幸福なドッペルゲンガー

ベアりんぐ

第1話


 大学の講義が終わり電車に乗っていると、ふと見覚えのある背中を見た。見覚え、というより、あきらかに知っている背中だった。


 それは俺に違いない、と直感した。ただそのときは躊躇ちゅうちょし、追うことはしなかった。彼は俺の降りる駅より、二つ前の駅で降りた。


 最寄りの駅で降りて下宿先に帰る道中、俺はドッペルゲンガーという言葉を思い出していた。まったく同じ容姿の自分がこの世界にはいる、というものだ。


 興味深いものではあるが、少しホラーな面も持つ。それは、自身のドッペルゲンガーと出会ってしまうと近いうちに死んでしまう、というものだ。だから俺は深追いしなかった。まだまだ死ぬつもりはない。


 しかしこの発見から、俺のドッペルゲンガーの目撃証言がぽつぽつと現れ始めた。


 初めに、

 同じゼミに入っている T という男が、俺を出先で見かけたというものだった。それほど深い仲ではないのだが、同じゼミ所属ということもあって、大学構内や買い出し先で出会えば会釈ぐらいはする、という関係だった。そんなTが週明けに話しかけてきたのだ。


「こないだはどうしてあんな場所に?」


 寝耳に水とはこのことだ。訊けば、Tは週末に日帰りで温泉に出掛けていたらしい。そこの風俗に立ち寄ろうと吟味していると、なにか見覚えのある人物――俺のドッペルゲンガーだ――がふらふらと歩いていたのだとか。


「声かけようとしたのにどっか消えちまって……あんなとこふらふらするもんじゃないぜ」


 お前も大概だ、とつっこみたい言い方ではあったが、それよりも、だ。俺はそんなところへは行っていない。日付や時間帯も訊いたが、そのとき俺は本屋にいたはずなのだ、しかも下宿先からすぐの。


 次に、

 あまり関わりのない女子学生であるSさんが、俺をコスメ売り場で見かけた、というのである。これは週末の午後七時ごろだとか。あまりに場違いなため、よく覚えていたらしい。


「もしかして、コレ?」


 なんて言って小指を立てているSさんだったが、俺に彼女はいない、いまのところは。そのときは上手くごまかしてその場を離れた。なんとも奇妙な話だ。


 ちなみにそのとき(コスメ売り場にドッペルゲンガーがいたとき)の俺は、当日夜までとなっていたレポートに追われて、自室でパソコンをカタカタしていたはずだ。当然コスメ売り場など行くわけがないし、行ったこともない。


 わずか数日のうちに二人も目撃者が現れたことは、驚きよりも困惑をもたらした。なにか重大なメッセージでも含まれているのだろうか? 俺はそれからドッペルゲンガーのことを調べてみたが、ピンとくるものはなかった。所詮都市伝説だ、無理もない。


 それから数週間のうちに、二人以外にも複数の目撃者が現れた。どれも俺と関わりのある人物であり、その中には家族も含まれていた。しかし家族とは離れて住んでいるし、実家は半日ほど車を走らせないと着かないような場所だ、当然俺ではない。


 しかし俺は俺自身を疑わなければならなかった。記憶とは実に不確定なものだ。明確に記憶が正しいと証明するものはないし、もしかしたら本当に俺は、温泉街の風俗道やコスメ売り場にいたのかもしれない。俺自身の目撃が他者の目撃より明確だ、ということはないのだから。


 さて、

 そこで考えるべきは、最初の邂逅だ。あの電車に乗っていた俺と、俺のドッペルゲンガー。本当にそうなのだろうか? 実際あそこにいて、最寄りよりも二駅前で降りたのは俺なのではないか? だとするとそれを目撃していた俺はいったい?


 ぐるぐる考えているとよくわからなくなってきたが、数日後からなにか進展らしいものがあった。なんでも、俺のドッペルゲンガーらしきものにあった人物たちに『幸福』があったらしい。




 初めに、

 俺の家族が報告してきた。なんでもダメ元で買っていた宝くじで一等を当てたらしい。あまり言いふらすものじゃないぞ、とそのときは両親をいさめた。


 次に、

 Sさんに彼氏ができたらしい。大学構内を仲睦まじく歩く姿が確認できた。他の者から聞くに、俺のドッペルゲンガーと出会った一週間後のことだったようだ。


 他にも、自意識過剰と呼べる範疇はんちゅうのものを超えた幸福の調べが耳に入ってきた。Tはなんでも懸賞で車を当てたらしいし、昔お世話になった中学教諭は突然結婚することになったとか(彼は当時から結婚できないとボヤいていた)。


 加えて高額カードを当てたとか、ライブチケットを当てたとか……まあさまざまであるが、みな一様に俺のドッペルゲンガーと出会ってから数日後に幸福に当たっているらしかった。ここまでなら単なる偶然で収まる。


 しかしこれらの後も、俺のドッペルゲンガー目撃証言は絶えなかった。前々から伝えていた友人も含めて、ざっと五十人ぐらいはいた。そのたびに、なんであんなところに、とよく言われたが、それは俺が一番知りたいのだ。


 そして出会った人々にはもれなく幸福が訪れた。幸福……なんだか仰々しいから『ラッキー』としておこう。大小さまざまだが、本人たちにとって最もいま必要とするものが当たったり現れたりするのだとか。


 俺はこれを『幸福のドッペルゲンガー』とした。単なるドッペルゲンガーとは一線を画す事象だと考えたからだ。どうやらもう一人の俺は、幸福を運んでくるらしかった。

 

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