師である事は、当たり前ではないと知った
エメが話しかけてくれなくなった。
誰かに相談しようものなら、女々しいだとか、弟子離れできていないとか、
さらには特別な関係性を疑われてしまう可能性も考えて、僕は誰にも、何も、言えないでいた。
(まあ、デルタとアダムにはバレているんだろうが……)
勿論、話しかけてくれないというのも、彼女に無視をされているわけではない。仕事中は普通に話すし、アイコンタクトにも応じてくれる。
しかし、休憩や終業のベルが鳴ると同時に、ふぅ~っと、何か、
彼女の”演じていた仮面”が床に落ちて、猫が人込みをするりと抜けて、どこかへ行ってしまうように、僕の視線から逃れて消えてしまう。
一日、二日なら、なんとも思わなかった。
一週間経ったあたりで、胸がざわつくようになり。
二週間目の今日に至っては、エメが怖くて見れなくなった。
「なんでそんな長期間放っておいたのよ!」
「――彼女も思春期だ、色々あると思って、深く立ち入るのは良くないかと――」
「嘘仰い! どうせ向き合うのが怖くて、見ないふりしてたんでしょ!!」
意を決して相談をしたデルタには、ほぼ殴っているのではないかという位、激しい突っ込みを入れられた。
苦笑しつつ、それを止めないアダムにも、
「ま、あいつ普段からそんなにテンション高い奴じゃないけどさ、流石に、様子が変かな~とは思ってたよな」
「そ、そうなのか?」
アダムはボールペンをくるくる回し、椅子の背に体を預けた。ギイと言う音が鳴る。足を組んで考え事をするアダムの姿は、普段のラフな印象の彼と違って、洞察力に優れた大人の男に見えた。
部下の意外な一面を見て、動揺しつつ、嫉妬する。
彼の方が、エメと歳が近いからだ。
そんな小さな事を考える自分にまた、嫌悪した。
「エメは目立つからな。信者のように応援する奴も居れば、敵も多い。本人も、どちらかといえば静かな環境の方が好きみたいだし、一人でランチを食う姿もよく見るぜ」
――お師匠様、お昼一緒によろしいですか?
おずおずと許可を得る、華やかな笑顔を思い出す。
てっきり、食事を一人で食べるのが嫌なのかとばかり思ってたが、違うのか。
「アカデミー最年少の准教授だろ? 友だちだって作りづらい。全方面から嫉妬されるし、反対派の退路を潰すような策も容赦なく使うから、敵も多い。
まあ、自衛のためでもあるんだろうな。もちろん、ファンもいるけれど――人の目があるから、ローレン導師が思う程、あいつ庇われてないと思うぜ」
「今! すぐ! ランチルームへ行きなさい!!」
「い、行ったところで今更何を言えば……?」
‟愛着障害、見捨てられ不安”について、改めて、アダムとデルタから特別講義を受け、理解は深まったと思う。
しかし、知識が骨の髄まで落ちるには時間がかかり、僕自身にも、相手と距離詰めることに恐怖がある身だ。
だから、エメを前にしても、何を言えばいいのかわからない。
理由も無く会いに行くのも気が引ける。
だからこそ、決断を先延ばしにしてしまったのだけれど。
「そんな事、行ってから考えて!」
デルタに尻をバシバシ叩かれながら、ラボから追い出された。
こんな情けない導師教授は、僕しか居ないだろう。
そんな事を言ったら、年が10しか違わない、麗しい異性が弟子になる導師は過去にいたんだろうか。
彼らはどうやって、宝石みたいな彼ら彼女らの存在を、目を瞑らずに育て上げたんだろう。
そんな事をうじうじ考えつつ、ランチルームへ飛び込んだ。
燃えるようなルビー色のロングヘアを見つけて、
「エメ!」
慌てて、彼女の前方に回り込んだ。
石榴色の両目がびっくりしたように見開かれる。
ぽってりした唇が開きかけ、言葉を発すその前に。
「僕と――食事を――して欲しい」
「……? は、はい、いいですけど……え、ここ……で、ですか?」
当惑するエメの視線を追うと、アカデミー生が目を丸くして、僕らのやり取りをじっと見ていた。
血の気が引いた。
<ローレン導師教授、弟子にセクハラ>
<王立アカデミーの導師教授、職権を乱用して部下に迫る!?>
<ハーキマー教会で秘密の関係⁉ 師匠と弟子のイケない関係>
ゴシップ記事の煽り文句が瞬時に脳味噌を通り抜ける。
しかし、目の前のエメも逃がしたくない。
今日を逃せば、彼女は二度と、僕を師匠と呼ばない気がした。
と、
「――ああ、例の件の打ち合わせですね?
すみません、ボク、すっかり忘れていました!
よかったらいつものレストランでいかがです? ボク、予約しましょうか?」
即座に作り上げた、優秀な弟子の仮面をぱっと被って、エメは、周囲に誤解の無いよう自分を下げて、立ち振る舞う。
――自分が情けなくなった。
いつも、決断が遅いせいで、僕は大切な物を失ってしまう。
この先を真っ直ぐゆけば、幸せが待っているとわかってる一本道ですら、幸せになる資格など自分にはない気がして、寄り道をしたり、道を違えたりしてしまう。
その道の先に、エメが待ってくれていたのかも知れないのに。
「――今日は、僕がプライベートで行く店に、付き合ってくれないか」
石榴色の双眸が揺れる。
‟弟子”の仮面が揺らいでいた。
「……師匠、このボクに内緒で、どんな素敵なレストランへ行ってらしたんですか?」
「ふふ、楽しみにするように。きっと頬が蕩け落ちる」
「ええ~? ……ちなみに誰と行かれました?」
す、と、二人の間の温度が下がる。エメの声も心なしか低い気がした。
いや、別に、どう答えようが気まずい思いをする必要はないのだ。我々は師弟関係であって、恋人ではないのだから――わかっていても、彼女を直視できなかった。
「――猫チョコパイ買ってやるから、そういう事は言うんじゃない」
「そんなもんで騙される、10歳のこどもじゃないですよ。――それに」
アカデミーを出た途端、ふと、立ち止まったエメは、真剣に。
「ボクが近づくと逃げるのに、ボクが居なくなろうとすると、こうやって引き留めるの――卑怯だとおもいます」
尤もだ。そう思った。
狡いかもしれない。だとしても――
「それを含めて、良かったら釈明させていただきたい。――駄目だろうか?」
かなり、勇気をもって放った言葉だった。
エメは少しだけ思案する。
「講義形式じゃ嫌ですよ。情緒交流を望みます」
「――善処する」
何が正解か、どうすれば、互いを知りあえるのか。
立ち去ったのは僕だ。しかし、舞い戻ったのもまた僕だ。
言動には責任を持たなければならないだろう。
師である事は、当たり前ではないと知った。
***
『先生に話しかけなかった理由』
ボクばかり、真っ直ぐに好意を差し出して。
なんか、疲れちゃったってのが本音だったんだ。
深入りすぎると、離れる癖に、
去ろうとすれば、行き先を尋ねる。
でも、その手を振り払って、
ここから立ち去ってしまえばもう、先生は私を追わないと思う。
素直に弟子を愛してと言えば、
「君はもう一人前で、弟子を取る立場だろう」と、
うざったそうに背を向ける。
ボクが弟子を取らない理由も、別の派閥に属さない理由も、
本当は知ってるくせに、知らんぷりして、つんつんしてる。
その、何気ない仕草の一つで、
ボクの心臓がえぐれてくって、わかんないんでしょ。
ボクだって、王子様を夢見る乙女だって、知らないんでしょ。
だからね、今日は先生に話しかけない。
なんだかもう、つかれちゃったよ。
輸血してもらわなきゃ、心臓って本当に止まっちゃう。
覚えといてよね。
☆
おまけ
☆
『賢く美しい天使様』
ふわふわと柔らかい天使のような金髪を顎下まで伸ばし、優しそうに垂れた瞳は、ラベンダーアメジストと同じ色。
眼鏡をかけた姿も麗しいけれど、外すと、長いまつ毛がくるりと上を向いて、人形のような整った顔立ちがよく見える。
初めて会った時は、天使が身体を得たら、この人のようになるんだと思った。
それほどボクにとって、エミール・ローレンは、美しく見えたんだ。
そんな優しい、癒しの光を纏うような“神父様”が、まさか、毒舌を吐いたり、策略を張り巡らせてライバルを蹴落としたりすると思わなかった。
やりすぎはどうかと思うけど、そんな人間らしいところも嫌いじゃない。
ご苦労されたのだろうというのは、時折見せる、苦悶の表情で何となく察していた。はっきり聞いた事は無いけれど、同じ痛みを持つ仲間を嗅ぎ分ける、ボクの嗅覚がそう言っている。――そんな能力、欲しくなかったけど。
天才と謳われるその実力を、1番正確に評価しているのはボクだと思う。
相手の欺瞞を打ち砕き、「ありのままの自分を見せる真実の鏡」の魔法に、
「トラウマを直視させ、都合の良い現実から目を覚まさせる」魔法……。
先生の魔法は、使い処を間違えれば簡単に人の命を奪えるものばかり。
その修得の過酷さは勿論、力で支配出来る素質をもちながら、人を癒す道を選んだ決断には、尊敬しかない。
そのきっかけが例え、ご両親に強制されたものだったとしても、今日までのお立場を築いた実力は本物じゃないか。
でも、何度それを言っても、彼はボクの言葉を信じない。
だったら、ボクが師匠にスポットライトが当たるよう、立ち振る舞えばいいんだ。
そうやって、善良な弟子のふりばかりがうまくなって…ある日突然、ボクは捨てられた。
「僕じゃ君を指導できない。続きは、君自身がやれ。
……正直、僕は君が、羨ましいよ」
その言葉は、ボクの存在意義を打ち砕いた。
師匠のためのボクでありたかった。ボク自身の自己実現なんてどうでも良かった。
でもその時は、ボクの存在そのものが、あの麗しい天使の笑みを曇らせる事実が、ショックだった。
「ずるくなーい?」
「何が?」
アダムと煮干しをぽりぽりつまみながら、ボクは端的にぼやいてみせる。
何を言いたいかわかってるくせに、アダムは、切れ長の大きな目を他所へ向ける。その仕草が本物の猫に似ていて、“デルタの飼い猫”の渾名がしっくりきていて笑ってしまった。
「どーお、考えてもさー。地雷っていうか、性格に難ありな相手だってわかってるんだけど」
「うん」
「ボクが本気で離れようとすると、おっしゃれ〜なレストランに無理やり連れてってさ、口説くみたいに謝ってさ」
「おう」
「ボクはその人が好きなんだから、そんな事されたら誤解しちゃう。でも、相手は、同僚の女性とかエスコートしてるし、噂だと、押せばイケる、流されやすい男とか言われてるし!」
「……」
「相手の事情がわかって。でも、ボクにも事情があって。お互い、トラウマとか重なっちゃって。
親しくなると距離を取りたい相手と、見捨てられたと感じて死にたくなるボクと。
デバフ掛け合うみたいになっちゃって、収集つかなくなってさ」
「……」
「もう会わない方がいいと思いつつ、話してて面白いし、顔がいいから会っちゃう」
「……おお」
「同僚としても、パートナーとしても、絶対苦労しそうな相手なのに……まだ忘れられないんだ」
「……煮干と炭酸水のつまみにするにゃ、重たい話だな……」
よくわからない所へ着地した会話を、アダムはあえて拾う事なく。
「まー、無理して忘れると拗れるしなぁ。新しい相手を探す気にはならないのか?」
「わかんない。そっちの方がいい気もしてるけど、その人と、行けるとこまで行きたい気もする」
「……お前、男の趣味悪いよ……。その癖治せば、すぐパートナー出来るって」
「うるさいなぁ」
ボクに生きる意味を与えてくれた、狡くて賢く美しい天使を、忘れる日はまだ遠そうだ。
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