Ch.1-2-3 死に慣れ
◇2326年10月8日(水) 17:10
あるいは
仮想空間時間 223:21:07
「あいつの状況はどうだ?」
ドアが静かに開き、老人が店へと入ってくる。
ハットにスリーピース。明らかに仕立てのいいスーツは、この店がスラムにあるとは思わせなかった。
手には使い込んだアタッシュケース。持ち主の経歴が滲む。
「あら。久々じゃない、デイヴィス。愛弟子放ったらかしてどこいってたの?」
話しかけられたナオミは銀髪に白衣を纏い、金属質が煌めく両手でマグカップを持っている。
その佇まいは医師というより、どちらかというと好奇心を抑えられない研究者のそれだ。
メガネの奥に光る紫の瞳は、複数のモニターを忙しなく確認している。
デイヴィスはナオミの軽口に眉をひそめた。
「ナオミ、あいつはただの犬だ」
「ならしつけと散歩ぐらい自分でやってほしいのだけど」
ナオミが椅子を勧めた。
デイヴィスが腰掛けると、ナオミの眼の前に広がっていたディスプレイが拡張され、デイヴィスにも見えるようになる。
映し出されているのは、少しくせ毛の青年。
ナイフや拳銃を握る三体の人形に囲まれ、必死に立ち回っている。
地面には、すでに二体が転がっている。
人形たちは数は減らしているものの、残り三体はほぼ無傷。
対して青年は肩に銃撃を受けたのか右腕が垂れ下がっている。
首筋や内ももといった急所にも切り筋が見え、明らかに満身創痍。
青年も自身が永くないと悟ったのか、一番近くにいるナイフの人形に突撃する。彼の手にもナイフ。刺し違えるつもりだろう。
しかしそれは叶わなかった。横から別の人形に頭を撃ち抜かれたのだ。
ぶち撒かれるのは脳漿の代わりの赤いポリゴン。
処理軽減設定の雑なエフェクトが、かろうじて映されているのが仮想現実であることを示している。
死亡カウントが画面に表示される。八百八十一。
その数字を見てデイヴィスが先程よりも更に深く眉をひそめた。
「九百回近く死んでるだと?」
「そうなの。この二週間、うちに朝来ては夜帰るまで、ずーっと潜りっぱなし」
ちょっと異常よ、あの子、とナオミが答える。
「あなたが持ち出したCSFの訓練VR、リミッター解除してあるんでしょう? 神経フィードバックがレッドゾーンに入りっぱなしでアラートうるさいから切っちゃった」
試しに私やってみたけど、二回死んでギブしたわ、とナオミが両手を上げ、文字通りお手上げのポーズを取る。
「しかも例の無限のCCIで完全同期しちゃってるから、身体と精神のフィードバックもパケットロスゼロ。普通なら脳が焼ききれて、いいとこ廃人かお陀仏ね」
ディスプレイではすでに八百八十二回目の復活を経て、青年が死に立ち向かう姿が映ってる。
「復讐っていう理由だけじゃ、こんな自殺行為はできない。あなた死ねって言われて死ねる? 頭のネジがぶっ飛んでるどころか、構造そのものが狂ってる。Helix Corpのデザイナーベイビーって言われても信じるわ」
どこから拾ってきたの? という言葉をデイヴィスは無視してディスプレイを睨みつけている。
五対一かつ武器持ちと無手。圧倒的ハンデを持ちながら、青年は巧みに遮蔽物を利用し、その不利を覆そうとしていた。
数週間前は中間層の一般人だったとは思えない動きと判断力。
力を得るための代償は、常人なら気が狂う、めくるめく被殺体験。
このステージのクリアは近いだろう。
今も左腕を犠牲に拳銃を奪い、四体目の人形を撃破した。
青年は少しずつ、だが着実に戦う力を身に着けている。
しかしクリアは今回ではなかった。青年が五体目の人形に殺されたのを確認し、デイヴィスは画面から目を離した。
「生まれも育ちも知らん。ただ頭がトチ狂ってるのは同意だ。CSFにいた時も、VRで死に慣れできるのは、OGREに片足突っ込んでるような奴らばかりだった」
ナオミはデイヴィスの背中が、微かに沈んだように見え、思わず目を見開く。
ただ、彼が振り返ったときには、いつもの鉄面皮に戻っていた。
「あともう一つ観察してて気付いたことがあるわ」
デイヴィスが顎で続きを促す。
「あの子はインプラントと単純に繋がるだけじゃない。全てを受け入れ、かつそれを自分のものとして拒否することなく順応できる」
ナオミの話は熱を帯び始める。
「テセウスの船って知ってる? パーツをすべて入れ替えた船は元の船と言えるのかっていうパラドックス。まあ人間の主体、精神が何に宿るかって話なんだけど、あの子は構成要素が丸っと変わっても変わらない。ジーク自身のままなの」
「お前の言ってることはさっぱりわからん。結局何が言いたい?」
デイヴィスが降参のポーズを取る。ナオミの紫の瞳が細まった。
「普通の人間なら異物を入れすぎると拒絶反応が出る。精神の器からこぼれ落ちるから。でもジークは違う。彼は——何にでもなれるし、誰にでもなれる”可能性”そのもの」
デイヴィスは何も答えなかった。ただ、アタッシュケースだけが、八つ当たりのように強く握られるのを自覚した。
店内に流れる優雅なクラシック音楽だけが、不気味なほどの静寂を埋めている。
老人は、これ以上の会話を拒絶するように立ち上がった。
「左目のメンテナンスを頼む」
言うが早いか、デイヴィスは空いている手術用のチェアに横たわる。
ライトに照らされて、深い影が眉間の皺に落ちた。
「別にいいけど、前払いでお願いね⋯⋯って何この金額!?」
ナオミのメガネ型デバイスに入金通知が表示される。
その額は通常金額よりも桁が一つ多い。
スラムなら人生を五回、中間層でも一回は遊んで暮らせる額だ。
当然ナオミは慌てるが、入金した側のデイヴィスは至って平然としていた。
「もう払った。釣りは取っておけ」
——それにこれから厄介になる分も含めてる。
デイヴィスはナオミに気づかれないように、ため息をついた。
私返金しないから! と小躍りしているナオミの背後にLとRが逆になったコングラッチュレーションの文字が浮かんでいる。
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