第4話


 人の波は、大部分はセール品に向かっていたのであっさり抜けた。Aさんと俺のドッペルゲンガーは別の場所に用があるらしい。


 俺はつけた。ピッポーパッポー鳴る機械を横切り、鮮魚コーナーから調味料コーナーを通る。やるとしたら……スーパーから出なければならない。いきなり人に刺すのはあまりにリスキーなためだ。


 俺はなにも買わず、彼らがレジを通っているあいだに店外へ出た。しばらく歩いたうちに、背後から刺してやろう。ドッペルゲンガーの領域を越えたものは消さなきゃならない。


 それほど経たないうちに二人は出てきた。俺は静かに後をつけた。周囲から怪しむ視線はなく、幸運なことにスーパー前はシン、としていた。


 ポケットから包丁を取り出し

 しっかりと切先を向け

 走り出す。




 包丁は刺さることなくすり抜けた。


 かすりもしなかった。




 俺は確かに包丁を向けていたはずだ。ドッペルゲンガーが避けたそぶりもない。俺は確かにやったはずなのだ。なのにどうだろう、Aさんはまったくこちらに気づいていないし、ドッペルゲンガーに包丁は刺さっていない。


 俺は震えた。はっきりと、予感が当たってしまったような気がした。そしてドッペルゲンガーが、すれ違いざまに不気味な笑みをしながら言った。


「タイムリミットだ」


 なにかが入れ違っていく。自分の中にあった物質感、そのすべてが抜けていく心地がした。嫌な汗をかいているのに寒気はしないし、煮えたぎるような怒りを宿しているはずなのに、数秒前にあったはずの殺意は中核を失っていた。


 Aさんとがそのまま前方へ歩いていく。俺は包丁を握ったまま、呆然と道の真ん中に立つしかできなかった。




 この文は、文字通り電子の海から書いている。俺の過ちを誰かに知ってほしいからだ。俺はドッペルゲンガーと入れ替わってしまった。今となっては俺が……なのだ。


 あれから大学も放置しているし、スマホも使い物にならなくなった。当然働いてもいない。家族とも、会っていない。最初からそれらなど必要なかった気すらする。


 腹が減ることもなく、欲求という欲求が薄れてしまっているのだ。今はもう、俺のドッペルゲンガーだったやつを消そうという気もない。ドッペルゲンガーに過干渉した俺の末路は死ではなく、虚無だった。


 やつはもうドッペルゲンガーではなく、俺なのだ。そして『幸福のドッペルゲンガー』ではない……『幸福なドッペルゲンガー』だったのだ。今もどこかでAさんという人と歩いているのだろう。


 読んでくれた人に言いたいのは一つ。決してドッペルゲンガーと関わってはいけない、ということだ。あれは死を呼ぶより先に、まずあなたの人生を乗っ取ろうとするから。


 しかしドッペルゲンガーは複数いないから大丈夫、と思っただろう? それは違う。ドッペルゲンガーは複数いる。それも何十何百といる。俺がやつのドッペルゲンガーとなってから、それらを何回も見かけた。二、三人で固まっているところも見た。


 見える見えないは偶然でしかない。なにごともなく過ごしていれば一生見えなくて済むのだろうが……俺のような意思薄弱、嫉妬執着な人物は気をつけたほうがよいだろう。それはいつでも、あなたの人生を狙っている。




 あるとき、誰にも存在を認知されないはずの俺と目が合った人物がいた。それがどのような人物であったかは、まったく知らない。しかし直感はあった。恐らくAさんの知り合いだろう。こちらを訝しむように見ていた。


 しかし俺は、その人から背を向けて去るしかなかった。喋ってはいけない気がした。だが同時に、これはきっと言伝されるだろう確信があった。俺の頬がピクリと動いたのは、喜びがあったからである。

 

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幸福なドッペルゲンガー ベアりんぐ @BearRinG

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