不協和音。あの神殿が漏らしていた悲鳴だった。そして、その血のような赤い瞳からは透明な涙が流れていた。


「アステリア、君は……君も苦しいんだね。暴走を止められないのかい」


 彼女がゾルディア王国やその近辺の超古代文明を亡ぼしたのは、きっとこの自律鎮圧オートノマス サプレッションモードに欠陥があったからなのだろう。だから一度暴走を始めたら誰にも止められなかったのに違いない。

                                         「聴こえるのです。まだ世界中に喧噪が、混沌が続いています。全ての雑音ノイズを消し去らねばなりません。それが私と、この「漆黒の沈黙」の存在意義なのです」


 冷たい声と流れる涙。漆黒の剣には黒い小さな稲妻が巻き付いて、見るからに不安定だ。


「……今この世界の音色が、君にとって苦しいものならば、僕にも何か手伝えるかもしれないね」


「……マスター、お願い逃げて。あなただけは削除デリートしたくないの」

                                   

 そんな風に泣きじゃくる少女を愛おし気に見つめてシュリイは笑った。


「大丈夫。いつも一緒だ。君に僕の音をあげるから」


 シュリイは今朝あの神殿で奏でたように、銀嶺の竪琴の弦を弾いた。足りない音を加えて、要らない音を相殺させる。そんな風にひとつひとつ丁寧に、彼女が吐き出す悲鳴を美しく優しい旋律に書き換えていく。


不協和音ノイズが消えていく。ああ、マスター。いえ、……シュリィ。あなたが見せるこの世界は、とても美しいわ」


 ふっとアステリアの瞳の赤が消え去った。剣を鞘に納めて、アステリアはシュリィに身を預けシュリイはアステリアを強く抱きしめた。


「沈黙した、死んだように静かな世界が美しいんじゃない。ありとあらゆる音が混在してバランスを保つのが本当に美しい世界なんだと僕は思うんだ」


 アステリアは強くうなずき、耳を澄ませた。


 ここまでの様子を遠巻きに見守っていた騎士団長が、驚いたようにつぶやいた。


「王子……この少女は魔導兵器なのですか。そしてあなたは一体……?」

「彼女は兵器なんかじゃない。この世界の音を、正しく守るための調律師だ。そして僕もね」


 カナール王国の脅威も去ったわけではない。アステリアを巡っての戦いも起こるだろう。シュリイは日が落ち始めた空をみつめた。


「シュリィ……あなたの奏でる旋律メロディ、もっと聴かせて。私、この世界の音を……もっと知りたいわ」

「ああ。どこまでだって一緒に行こう。新しいメロディを探しにね」

 砂漠の国サフィールに、夜の帳が降り始める。

 かつて世界を沈黙させた少女と、その心を調律した王子。二人が歩き出した砂の上には、月光に照らされた銀色の足跡と、静かで美しい希望の旋律がいつまでも残っていた。

                           

                了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

銀嶺の竪琴と菫色の静寂 千石綾子 @sengoku1111

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画