第2話
さて、
そんなふうに数ヶ月を過ごしていると、俺も大学四年生になってしまった。あとは卒論ともろもろの演習、そして就職ばかりが残るころ(就活はほとんどしていない)。
しかし俺の中にはドッペルゲンガーのことしかなかった。あまりにも魅力的だったからだ。あれは死の前兆などと呼ばれているらしいが、それとは逆らしい幸福を運んできている。もはや卒論もそれに関連したことを書けば良いのでは、と思ったが、あまりに専攻が違いすぎるためやめた。
それにしても、昨今ドッペルゲンガーという概念やら言葉は人口に
ただそれが魅力的であるのと同時に、なにか自身の誇りらしいものでもあるというのは、おそらく凡人であるがゆえの非日常感が生み出しているものである。それは俺とて例外ではなかった。
だから人は話すのだ、そんな特異性をさも自身の手柄のように。
俺はドッペルゲンガーと関連する幸福の情報から、日常の生活というものをほっぽりだして『幸福のドッペルゲンガー』を広め始めた。ただ広めると言っても、俺のドッペルゲンガーを目撃したらしい人々に語ったまでである。それぞれの証言とその後に訪れた幸福……ラッキーの例を、ぺらぺらと話した。
当然おおかたの人は、単なる偶然だ、ドッペルゲンガーという証拠はあるのか、他人の空似とラッキーが重なっただけだ、と言って俺を相手にしなかった。
ただ信じる人もいた。少ないながら、確かにドッペルゲンガーを見た後にラッキーが降ってきた、と納得して、さらなるラッキーにあやかろうと俺の下宿先に訪ねてきた人もいた。
俺にビジネスやら金稼ぎという思考はまったくなかった。ただ知ってほしかった。こんな不可思議なことが起きたのだ、誰だって他人に言いたくなるだろう?
やがて幸福のドッペルゲンガーは、限られたコミュニティの中でじわじわと広まっていった。本当の俺を偶然見つけた人――俺はまったく気がついていなかったが――なんかが、街中で君を見かけたぞ、と興奮気味に言ってきたことが、良い証拠だろう。
当然そんな人にラッキーは訪れなかったわけだが、ドッペルゲンガーの噂が広がる中で本当のドッペルゲンガーに出会った例はいくつかあった。そして後日、俺の元にラッキーの報告が入ってきた。どうやら幸福のドッペルゲンガーは、まだまだ働いているようだ。
俺は……特になにもしていないのだが、やっぱり誇らしかった。ただそのたびに妙な嫉妬感も湧いてきた。本当の俺を誰も相手にしないというのに、もう一人の知らぬ俺は、限定されてはいるが確かに求められている。それがなにか許せなかった。
ある日、懐かしい人物から連絡があった。中学時代の女友達であるAさんだった。なんでも、自身の通っている大学構内で俺を見かけたらしい。距離的にありえないのと、なんだか懐かしいような感じがして電話を……という経緯だった。
Aさんは唯一、俺の中学時代に優しかった人物だ。そんな彼女のことは、初心な俺にとって初めて現れた太陽だった。言うまでもないが、俺に優しかったわけではなく、誰にでも優しかった。
そして大学生となった現在も、俺の根底に彼女はいた。そんな人から突然連絡が来たら、気が動転してしまってまともに会話などできるはずもない。俺は身辺の状況報告やらドッペルゲンガーのことなど忘れて、ただAさんに相槌を打つばかりだった。彼女の声は変わらず優しげだった。
電話が終わって、俺はなんとも言えない心境であったように思う。身体から思考という思考が飛んでしまって、宙に漂っているような感覚だった。幸福のドッペルゲンガーのことなど数時間は忘れていた。
もしも本当の俺であれば……と、ありもしない想像を巡らせたが、すぐにやめた。彼女を想うならばそんなことは不幸に違いないからだ。それにドッペルゲンガーが現れたということは……彼女にもラッキーが降ってくる。
春の夜の夢みたいなものだ、と俺は納得した。そうだ、あの時間はもう終わったのだ。どうかささやかな幸福を君に……などと酔って考えて、その日は眠った。夢にはドッペルゲンガーが微笑んでいる姿があった。
さて、
あれから数日ほどが経ったころだろうか? 俺がコンビニで買い物を済ませてぽつぽつ歩いていると、なんとAさんから電話がかかってきた。驚いた拍子に落ちたカップ麺を拾いつつ、画面をタップして電話に出た。
「もしもし……?」
きちんとAさんだった。俺は二度も彼女から連絡があるなんて思っていなかったから、拾ったはずのカップ麺は再び落ちた。なにごとかと言いながら拾う。
……っ!?
Aさんがなにを言っているのかわからない。いや、伝わっている。しかし本当にわけがわからなかった。
Aさんは
呆然としつつそれらしい返事をして電話を切る。目の前で踏み切りのランプが点滅していた。けたたましいほどのアラームが響き渡っていた。俺の脳裏にはドッペルゲンガーがいた。
Aさんと付き合うことになったのは、俺ではなくあの、幸福のドッペルゲンガーなのだと気づいた。
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