Ch.1-2-4 お前のもの
◇2326年10月9日(木) 08:01
「ナオミのところに行くのはもういい」
朝目覚めていつものように店を出ようとした矢先、予想外の言葉をかけられる。
定位置のモニター前で、錆を抽出したようなコーヒーを啜りながら、デイヴィスは俺の顔を見ることなくそう告げた。
言葉を聞いた瞬間、俺の思考は一瞬止まる。次いで脳内を埋め尽くす歓喜、疑問、そしてアラート。
この二週間、VR訓練以外は何もしてこなかった。その甲斐あって、かなり戦う力は身についたと思ってる。そして死ぬこと、痛みへの耐性も。
事実、昨晩は苦戦していたストリート上における対集団戦もクリアできた。右腕を失うという激痛と引き換えに、奪った拳銃で人形の眉間をぶち抜いてやった。
どうやら俺は痛み耐性が強いらしい。
ただ、自惚れてはいない。武器の扱いや瞬時の判断はもっとよくできると昨晩帰ってから反省したばかり。俺の戦闘用シナプスは、ようやく繋がってきたところなのだ。
だからこそ、もうVR訓練は終わりと言われて、次は何をさせられるのかという警戒心が勝った。
「VR訓練は終わりってことか?」
「そうだ。あれ以上続けても意味がない。いや、逆効果だ」
デイヴィスがマグを置き、隻眼が俺を射抜く。
カチャリ、という硬質な音が、拳銃の撃鉄を上げるそれに聞こえた。思わず身を震わせる。
VRでは、仮想ではけして感じられない湿った空気。
デイヴィスは変わらず俺を値踏みするように目を離さない。
その顔が、出会ってから一度も見たことがないほど破顔する。
「光栄に思え。今日から俺が相手をしてやろう」
あ、この顔はナオミが俺を弄る時のそれと同種だ。
実験動物扱い。テッキーがシステムの穴を見つけた時。
脳内のアラートはもはや振り切れて聞こえない。
◇2326年10月9日(木) 08:59
たどり着いたのはどこかの建物の薄暗い地下。
薄暗い空間にコンテナや段ボールが乱雑に置かれ、いたるところに切り傷、銃痕が見える。
そして臭い。かびとオイルの臭いに混じって、金属が雨で腐敗したような悪臭もする。明らかにまともな使い方はされていない。
階段を降りきると、むわっとした空気を切り裂くように、デイヴィスから何かを投げつけられる。ナイフだ。
飛んでくるラインを確認し、右手で柄を掴み取る。これぐらいは造作もなくできるようになった。
デイヴィスは俺がナイフを掴んだのを確認すると、タバコに火をつけた。すでにジャケットは脱いでいるが、どう見ても得物を持っているようには見えない。
紫煙が吐き出されると、右手は後ろに回され、左手は前に突き出されクイッと指を曲げられる。
来い、ってことか。
再びアラートが脳内に響くが、その後ろで僅かに反骨心が芽生えるのを自覚した。
OGREに襲われた時から、デイヴィスの強さは知ってる。
多分、おそらく。いや絶対俺より強い。
ただ丸腰だ。一緒に暮らしていて、体にインプラントを埋め込んでいないことも知ってる。無論、隠し玉はあるのだろうが。
対して俺にはナイフがある。VRで一番使った得物だ。
そしてとっておきの左腕もある。
——刺し違える覚悟でいけば、確実に俺のほうが有利。
ナイフで誘う。右で喉元を突き、避けたところに左腕をぶちかます。
これ以上の思考はいらない。
俺はナイフを順手に構え、突撃した。
◇2326年10月9日(木) 17:35
「今日は終わりだ。俺は仕事に行く」
薄暗い地下室に嗅ぎ慣れた煙の臭いが広がる。
普段はあまり嫌いじゃないが、激痛と吐き気をこらえている今は、ひたすらに不快。
だが動きたくても動けない。体にまとわりつく煙を追い払うことさえ難しい——右肩が折れてるのか外れているのか動かない。
デイヴィスとの訓練は、戦いと呼ぶにはあまりに一方的だった。
ナイフでの切りつけも、左腕の怪力も、何も通用しなかった。
俺の思考が読まれているかのように、すかし、躱され、そして的確に急所に反撃を受けた。
しまいには立ち関節で右腕を破壊された。
サイバーウェア任せじゃない、圧倒的な体術、経験の差。
這いつくばる体を左腕で支える。
服は汗と埃、俺のゲロで汚れている。
右腕が肩から痛い。熱を持ってるのが触ってなくても分かる。VRなら死ねば楽になった痛みも、現実ではそうではなかった。
息も苦しい。何度もどつかれ、横隔膜がせり上がってる。酸素が必要なのに、取り込むポンプが壊れてる。
なんとか顔を上げる。デイヴィスはすでにジャケットを羽織り、心なしか顔が若返っているように見えた。汗の一つもかいていない。
隻眼が俺をスキャンする。右肩あたりに視線を受けると、更に熱が上がった気がした。
持ってきたアタッシュケースからピルケールが取り出され、俺の前に投げられた。いつぞやに見た栄養剤。毒々しい紫。
「飲んどけ。そのうち動けるようにはなる。そしたらナオミのところに行って治療を受けてこい」
デイヴィスは階段を上がり、出口に向かう。
ドアを開けて出ていく前、思い出したかのように言い放った。
「これから朝九時にここに来い。それ以外は何をしても構わん」
消えていく後ろ姿。
それが見えなくなると緊張の糸が切れ、仰向けに寝転がった。
転がる錠剤をよく確認せずそのまま飲み込む。クソが。
吐き気も、痛みも、目眩も、疲労も、全て知っていたはずなのに初めてだった。
悔しさも、無力感も、屈辱感も、今は何も感じない。考えられない。
VRは繰り返しが許されてた。VRの死は、再起動すれば消えた。
現実は違う。痛みや熱、ありとあらゆる生命活動を害するバグが、延々と血を流れ、俺を削っていく。
鼓動のたびに死が近づく。
その違いを、俺は嫌と言うほど神経そのもので感じた。
その後ナオミのところに行くと、悪臭に文句を言われながらも治療をしてくれた。お決まりの採血のおまけつき。
もしかすると、怪我をしたままのほうが幸せだったのかもしれない。
◇2326年10月10日(金) 07:11
鈍い痛みが目覚まし代わりだった。全身が鉛のように重い。
昨晩ナオミの診療所にある治療ポッドのおかげで、あらかた傷は治っている。右肩も外れていただけだった。
しかし、脳と体に刻まれた痛みのキャッシュは一晩では消えない。
行きたくねえなあ。
思いを汲み取った身が震えた。
VRの訓練はゲームだった。死んでもリセットされる。
痛みはあるが、終わりがあるから耐えられた。
だが、デイヴィスは違う。
デイヴィスは俺を壊さないギリギリで、的確に痛みと恐怖を与え、生きる尊厳を踏みにじってくる。
ゲロの上に転がされ、足蹴にされた昨日の屈辱は忘れない。
忘れはしないが⋯⋯どうにかできるとも思えなかった。
やるせなさの虚無だけが心を蝕む。
今日行けば、またアレが始まる。
拒否反応で胃が縮み、昨日ナオミに無理やり食わされた流動食が逆流しそうになる。
それでも、行かねば。
行かなければ、あの紅い瞳の男には届かない。
そもそも生きることもできない。生きるとは戦うことなのだから。
俺は洗面台で顔を洗い、鏡の中の自分を睨みつけた。
ひどい顔だ。何回もコピーを重ねて、オリジナルの自分とは似ても似つかない。誰だこいつ。
昨晩、ナオミがぶっかけてきた消臭と消毒液の匂いだけが、俺が俺であると教えてくれた。
◇2326年10月10日(金) 21:30
指に力が入らない。スラムの屋台で買った、よく分からない合成肉の串焼きを落としそうになる。人でないことを祈る。
今日は手や指先を重点的に攻められた。致命傷にはなりにくい箇所。その代わり神経が集中しており、痛みを感じやすい部分。
切り傷や骨折はすでに治療済みだが、精神的なストレスでうまく動かせない。
「⋯⋯くそっ」
左腕はまだ動く。串焼きを持つ手を替えて、栄養を摂取する。
機械の腕は生身の俺より多少タフらしい。
惨めだ。復讐? 反逆?
VRで感じたクソみたいな全能感、自己効力感は、現実の前ではあまりに無力で、霞んで消えた。
明日も⋯⋯? おえ、吐き気がする。痛いのはもう十分だ。
心の中にあった何かが軋む音を聞いた。
◇2326年10月11日(土) 16:19
「うおおぉぉおお!!」
僅かな空気を絞り出しながら突撃する。
口から出る音は自らを鼓舞するものなのか、相手を威圧するものなのか、あるいはただのフリなのか、もはや分からない。
右手に持ったナイフを伸ばす。狙いは胴。届かない。
逆に抑え込まれる右手首。慌ててナイフを手放し、離脱する。
手首を折られることを防いだ代わりに、ナイフという圧倒的アドバンテージを失った。
「ふむ」
落ちたナイフを拾われる。デイヴィスは相変わらず汗一つかいていない。日に日に容赦はなくなっていき、初日に芽生えた反骨心はズタボロだ。
「この四日間、ずっとお前を見てきた」
デイヴィスが俺を見た。
隻眼はひたすらに暗く、深い。その目は確かに俺を見つめているはずだが、もっと奥、俺の中の何かを見据えているかのよう。何処かで見た既視感。
既視感と同時に皮膚が泡立つ。
「ほんの少し前まで一般人だったとは思えないメンタル、体捌き、成長速度。そこは、認めよう」
人の形をした何かが俺に向かって歩いてくる。
あれはなんだ?
「CCIが異常に高いおかげなのかもしれん。因果はわからんがな」
左腕に熱が吸い取られていく。体は極寒を感じて震えているのに、左腕の接続部分だけが異様に熱い。
「ただお前は決定的に勘違いしている」
背中に壁が触れた。無意識に後ずさっていたらしい。
壁があるということは、それ以上、さがれないということだ。
何かが目の前に来た。
「お前、自分が死なないとでも思ってるのか?」
恐怖で声が漏れる。こいつは人じゃない、死だ。死そのものだ。
左腕を振りかぶる。青白いスパークが見えた気がするが、そんなことはどうでも良かった。
こいつを、死を遠ざけなければ!
スパークが尾を引いて左腕が走る。自分史上、最速最強。
避けれるものなら避けてみろ。もし受けたらタングステンだろうが、パラアラミドだろうが、ぶち抜いてみせる!
アドレナリンがオーバーフローしたのか、全てがスローモーションに映る。
スパークを従え、確実に顔面めがけていく左腕。
圧縮された時間の中で、何かの左目——眼帯の下から、俺の左腕と同じ青が輝いたのを見た。
そして、眼帯の下の口角が、楽しそうに、哀しそうに上がったのも。
その後は一瞬だった。
最初からそこに来ると分かって待ち構えられていた両手に、俺の左腕が抱え込まれる。腕が巻き取るような動きを感じたと同時に、体が自分の意志に逆らって宙に飛ぶ。
地面に背中から叩きつけられ、それが合図だったのかスローモーションが解けた。
「がっ⋯⋯!」
空気が漏れる。吸えない。エラー。
左腕は依然、掴まれている。
触れられた箇所から死が流れ込んでいるかのように、急激に冷えていくのを感じた。
「俺が悪かった。全部この左腕が原因だ」
——だから断ってやる。
ブチブチっと回路が無理やり千切られていく。
行き場をなくした電気信号が血流に乗って床にバラまかれた。
「つっ——!」
空気を求め空いていた口に何かを無理やり詰め込まれ、音を封じられる。激痛に歯を食いしばるが、何も変わらなかった。
熱いのか冷たいのか分からない。
足をバタつかせようが、体が飛び跳ねようが何も変わらない。
ただただ圧倒的な力で抑え込まれている。
体中の穴という穴から水分が漏れ出て、何も見えない。聞こえない。
視覚も聴覚も失った今、残った触覚だけがひたすらに痛みを伝えてくる。
そしてぷつんと最後の糸が切れた。
力から解放される。
とにかくそれから逃れたくて、壁沿いを這い逃げた。
部屋の隅へと身をすくめる。
左腕は、ない。
切断面は合成肉を初めて切ったときのように荒々しかった。
ガシャンと俺の横に何かが投げられた。跳ねて止まる。
ビクリと身をすくませ、見るとそれは俺の腕だった。
えずき、吐く。意味がわからない。
不意に光が遮られた。顔を上げる。
「言っただろう? それはもうお前のものだ」
「ひっ」
死が喋ってる。
俺は恐怖でそのまま地下室を飛び出す。
痛みだけが俺が生きている証だった。
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